カルテ23 ルーン・シーカー その7

「生きる意味を失った愚かな魔獣は、自ら命を絶ちたいと思ったが、それは叶わぬ願いだった。動物兵器として造られた彼には、自死を禁じる暗示が埋め込まれてあったのだ。


 そして当てもなくフラフラと空中をさまよいながら、いつしか遥か南のラボナール平原まで辿り着いた。悲しいかな、魔獣としての人肉食の欲求は消えることはなかったが、この地に死にかけの人間の放つ臭いの残滓を感じ取ったのであろう、ここなら労せずして新鮮な人肉が定期的に手に入ることを、彼は確信しており、それは事実だった。こうしてハイエナの如き獅子は、竜巻に巻き込まれて死んだ、もしくは息絶え絶えのルーン・シーカーどもを喰らい、命を繋いできた。


 ところが十年ほど前、うっかり竜巻に自分自身が飲み込まれ、危うく死にかけたが、そこを魔女ことビ・シフロールに助けられた、というわけじゃ。魔獣は彼女に言った。命なぞ救わず、死なせてくれれば良かったものを。どうせ罪深い人生を送ってきたこの身、誰一人悲しむ者などいないのに、と。


 魔女は言った。お前が死んだら、お前に殺された妻子のことを誰が覚えていてやるのか、と。そして罪深いのならば、魔女の生涯の目標である、あらゆる災害や戦争や病気を消滅させる護符を生み出す手伝いをして、罪を償え、と。更に彼女は、名前を忘れた我輩に、フシジンレオ(死なぬ獅子)という名を与え、体内の魔力をコントロールして、人間の姿に戻る術を教えてくれた。これによってようやく我輩は耐え難い食人欲求を抑えることが出来るようになり、また、少しづつだが過去の記憶も戻ってきた。


 だが、喜びも束の間、今まで超人的な活躍を行ってきた魔女は、そのためか肉体を既に限界以上まで酷使し過ぎており、病を患っており徐々に寝込むようになり、視力も失い、数年前に我輩に看取られて身罷ったのじゃ」


「ひとつ聞いていいですか? 何故、ボクのことを助けてくれたんです?」


 話が終わりに近づいたのを察したシグマートは、ずっと疑問だったことを口にした。


「ま、偶然お主が我輩の住処に近づいておったため、目に入ったから捨て置けなかった、といったところじゃが……本当の理由は、もう予想がついておるんじゃろ?」


「……ボクの父親を食べたから、ですね」


 彼は被っていたオウムの羽飾りのついた帽子を、そっと震える手でさすった。


「誠にすまんかった。こんなことぐらいで許されるとは思えんが、これこそが真の罪滅ぼしだと、お主を見た瞬間に悟ったのじゃ。魔女に受けた言葉にし難いほどの莫大な恩を、誰かに少しでも還元したかった、という気持ちもあるがの。それこそ恩人を忘れず、心の中で共に生きる唯一の方法じゃろうて」


「……わかる気はします。貴方を許せるかどうか、まだわかりませんけれど、ボクも、罪を憎まないという、敬愛する魔女の遺志を尊重したいと思います」


 少年の声はやや掠れていたが、芯のあるしっかりとしたものだった。


「「ぐおっ!」」


 その時、突如左方向からの突風を受け、二人は同時にうめき声を発した。


 見ると、なんと後方のものとは別の、同じく左回りの竜巻が、急速にこちらへと突進してくる様が目に映った。


「二重竜巻か! しまった、悠長に昔話などせず、とっとと家に逃げ込んでおれば良かったわい!」


「なんか急にやっぱりあなたを殺したくなってきましたよ!」


「とにかく逃げ切るぞい……ゲホっ!」


 速度を上げようとしたフシジンレオだったが、強風とともに飛来した砂埃を飲み込み、盛大にむせ込んだ。次の瞬間、逆らい難い大いなる回転に飲み込まれた魔獣と乗り手は、無残にも別々に引き剥がされた。


「「ぐわあああああああああああっ!」」


 虫けらのように宙を舞い、もはや如何ともし難い状況に追い込まれ、死を覚悟したシグマートだったが、ふと、脳髄に針を突き刺すかの如き閃きを覚え、懐に手を突っ込んだ。


「あった!」


 紛れも無い翡翠色の護符。先日彼が命を賭けて作成した、竜巻を封呪した激レアなもの。だが、どんなに貴重なものでも、死んでしまっては持っていても何の意味もない。彼は、一瞬の迷いなく、大音声で呼ばわった。


「レザルタス!」


 淡く輝く護符から爆発的に魔力が迸ったかと思うと、左回りの大渦の中に、反対方向の右回りの竜巻が、ちょうど重なるように出現した。二つの風力はせめぎ合い、食い合って、たちどころにお互いの勢力を蝕み、無へと戻っていく。下へと落下していくばかりだった少年を見事にキャッチしたのは、赤毛の獅子の太い前足だった。



「なるほど、あの時魔女が竜巻を消し去ったのは、このやり方だったのか……」


 ようやく無事二つの竜巻を凌ぎ切ったマンティコアは、感に耐えない面持ちで、溜息を吐いた。


「さっきフシジンレオさんが魔女に助けられた話を咄嗟に思い出し、一か八かで実践してみましたが、割と上手くいきましたね。この平原では右回りの竜巻も左回りのものも出現するため、彼女は両方を研究しようとしたんでしょうかね、ハハっ」


 背中の少年は、何か吹っ切れたように笑った。


「しかしせっかく封呪した大事な護符を使わせてしもうて、悪かったの」


「なあに、あなたが力を貸してくだされば、じきに造ることができますよ。それよりもまず、幸福のクローバーを集めに、一緒に旅に出ましょう。この辺りには生えてないようですしね」


「わかったぞい! ならばまず、森の都ルミエールで巨乳エルフ探しじゃ! 待っとれよお嬢ちゃん! セクシー!」


「……やっぱ止めを刺した方がいいんだろうかこの色ボケ猫ジジイ」


 少年は氷のように冷たい口調でつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る