カルテ28 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その4

「父さん! 父さん! しっかりしてください!」


 猛烈に吹きすさぶ季節外れのブリザードの中、瞼を閉じて青ざめたレルバックの顔を、テレミンは殴りつけるように何度も叩いたが、その貧相な男が目覚める気配はなかった。


「無駄だ、テレミン君。レルバックはもう事切れている。護符を使う魔力が足りない者が強引に解呪を行うと、すべての魔力を根こそぎ奪われ、即、死に至ると聞いたことがある。それより早く彼の遺体を持って館に戻ろう。ここに居ては我々も弟の二の舞だ」


 雪が積もったテレミンの小柄な肩を、セイブルが岩のような手でがっしりと掴み、諭すようにゆっくりと揺すった。


「……」


 年端もいかぬ少年は、冷たくなった父を叩く手を止めると、無言で身体を抱きしめ、すすり泣いた。



「そうですか……心中お察しします」


 なんとか無事山荘にたどり着いたセイブルとテレミン、それに物言わぬレルバックの遺体を出迎えた一同を代表し、ウィルソンが哀悼の意を表した。


「ありがとうございます。まぁ、いずれこんなことが起こるのではないかと危惧していたのですが……おっと失礼、テレミンくん」


 全身真っ白となったセイブルが、身体の雪を玄関で払いながら、父を亡くしたばかりの少年に詫びた。


「……いえ、おっしゃる通りです。本当に骨の髄まで愚かな父親でしたから」


 同じく粉屋のようになった少年が、やや項垂れながらも気丈に答える。


「それにしてもこの異常気象はいつまで続くんでしょうか?」


 早くも毛糸のショールを纏ったルセフィが、高価なビドロ板が嵌め込まれた窓の外の魂も凍りそうな光景を見て、独り言のようにつぶやいた。


「腐っても符学院で多少修練を積んだだけはあるため、おそらく弟の魔力程度でも、あの札は恐るべき威力を発揮し続けることだろう。わしに護符を売ってくれた老人の言うことには、もし魔女自身がそれを使ったならば、周囲数十キロ四方を数ヶ月間にも渡り吹雪が荒れ狂うだろうとのことだった」


「そ、それって……」


 テレミンが、死神に出くわしたかのような表情をし、乾いた声を絞り出す。


「そう、まさしく“冬”そのものを顕現させる究極魔法、だとな。まぁ、レルバックの魔力など、伝説の魔女と比べるべくもないが、この男も昔は一族で最も魔法の才を有するなどと言われておったのだ。しかし、そのため自惚れが増長して勉強もろくにしなくなり、都会で悪い遊びばかり覚え、ここまで落ちぶれてしまったわけだが……。とにかくこの雪嵐は、ここを中心に数キロの範囲で、数十日間は降り続く恐れがある」


「えっ、ここって麓の村まで歩いて半日はかかりますわよね、あなた!」


 初めてことの重大さに気づいたコンスタン婦人が、皆を代表して絶叫する。


「そうだ、つまり我々は、錯乱した愚弟のせいで、この山荘に閉じ込められてしまったわけだ……」


 男爵の血を吐くような声音に一同は声を失い、外では死を予言するといわれるバンシーの泣き声の如く、鳴り止まぬ風の音が響き渡っていた。



「ご主人様、お喜びください。食料は小麦、ハム、チーズ、乾燥野菜や果物など、数多く取り揃えられており、皆様が優に一ヶ月は過ごせるだけの蓄えがございます。小生の鼻で確認したところ、腐っているものはございませんでした」


 食料庫を確認しに行った執事のダオニールが、普段は一文字にきりりと引き締めている口元を珍しく綻ばせて食堂に現れた。


「薪や炭、油、冬服なども大量に貯蔵されております。おそらくひと冬は無事に超えることができるでしょう」


 館中の備えをチェックして回ったメイドのフィズリンも、一緒に並んで主人に報告する。


「そうか、二人ともご苦労。どうやら恐れていた、飢え死にや凍死ということはなさそうだな。ここは家畜を飼っていないので、新鮮な肉が食べられないという欠点はあるが、そこは我慢して頂きたい。あと、外の小川に水汲みや洗濯に出かけるのは不可能だろうが、水自体は雪を溶かせばよいだろう」


 セイブルはひとまず最悪の事態を回避できそうだという安心感を得て、安堵のため息をついた。


「ですが皆さん、外の厠に行くときは、くれぐれも用心なさって下さい。ご存知の通り館のすぐ目と鼻の先にございますが、吹雪の強さによっては視界が遮られ、帰り道がわからなくなる可能性もございます」


 ダオニールが、深刻を刻みつけたような顔で一同に忠告した。


「おお、それもそうですな。特に子供たちは危険だし、用足しの時は誰か大人に付き添ってもらったほうがよいでしょう」


 ウィルソンが、傍らで水を飲んでいる愛娘と、その向かいに腰かけているテレミンを交互に見やる。


「そんな、いいですよ僕は! もう十五歳なんですから」


「お父様、せっかくですが、私も遠慮いたします。もう十六歳ですから」


「そ、そうか……」


 二人に同時に反対され、やけに意気消沈した子爵の肩を持つかのように、セイブルが威厳を込めた野太い声を張り上げた。


「いや、エバミール子爵のおっしゃられることはもっともだ。昼間はともかく、深山の夜は真っ暗闇で、一歩先もわからなくなるときがあるくらいだ。用心に越したことはない、いいな?」


「「はい……」」


 未成年者組は不服そうだったが、意外と素直にうなずいた。

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