カルテ26 山荘と冬の護符と亡霊騎士 その2

 その日、山荘の主人ことセイブル・バルトレックス男爵は、家族及び山荘に招いた友人たちを呼び集め、館の一階にある、とある扉の前に立っていた。


「パントール!」


 祈りにも似た、男爵の厳かな詠唱が廊下に木魂すると、扉は生あるもののように、独りでに両側に開いていった。


「おお、これが魔法錠による扉ですか! 初めて見ました」


 セイブルの古い友人である、彼と同年代の白髪をオールバックにした男性こと、ウィルソン・エバミール子爵が、普段は糸のような細目を丸く見開いて驚愕する。首まで隠す乳白色のタートルネックのセーターは上等なバージンウールで編まれており、男爵同様、腰に護身用の短剣を吊り下げている。


「お父様、もそっとお声を小さくしてくださいまし。下品ですし、皆様に失礼ですわよ」


 ウィルソンの隣に並ぶ、十六歳程度の焦げ茶色の髪をポニーテールに結んだ少女が、横眼で彼を睨んでたしなめる。まだ子供ながらも気品あふれる顔つきで、鳶色の澄んだ眼もとからは、既に貴婦人の威厳と知性を感じさせるほどだ。青いドレスもよく似合っているが、可愛いというよりは、ちょっと近寄りがたいほど。ウィルソンの溺愛する一人娘、ルセフィ・エバミールだ。


「まあまあ、ルーちゃん、い~じゃないの。実は俺も中を拝むの初めてだし、パパがちょいと興奮しちゃうくらい、大目に見てあげましょ~よ。な、テレミン?」


 セイブルの弟こと、天下御免の居候、レルバック・バルトレックスが、小さな淑女の頭を右手でぽんぽん軽く叩きながら、左手で同様に、傍らに立つ息子のテレミンの頭を気安く叩く。


「やめてくださいよ、父上。身内なのに今まで宝物庫を見せてもらえなかったのは、貴方に信用がまったくないからでしょうに。あと、ルセフィさんに対して馴れ馴れし過ぎますよ」


 テレミンが、父親の手の甲をきつく抓りながら、凛々しい眉をしかめ、渋い声を漏らす。


「いえ、テレミンさん、お構いなく。符学院では、亡くなった私の母はレルバックさんの先輩だったと伺っていますので気にしませんわよ。正直むかつきますけど」


 深窓の令嬢が慎ましやかに答えて彼の父親をかばったため、少年はちょっと頬を赤らめた。おかげで最後に彼女がぼそっと呟いた毒台詞は耳に入らなかったようだが。


「おっ、さっすがルーちゃん、話がわかるじゃないの〜」


「では皆さん、中にお入りください。我々二人はここで待っております」


 長身痩躯で漆黒のスーツ姿の老執事、ダオニールと、同じく黒尽くめのメイド、フィズリンが扉の両脇に門番の如く立ちつつ一同を促す。


「よし、では拝見させて頂くとしよう」


 既に室内に姿を消したセイブルとその妻の後を追って、ウィルソンが扉を潜り、残りの連中も彼に倣った。小柄なルセフィ嬢が門番の傍らを通ったとき、一瞬だけだが白髪の執事の鷲鼻がヒクヒクと蠢いた。


「うーん、穢れなき未成年の淑女の方は、果物にも似た不思議な甘い香りがするものですな。あなたも若い頃はそうでしたか?」


 一見堅物そのもののダオニールが、聞き捨てならない台詞を、こっそり相方のメイドにのみ聞こえる木枯らしのような小声で囁く。


「……全く記憶がございませんが、人様の臭いを嗅ぐのは程々になさってください」


 三十路のフィズリンはぶっきらぼうに答えながら、この臭いフェチの上司はこういった変態趣味さえなければとても良い人なのになぁ、と内心ため息を吐いた。



「おお……」


 燦然と輝く陳列品を前にして、皆、溜息しか出なかった。


 大きな孔雀石を惜しげもなく使った巨大な飾り壺、貴重な一角獣の角を彫って造られた運命神カルフィーナの優美な裸像、ダイヤやルビー、真珠、瑠璃など、あらゆる宝石を散りばめた赤竜騎士団団長の鎧一式、かつてガウトニル山脈に住んでおり人間を襲ったという人狼族を山狩りで滅ぼした時の体験談を先代の男爵が書いた稀覯本、まるで実物そっくりに描かれた吹雪のガウトニル山脈の風景画……。


「凄いじゃないか、兄さん! こんな国宝級のお宝をよくぞ集めたもんだ! どんだけ年貢をちょろまかしたんだよ!?」


 いち早く調子を取り戻したレルバックが、素っ頓狂な声を上げながら聞き捨てならないことをのたまう。


「不謹慎なことを言うな、馬鹿者。コツコツと領地の鉱山を開拓し、長年蓄えた収入で、徐々に買い揃えて行っただけだ。酒や博打や女に浪費するだけのお前と違ってな」


「あいたたた、やり返さなくてもいいじゃないかよ兄さん、トホホ……」


 パンチの利いた男爵の返しに、一同は吹き出し、場の緊張が解けた。


 それからは、皆積極的にセイブルにあれやこれやと質問し、男爵も楽しげに答えつつ、各々の品について説明した。やれ、この石はカイロック山の奥深くで採れた珍しいものだとか、あの鎧は懇意にしていた引退した身寄りのない老騎士が、亡くなる直前にくれたものだとか、男爵の父親は、この本に記された通り、無名の傭兵時代に人狼族を滅ぼすという偉業を成し遂げたため、男爵に取り立てられたのだとか……。


「この雪山の絵に微かに描かれている人たちは、一体なんなのでしょうか、男爵様?」


 一心に絵に見入っていたルセフィが、ほっそりとした指先で、画面下方の騎士らしき一団を指し示す。


「あっ、それなら僕、知ってますよ。カイロック山の亡霊騎士の伝説でしょう?」


 テレミンが、やや得意そうな調子で、男爵が答える前に素早く割り込んでくる。


「亡霊騎士ですって?」


「はい、昔、インヴェガ帝国の侵略に嫌気がさした王が、逆にこちら側から奇襲をかけてやろうと、無謀にも真冬のカイロック山を精鋭揃いの軍隊に超えさせようと企んだのです。しかし当然の如く作戦は失敗し、皆、道半ばで寒さと飢えのために死亡し、一人として生還出来た者はいませんでした。それ以来、雪が降ると、この山には無念を孕んだ騎士たちの亡霊が出現し、遭遇した不運な者は、彼らに喰われてしまう、という言い伝えがあるのです」


 少年は、やや恐ろしげな口調で、情感たっぷりに怪談話を一席ぶった。


「あら、よく知ってるわねぇ、テレミンくん」


 セイブルの妻、コンスタン・バルトレックスが、フリフリのいっぱいついた紫のドレスを揺らしながら、夫以上に大柄な体を少年に向ける。


「いえ、本を読むのが好きなものでして……」


 褒められた少年は、年相応な恥ずかしげな表情を浮かべ、俯いた。


「まったく、君が弟の所でなく、うちの家に生まれてくれたらよかったのにねぇ」


 セイブルも、温かな眼差しで真っ赤になったテレミンを見つめた。


「やれやれ、俺はお呼びでないってか……ん、これは何だ、兄さん?」


 ふてくされて部屋の隅に一人歩いて行ったレルバックは、そこに白銀に煌めく奇妙な護符を発見した。

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