カルテ29 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その5

「あらあら、可愛らしいこと、二人とも。ホホホホ」


 コンスタン夫人の笑い声に、思わず顔を赤らめるテレミンとルセフィは、確かにドールハウスの一対の人形のように愛らしく、緊張に包まれる食堂内の雰囲気を緩和するのに十分だった。


「さあ、体も冷えてきたことだし、早く温かいスープを持ってきてくれ」


「かしこまりました」


 ダオニールとフィズリンは一礼とともに厨房内に姿を消し、一同は朝からの騒動で空腹も忘れていたことに、ようやく気づいた。



 こうして山荘に隔離状態の7人の暮らしが始まった。皆、最初の頃は驚きと不安と恐怖に翻弄されていたが、徐々にこの如何ともしがたい奇妙な状況を、ちょっと早めの冬将軍の到来といったような感覚で受け入れ、普段の真冬の日のごとく、日常生活を送るようになった。


 なんとか麓の村への連絡を試みようと、一度ダオニールが戸外へ出かけたこともあったが、一時間も経たずに這々の体で帰ってきた。一面の雪景色のため、もはやどこが山道かもわからないとの報告を受けてからは、誰も下山しようとする者はいなかった。


 次第に減っていく食料と燃料が皆の共通の心配事ではあったが、いざとなれば節約すれば二ヶ月は保つだろうと男爵が試算し、一同を安心させた。男手は館の周囲の雪かきを日課とし、特に裏口近くの厠までの経路の確保に努めた。また、館の裏手にある、薪や炭を保管してある小屋へのルートも同様に除雪した。ちなみにその薪小屋には、哀れなレルバックの遺体が安置されていた。


 あまり大したこともなく、囚われの日々は過ぎていったが、冬の護符発動から五日後の夜、ついに異変が起こる。



「あなた、起きて! 起きて! 大変よ!」


「うーん、どうしたんだ?」


 深夜三時過ぎ、二階の寝室の、天蓋付きの豪華なベッドで眠りこけていたセイブルは、嵐のように自分を揺さぶる妻の手によって、強引に目覚めさせられた。


「亡霊よ! 亡霊騎士が出たの!」


「はぁ? 何を馬鹿なことを言っているんだ?」


「私がいつものように先ほど起きて、厠で用を足して戻ってきたとき、一階の廊下の宝物庫の方から何やら物音がしたので、持っていたランプをかざして見ると、あの赤竜騎士団の兜が宙に浮かんで、こちらに向かってきたのよ! 私は大声を上げると、ランプを放り出して、こちらに命からがら走って戻ったのよ!」


 唾を飛ばしながら興奮して喚き立てる夫人の話を、男爵は極めて冷静に聞きながら、もうちょっとまともな夢を見て欲しいものだと蔑んだ眼差しで妻を見つめた。


「きっと寝ぼけてたんだろう。まだ真夜中だし、もう少し眠らせてくれよ……」


「ちゃんとしなさいよ! お客様たちに何かあったらどうするつもり!? 宝物庫の隣りは、エバミール子爵と娘さんが泊まっているお部屋なのよ! VIPよ!」


「うるさいな、わかったわかった」


 ついに根負けした男爵が布団から重い腰を上げたときである。


「キャーっ!」


 絹を引き裂くような女性の悲鳴が、明らかに階下から聞こえてきた。


「ほらあなた、私の言った通りでしょ!」


「わ、わかったから襟をつかんで首を締めないでくれ……」


 男爵はパニック状態の妻の巨漢を押しのけると、寝間着のまま、寝室のドアを開けた。


「何事ですか?」


 廊下の奥から、同じく寝間着姿のテレミンが、息急き切ってこちらに走ってくる。彼も二階で寝泊まりしていた。


「おお、テレミンくん、何かさっぱりわからんが、今の声は下からだったな?」


 騎士云々の話は伏せながら、セイブルは可愛い甥っ子に確認した。


「はい、あの声は、多分……」


「ルセフィ嬢だな」


「急ぎましょう!」


 彼らはランプを手に取ると、競い合うように館中心の螺旋階段へと急いだ。



 山荘の平面図は長方形をしており、一、二階とも横方向に真一文字に長い廊下が走り、その片側に部屋が並ぶ構造をしている。ただし、館の中央のみはほぼ正方形の玄関ホールとなっており、吹き抜けを貫く木製の立派な螺旋階段に沿って、壁巌に大理石の彫像が立ち並び、館を格調高く気品溢れるものに印象付けている。


 一階は玄関から向かって右手に、食堂や厨房、使用人たちの部屋、食料庫、そして廊下の突き当たりの裏口を出たすぐの屋外に厠があり、左手に、亡くなったレルバックの使っていた部屋、エバミール親子の部屋、宝物庫の順番で並び、廊下のどん詰まりはやはり裏口となっていた。


 男爵と少年が長い階段を駆け下りると、元レルバックの部屋の前に、白い寝間着姿の少女が仰向けに倒れていた。彼女の周りには使用人二人も既に駆けつけていたが、そこにはウィルソンの姿は見えなかった。


「呼吸と脈はしっかりされているので、気絶しておられるだけのようです。拝見したところ、特に外傷などもありません」


 ダオニールが、皆を安心させるためか、落ち着いた声音で説明した。遅れて駆けつけたコンスタン夫人も、神妙に彼女を見守っていた。


「もうそろそろ目覚められると思います。それにしても淑女の匂いとは桃の香りのように素晴ら……おっと失礼」


 執事が突如何やら怪しげなことを言い出しかけたが、背後からフィズリンが皆に気づかれないようにどついたので、妄言はストップした。


「うぅ……」


 その時、ルセフィの貝殻のように白い小さな喉が動き、瞳をぱちりと開けたため、一同は胸を撫で下ろした。


 しかし、「一体何があったんですか?」とのテレミンの問いかけに、「騎士の幽霊が……」と少女がか細い声で答えたため、セイブルの心臓は胸郭を突き破りそうに跳ね上がった。

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