カルテ19 ルーン・シーカー その3
その年の夏は雨が多かった。
「よく降りますね。もう三日も続いていますよ」
長雨にうんざりしてきたシグマートは、椅子に腰かけ自分の頭の包帯を取り替えながら、ベッドに臥床している老人に話しかけた。もうすぐ正午だというのに、枯れ木のようなご老体は未だに起き上がろうとはしない。
「この平原は南からの暖かい空気と北からの冷たい空気がぶつかる場所での、そのため雲や雨が生じやすく、さえぎるものもほとんどないので竜巻も発生しやすい、と魔女が言っておったわ。それにしても、確かに今年はちと多いのう、ふぁ〜っ」
フシジンレオは、生あくびをしながら答えた。最近、老人は、「雨が降ると、左足の古傷が疼くんじゃよ」とぼやき、床に臥せることが多くなった。この頃には幾分回復していたシグマートは、彼の代わりに炊事や掃除、近くの川に行っての水汲みや洗濯など、様々な家事をこなすようになり、いつしか寝たきり老人の介護人のようになっていた。
「しかし雨降りは退屈じゃし、ひとつ坊の好きな娘の話でも聞かせてくれんか? どんなのが好みなんじゃ?」
「なんでそんな学生みたいなノリになるんですか!? まぁ、ぶっちゃけますと、年上の方がいいですけどね」
「ほうほう、それで他には?」
「そうですね、色が白くって、耳が尖っていて、ちょっと冷たそうで……」
「おっぱいは?」
「そりゃ、胸が大きい方が……って何を言わせるんですかこのエロじじい!」
「おっと、すまんすまん。しかしやけに具体的じゃの。どこぞに一目惚れした相手でもおるのか?」
「い、いえ、一目惚れってほどじゃないですけどね。以前森の都で出会ったエルフのお姉さんに、光の護符を売ってあげたことがあるんですよ。エルフなのにけっこう巨乳だったのでびっくりしちゃって、よく覚えていて……」
「ほぅ、そいつは確かに妙じゃのう。是非一度拝見してみたいもんじゃて……うっ!」
楽しそうに馬鹿話に興じていた老人が、突如胸を押さえて苦しみ出したので、シグマートは慌てて立ち上がると老人のベッドに駆け寄った。
「どうしたんですか、フシジンレオさん!」
「きゅ、急に胸が痛みだしたんじゃ……く、苦しい……」
老人は冷や汗を垂らしながらなんとか言葉を絞り出すと、血痰を吐いた。胸元を掻き毟る指先は震え、顔面は血の気が引き、蒼白と化している。体内に何らかの異常事態が起こったことだけは間違いない。
「しっかりしてください! 胸の話なんかするから……ってそのせいじゃないけど! くそ、いったいどうすればいいんだ……」
フシジンレオの萎びた背中をさすりながらも頭をめぐらすシグマートだったが、何一ついい知恵が浮かんでこない。医学に関しては、怪我の救急処置程度しか、符学院では教わらなかった。
とりあえず冷たい水でも汲んでこようかと辺りを見回しコップを探していたそのとき、急に凄まじい魔力を家の外に感知し、彼は総毛立った。
「な、なんだ、いったい!?」
獣のようにうめき続ける老人のことはもちろん心配だが、初めて経験する強大な力に、磁石に引き寄せられる砂鉄の如く抗うことができず、「ちょっと待っていてください! すぐに戻ります!」と言い残して、彼は寝室を飛び出すと、玄関のドアを押し開けた。
「し……白い家!?」
なんと墨を流したような黒雲に覆われた平原のど真ん中に、雨に打たれる二階建ての白い建物が、白昼夢の如くひょっこりと出現していたのだ。あらゆる神に誓って、そんなものは今朝外を見た時には存在しなかった。
「ひょっとして……」
今まで聞いた昔話や、本で読んだ伝承が、身体中を駆け巡る血のように、急激に脳内を突き抜ける。そういえば、この前森の都ルミエールの酒場で出会ったドワーフも、何かこんなことを言っていた。
「白亜の建物・ホンダイーン! すべての病いを癒すという伝説の……」
叩きつけるような雨粒に髪や包帯が濡れるにも関わらず、彼は玄関先に立ち尽くし、驚愕していた。が、すぐに我に返ると、流星のような速さで家の奥へと引き返し、未だ苦しみ続ける老人にこう叫んだ。
「フシジンレオさん、すいませんがすぐ一緒に出掛けますよ! あなたは今まで白亜の建物を見たことはありますか!?」
「は……はくあ? 何のことじゃ、いったい?」
「どうやらなさそうですね、行きましょう! なんとかなるかもしれません!」
シグマートは老人に肩を貸しながらも、人間のみならず亜人種までもが広く知っている白亜の建物の言い伝えを、何故この文盲にしては聡明な老人が知らないのか、少しばかり不思議に思った。
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