カルテ24 逢う魔が時と虹色の護符

 午後五時になると、街は人妻のように昼の顔から夜のそれへと瞬時に切り替わる。北陸地方のX市にあるここ本多医院でもそれは同じだった。


 看護師兼受け付けの村井雫(二十六歳)は、ウェストミンスターの鐘が聞こえると、パソコンの電源を落とし、軽く診察室と事務所を掃除すると、女子更衣室のドアを開けた。ショートヘアを揺らしながら白衣を脱いで、大きめの胸元を晒していると、時々誰かに見られているように感じることがあるのだが、別にカメラがあるわけでもないし、気のせいに過ぎないと、頭を振って妄想を追い払う。きっと一日の仕事のストレスが一気に押し寄せ、神経がお疲れ気味なんだろう。


 私服のスーツ姿に着替えて待合室に行くと、ソファーのあたりに、大きく広げた新聞紙の背後から、白衣の足とモジャモジャ頭が突き出していた。


「本多先生、お先に失礼します」


 玄関とは逆の方向に向かいながら声をかけると、新聞紙は動かなかったが、そこから片手が突き出てひらひらと挨拶した。


「ああ、お疲れさ〜ん。戸締りはやっときますよ〜」


 雫は一礼すると、職員用出入り口を出て、足早に駐車場へと向かっていった。


 あの鳥の巣のような髪は、そろそろ散髪どきだと思うが、寂しいバツイチ男だし、誰も注意してやらないのだろうか、スクールカウンセラーもやっているというのに、学生たちに嫌われないといいが、そういえば牛車腎気丸という名の怪しげなペットを飼っているそうだが、いったい何の動物だろう、ちゃんと病気にさせず世話しているのだろうかなどといらぬ心配を頭の中でしてやりながら。



「さ〜てと、ではそろそろ夜の診療の部を始めるとしますか〜」


 ラックに新聞を突っ込んだ本多は、誰もいなくなったのを確認すると、外を一瞥した。窓からの眺めは茜色から群青色へと移行しており、いわゆるマジックアワーと呼ばれる時間帯に差し掛かりつつある。古来より人が逢う魔が時といって恐れた、彼岸と此岸の境目が朧げになる、神隠しの刻限だ。こんな時こそ次元の狭間の門が開かれやすくなると、本多は経験上よく知っていた。彼はそそくさと女子更衣室の中に入り、電気をつけると、一番奥のロッカーをコツコツとノックする。


「いいですか〜、開けますよ〜ん」


「はい、どうぞ」


「ではでは」


 ロッカーの鍵をガチャガチャと回し、グイッと扉を開けると、中には棺桶に入っているミイラのポーズをした、全裸の赤毛の美人が立ち尽くしていた。


「うわ、セレちゃん! ダメでしょ、服ぐらい着てなきゃ!」


「だってどうせ誰も見てませんし、この方が居心地がいいですから」


 慌てて手のひらで両目を覆い隠しつつ、くるりと後ろを振り向く医師に対し、セレネースは微動だにせず答えた。


「それにしても先生は、胸の豊満な従業員ばかり雇う性癖がおありですか?」


「あんたロッカーの隙間から何をチェックしてんだよ! とにかく早く白衣を着て、スタンバってちょうだいよ〜。そろそろ夜間診療始めるからね〜、あちらさんからの」


「はい、わかりました、先生」


 無表情のまま頷く彼女の胸元には、湿布のごとく、虹色に輝く護符が貼り付いていた。



「それにしても、今日は誰も来ませんね」


「まだ始まったばかりだし、もうちょっと焦らずじっくり待ちましょうよ〜」


「しかし、さっきから先生は何をしておられるんですか?」


 受け付けの後ろにある事務机に、雑多な品物を並べて愛しそうに眺めている本多に対し、さすがに気になったのか、白衣姿に着替えたセレネースは背後をチラ見しながら問いかけた。


「何って、今まで入手したお宝鑑賞に決まっているじゃないの、セレちゃ〜ん。少し片付けないといけないしね〜」


 そこには、色とりどりの護符や、エールの入った素焼きの瓶、布切れに包まれた毒針など、今まで本多医院を訪れた患者達が治療費代わりに置いていったありとあらゆる品物が、まるで博物館のように陳列されていた。


「……それってゴミばっかりじゃないですか? 先生に護符は使えないでしょうし……」


「なんてこと言うんだよ! せっかく皆が心を込めてプレゼントしてくれたものばかりじゃないか! お金じゃ買えないよ、これは!」


「……人間狩りが好きな伯爵の物真似はやめてください」


「おおっ、結構突っ込むようになったね〜、モーテルーっ!」


「……やめないとその汚い髪の毛に火をつけますよ。でも、こんなガラクタが何かの役に立つんですか?」


「さ〜ね〜、でも、護符系はあちらの方々にとっちゃあ貴重品だし、使い道あるとは思うんだよね〜」


「とにかく、大晦日にはいらない雑誌と一緒にまとめて捨てますから、それまでになんとかしてください」


「ひどいよ! 君だって護符引っ付いてるくせに!」


「私のは特殊な護符ですし、これがないと生きていけませんので……おやっ?」


 正面に視線を戻したセレネースが、窓の外の風景に異変を感じ、微かに驚きの色を声ににじませる。


「ん、どったの〜? 暴走トラックでも突っ込んできたの?」


「異世界に入ったという意味では一緒ですが、これは凄いですね……」


 なんと、外は一面の銀世界で、ブリザードが吹き荒れていた。

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