カルテ20 ルーン・シーカー その4

「いらっしゃいませ。ユーパンからのお客さ……」


「すいません、重病人なんです! すぐに診てください! お願いします!」


 赤毛の受付嬢・セレネースの言葉を遮り、引きずるようにしてなんとか老人を建物内に連れてきたシグマートは、雨でずぶ濡れになった身体も拭かずに、玄関中に響き渡る大声で懇願した。


「落ち着いてください、お客様。まずはお名前と症状を……」


 虚無感すら覚える表情のセレネースは、水平眉をぴくりとも動かさず、マニュアル的に対応した。


「ボクはシグマート・オーラップ! この人はフシジンレオ! なんか偽名っぽくて元コソ泥で怪しくて人の恋バナが好きですけど、悪い人じゃないですよ……多分」


「……なんかさりげなく吾輩をぼろ糞にこき下ろしておるのう、小僧」


 重症患者の老人が、苦し気な虫の息の下から、ぼそっと突っ込みを入れる。


「どうしたどうしたどうした~?」


 さすがに声が聞こえて気になったのか、診察室の中から吐き出されるように、白衣のモジャモジャ頭・本多医師が飛び出してきた。


「昨日あんまり寝てなくて、ちょっとベッドで仮眠してたのに、あんましうるさくせんでくださいよ~」


 眠たげに目をしょぼつかせ、白衣の袖で目ヤニを擦っている姿を見たセレネースの瞳から、何か凍てつくような波動が迸った……ように一瞬少年は感じ取ったが、そんなことはどうでもよかった。


「さっきから急に胸が痛くて顔が青ざめ呼吸もひどくて血を吐いて苦しんでいます! そういや前から左足も引きずってます! 早く! 危急存亡の秋!」


 わめき続ける少年に頷き返しつつ、本多は青色を通り越してどす黒く変色しつつある老人の顔を覗き込んだ。


「うんうんうん、わかったわかった。おい坊や、ひょっとしてこの爺さん、ずーっと寝たきりだったのかい?」


 モジャ夫の質問に、パニック寸前のシグマートの喉が一瞬つまりそうになった。


「な……なんでわかったんですか!?」


「んなもん診りゃ一発よ。こりゃ九割九分九厘、肺塞栓だな。足から血栓が飛んだんだろうね~。それが肺の血管に詰まったわけだ」


 老人以上に胡散臭い天パー男が、まるで見てきたように患者の体内について物語る。少年はあっけにとられていた。なんでそんなことがわかるんだ!?


「おいセレネースちゃん、すぐに酸素5リットルマスクで投与して、フィジオかなんか点滴つないでウロキナーゼ生食に溶いてぶちこんじゃっておくんなまし!」


「動脈血とECGもしますか?」


「もちのろんよ!」


「了解しました、本多先生」


「一度でいいから、『マスター』って呼んでくれない?」


「お断りします、ていうか絶対嫌です」


 連続殺人犯に対する獄吏よりも愛想の悪い受付嬢は、仮面様顔貌のまま、やおら立ち上がったかと思うと、その華奢な体からは信じられないようなパワーとスピードでもって老人をシグマートから奪い去ると、手早く車椅子に座らせ、即座に診察室の中に消えていった。



「いや~、発見が早くて本当によかったよ。ま、欲を言えば肺血流シンチグラムや、肺動脈造影検査や、造影CTやらなんやらして、確定診断をつけてからの方が確実なんだろうけどね~。でも、うちみたいな弱小貧乏底辺ボトムズ医院にはそんな大名マシンなんてなくってさ~。ま、何はともあれ結果オーライってことで、よかったよかった」


 頭を構成する重要な部品がいくつか欠落していそうな能天気な本多医師は、診察室のベッドに点滴につながれ臥床しているフシジンレオに向かって、まるで呪文のような理解できない台詞をバシバシとまくし立てた。


「なんやらようわからんけど、お主はすごい寝癖じゃのう」


 対する老人は、先ほどの苦悶の表情はどこへやら、顔色もすっかりよくなり、穏やかにとぼけたことを話している。シグマートは、渡されたふかふかのタオルで髪の毛をワシワシ拭きながらも、寝癖男の度量を測りかね、困惑していた。


 自分は今まで小さな世界の中で、天才と誉めそやされ、持ち上げられ、ちやほやされていたが、外の世界は未知数だと思い知った。いくら封呪の詠唱が上手く、護符作成に優れ、勇気と度胸を持ち合わせていても、目の前の二人にすらとてもかなわない気がする。まだまだ上には上がいるのだ。


「左足の方は痛みますか~?」


 医師と老人の会話は続いている。


「うむ、こっちはずっと痛いわい。実はのう、かれこれ十年程前に、竜巻に巻き込まれて死にかけじゃった護符師の持ち物を頂こうとした際に、吾輩もうっかり別の竜巻に飲み込まれてしまたんじゃよ。いわゆる二重竜巻というやつでな、たまに二つ同時にできることがあるらしい。そのとき飛んできた石に当たって、骨を折ってしまったんじゃ」


「そいつはよく助かりましたね~」


「お恥ずかしながら、そこに偶然、おっぱいの大きなお姉ちゃんがすたすたやってきてのう、あっけにとられる吾輩を尻目に、なんと竜巻の中に飛び込むと、何やら呪文を唱えて護符を使い、竜巻をきれいさっぱり消し去ってくれたんじゃ!」


「そ、その女性が、ひょっとして伝説の魔女なんですか!?」


 知らず知らずのうちに、シグマートも話に割り込んでしまった。


「おっ、よくわかったのう。というわけで、骨折はなんとか治ったが、今でも雨が降ったり寒くなると疼いて疼いて仕方がないんじゃよ~」


「なるほど、よ~くわかりました。爺さん、あんたセクシーな女性が大好きなんだね~」


「おうよ! その通りじゃ! さっきの受付の女の子も、もうちょっと愛嬌があると好みなんじゃがの~」


「……」


 いつの間にやらノックもせず、セレネースがドアを開けて老人の背後に無表情で立っていたので、シグマートはつい吹き出しそうになった。

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