カルテ21 ルーン・シーカー その5

 セレネースは生命すべてを凍てつかせるような眼差しを老人に向けるも、何も言わず、本多に紙切れをいくつか叩きつけるように手渡すと、すぐさま診察室を後にした。閉めた時のドアの風圧で、一同は竜巻よりも激しい何かを感じた。


「本当は優しい娘なんですがね~、ところであの娘……セレネースちゃんに似た外見の女の子に会ったことってありません?」


 モジャモジャ頭を風になびかせながら、本多医師がよくわからないことを老人と少年に尋ねる。


「さあて、吾輩は魔女殿ぐらいしか女性を知らんが、全然違うぞい。お前さんはどうじゃ?」


「すいませんが、ボクもないですね。それがどうかしましたか?」


「ま、ちょっと人を探していましてね。さて、そんなことよりも検査結果っと……」


 急に話を打ち切った医師は、噂の受付嬢が持ってきた紙片に鼻先をくっつけながら目を通すと、にんまり笑った。


「動脈血ガスも低いし、右心負荷もあり、まず間違いなく肺塞栓ですよ。この病気は、さっきもちょいと言った通り、身体の大きな静脈や動脈に出来た血栓っていう血の塊が、血液の流れに乗って肺の血管をつまらせ、呼吸できなくしてしまうという恐ろしいもんなんですよ。ずっと同じ姿勢でいると発症しやすく、寝たきりの人に多いですね。足の静脈に血栓ができるってことですな。あとは、太っていたり、脱水状態や、骨折後なんかに起こりやすいですね。女性だと、妊娠で生じることもあります」


「ああ、それですぐ寝てばかりいたってわかったんですか!」


 シグマートは感嘆の声を上げた。まるで奇術師の種明かしを見ているようだった。


「ま、そういうことっス。左足が痛いのも、何も骨折のせいばかりじゃさそうですね。下肢静脈血栓は、左足に起こりやすいんですよ」


「ほうほう、素晴らしいのう。だが、防ぐ手立てはなんかあるんかいのう?」


 フシジンレオが、もっともなことを聞く。


「まず水分を摂って脱水を防ぎ、同じ姿勢ばかりとらず、足をこまめに動かすことですね。そして、抗凝固薬、つまり血栓ができないように血液をさらさらにする薬を飲むことです」


「お、そんないいものがあるのか。さすが異世界とやらは凄いのう」


「ですが、その薬はボクたちの世界には存在しないんでしょう? でしたら無くなったらどうすればいいんでしょうか? 確かここにはもう二度と来れないはずじゃ……」


「ノー・プロブレムです。実は、薬の代わりになるものが、ちゃ~んとそちらにもあるんですよ~ん!」


 シグマートの質問にも動じず、本多はくるりと椅子の向きを変えると、棚の本棚から、一冊の本を抜き取った。微弱な魔力を放つ、診察室にそぐわない、まるで絵本のような装丁の本の間から、彼は一本の萎びた草のようなものを取り出した。


「この腐りかけのスィートクローバーは、依然ここを訪れた、巨乳のイーブ……じゃなくてエルフさんから頂いたものです。彼女はこいつが大好物でして、食べていたら血が止まらなくなっちゃったんです。何が言いたいのか、もうわかりますね~?」


 天才少年は即座にピンと来た。


「そうか、つまり逆にそのクローバーを集めれば、血栓を溶かす薬が造れるわけですね!」


「イエ~ス、ザッツライ! おまけに、まだもう一つ予防方法がありますよ~ん。爺さんの大好きなものでっせ~」


「な、なんじゃ! はよ教えんかい!」


 さっきまで死にかけていた老人の鼻息が、急に牡牛の如く荒くなる。


「つまり……セクシーです!」



「どう? 吾輩、セクシーじゃろ?」


「はぁ……」


 左足に白いストッキングを履き、満足げにさすっている老人を眺めているうちに、シグマートは正直吐き気を催したのだが、ぐっと堪えて飲み込んだ。


「この弾性ストッキングは優れものでしてね~、足を締め付けることによって血液が下肢に溜まるのを防ぎ、循環をよくしてくれるわけなんスよ~。本来は女性の脚線美を強調するおしゃれアイテムだったんですが、機能的にも優秀なため、運動選手が使用したり、こうやって医療行為にも使われるようになったんですよ~。あと、強盗さんがマスク代わりに頭から被ったりするし、元強盗の爺さんにはちょうどいいと思いますよ~」


「強盗じゃなくてコソ泥ですよ!」


「まあまあシグマート、今更どっちでもええわい。しかしこんなにサービスして貰って悪いのう。一体どんなお礼をすればいいことやら……そうじゃ!」


 上機嫌のフシジンレオは、ローブの袖をごそごそ探ると、小さな布きれに包んだ、何やら細長いものを取り出した。


「なんスか、これ~?」


「吾輩のよく使う毒針じゃ。これでどんなに手強い相手でも、たちどころにあの世に送ることができるぞい」


「なんでそんな物騒なもの持ってるんですか!?」


「そんなことはどうでもいいじゃろ。吾輩はまだ沢山あるし、遠慮せずどうぞ」


「あまりこちらの世界じゃ使い道無いんですけどね~、ま、ありがたく頂戴しときます。お礼に予備のストッキングも何足か付けときますよ~」


「おっ、すまんのう。それじゃこっちも、以前魔女から貰った超強力魔法の黄色の護符も渡しとくぞい。どうせ我輩には使えんからのう」


「……」


 シグマートは、ストッキングと聞いて、忘れかけていた嘔気を再び再発しそうになり、思わずそっぽを向いた。

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