カルテ18 ルーン・シーカー その2
「おや、気づいたかの?」
シグマートが目覚めると、老人の皺だらけの顔が覗き込んでいた。珍しい灰色の瞳をしており、もじゃもじゃの白髪は厳つい顔と相まって、獅子のたてがみのようだ。黒いローブから突き出した両手は、樫の杖の上に置かれている。
「こ、ここは何処ですか……?」
ズキズキと痛む後頭部を押さえながら、少年はベッドから起き上がろうとした。確か竜巻に呑み込まれたような気がするのだが、その前後の記憶が混乱しており、どうしてこんな場所にいるのかさっぱりわからなかった。
「おっと、まだ寝ておったほうが良いぞ。お主は飛んできた小石が頭にぶつかって気を失って地面に倒れたため、我輩がここまでなんとか運んできたんじゃ。ちなみにここは我輩の家で、岩で出来ており、竜巻に飛ばされる心配もないぞ」
言われてみれば、確かに周囲の壁は滑らかな岩肌で、古ぼけたタペストリーがかけられ、本棚や机が見られる。ただし奇妙なことに、内部は天井からの不思議な光で満ち溢れ、輝いていた。
「この明かりは……光の護符によるものですか? それにしては光力が強く、ずっと持続しているようですが……?」
さっそくシグマートは疑問を口にした。普通の光の護符は、効果は一瞬もしくは数秒程度で、せいぜい目くらまし程度にしか使えない。
「おっ、わかるか、少年? これは特別製の護符によるものでな、一度唱えると、数年間は効力を持続できるという優れものなんじゃよ。寝るときちょいと眩しいのが欠点じゃが、黒い布で覆い隠せば大丈夫じゃ」
老人はそう言うと、枯れ木のような腕を上げ、天井付近に貼ってある、黄金色に輝く護符を指し示した。
「す、凄い! お爺さんは護符師なんですね! ボクもそうなんですよ! 是非お話を聞かせて……」
興奮のあまりシグマートは頭の怪我も、どうして自分が高所から落下しても生きているのかという疑問も忘れ、布団をはねのけた。
「いやいや、我輩はローブなんぞ着とるがしがないコソ泥での、この家は、実は高名な魔女のビ・シフロールの隠れ家だったものじゃよ。我輩も、お前さんと同じく、大怪我を負ったところを彼女に助けられ、ここに運び込まれて居候になった、というわけじゃて」
「ええ、あのビ・シフロールが住んでいたんですって!?」
シグマートは再び仰天し、丸い目玉を更に真ん丸くした。一瞬で呪文を詠唱できる護符や、それを応用して作成した雷の護符など、様々な規格外の護符を生み出した伝説を持つ彼女は、人々を襲う銀色の悪竜を単独で退治したり、海沿いの村を押し寄せる津波から救ったり、英雄顔負けの偉業を行く先々で成し遂げていたが、10年程前に突如姿をくらまし、その後の行方は杳として知れず、各国が血眼になって探しているという噂だった。
「教えてください! 彼女は今何処におられるんですか?」
鼻息を荒げる彼に対し、老人は黙って床を指差した。
「えっ、地下……?」
「あの女性は数年前に帰らぬ人となり、我輩がこの家の床下に葬った。それ以来、我輩は墓守となって、ここを守っておるんじゃよ、お若いの」
うつむいた老人は乾ききった身体からは想像もつかないような重みを感じさせる深い溜息を一つ吐くと、改めて少年に向き直った。
「それはそうと、まずは自己紹介といこうかの。我輩はフシジンレオ。お主の名は?」
魔女死亡のショックから未だ立ち直れぬ少年は、心ここに在らぬ虚無的な表情を浮かべていたが、頭痛で我に帰ると、慌てて頭を下げた。
「す、すいません、ボーッとしちゃって! ボクの名前はシグマート・オーラップです! まだ駆け出しの護符師ですが、立派なルーン・シーカーを目指しています!」
「特攻野郎か……」
老人は眩しい瞳をした。
というわけで、少年と老人の奇妙な同居生活がスタートした。当初は頭の傷が癒えるまでの間、老人宅に厄介になろうと軽く考えていたシグマートだったが、魔女が遺したという稀覯本や、用途不明な謎の護符などに凄まじい興味を覚え、また、老人から聞く在りし日の魔女の話にも食いつきがよく、つい一日、また一日と滞在期間を延長していった。
それにしてもフシジンレオと名乗る老人は、かなり奇妙な男だった。苗字を聞いても教えてくれないし、名前がいかにも偽名臭い。また、いつも歩くときは杖をついて左足を引きずっているくせに、「ちょっくら夕飯を獲ってくるぞい」と言い残して岩屋を後にしたかと思うと、一時間も経たない内に、ウサギや狐などの動物の死体を杖の先にぶら下げて帰ってきた。
全く武器を携帯していないのに、獲物には必ず何かが突き刺さったような痕があり、老人は台所の椅子に腰掛け鼻歌を歌いながら、その部分を器用にくり抜くと、毛皮を剥ぎ、肉を切り捌いて、簡単なスープをこしらえてくれた。
「何か罠でも仕掛けてあるんですか?」と聞くと、「まぁ、そんなもんじゃ」と口を濁し、それ以上は教えてくれない。
あの不自由な身体で、どうやって罠を設置したり、獲物を回収しに行っているのか、疑問は尽きなかった。何しろ初めて会った時、記憶は朧げだが、確かフシジンレオは空を自力で飛んでいたはずだ。空中飛行の護符は、現段階では誰も造り出せたものがおらず、実現不可能とされていた。だが、そのことについて尋ねても、「大方怪我をした時に夢でも見たんじゃろう」とはぐらかされるばかりだった。
「失礼ですが、あなたは本当は優秀な護符師ではないのですか? 魔女から教えを受け、なんらかの理由でそれを秘密にしておられるのでは?」
業を煮やしたシグマートがこう問い質しても、
「いやいや、我輩は恥ずかしながら文盲でのう、まず字すら読むことができんし、とても護符について学ぶどころじゃなかったわい。この歳で読み書きから教わるのも恥ずかしいもんじゃし……」
とまともに取り合ってくれなかった。
「そういうお前さんは、何故ルーン・シーカーなどという無理無茶無謀な生き方を選んだのじゃ? 優秀なんじゃから、符学院とやらに残って研究の道を進んでも良かったろうに」
「それはボクの父がルーン・シーカーだったからです! 彼は当時作成困難といわれた大火の護符や、地震の護符など、数々の護符を生み出し、人々から崇拝されていました。しかしここラボナール平原で竜巻の護符を作成しようとして、命を落としたのです。彼の遺体は獣に食い散らかされ、辛うじて骨と頭部と、このオウムの羽根飾りのついた帽子だけが残っていました。ボクは、彼の無念を晴らすため、ルーン・シーカーを生涯の仕事と決めたのです!」
少年は、一点の曇りのない澄んだ瞳で、老人を見据えた。
「……」
老人は口を噤んだまま、何も答えなかった。
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