カルテ17 ルーン・シーカー その1
「やった! とうとう発生した! 十日間も待ったかいがあったよ!」
護符師のシンボルである黒のローブと同色の帽子を身に着けた少年・シグマートは、喜びのあまり、大声を上げた。草や灌木が生い茂り、所々に大岩が転がっているラボナール平原の上空に広がる巨大な積乱雲から、漏斗状の右回りの渦を巻く黒雲が地上まで垂れ下がり、こちらに向かって接近してくる。
竜巻だ。
周囲は猛烈な突風が吹き荒れ、立っているのもままならぬほどだ。あと少し近づけば、小柄な彼の身体など、側で舞っている落ち葉の如く簡単に空に浮かび上がってしまうだろう。それでも彼は一歩も引かず、懸命に踏ん張ってその場に留まっていた。その小さな右手には、何やら文字が書かれた翡翠色の護符が握りしめられている。
刻一刻と風力は強まり、彼のオウムの羽根飾りのついた帽子を吹き飛ばそうと鍔を捲り上げ、綺麗な亜麻色の巻き毛を曝け出す。にもかかわらず、彼はまだあどけなさの残る顔中に満面の笑みを浮かべ、右手首で帽子を押さえると、護符と同じ孔雀石のような輝く緑の瞳で迫りくる恐るべき気柱を凝視していた。
「見ていてよ、父さん! これでボクも立派なルーン・シーカーだ!」
そして彼は、封呪の詠唱を開始した。
炎、雨、風、日光、雪……護符魔法とは、こういった自然界に生じうるあらゆる現象を、そのごく間近で体験した者が、封呪を唱えることによって特定の護符に封じ込め、解呪を唱えることによってその力を解き放つという魔法である。但し、封呪の儀を執行できる者は、誰でも良いというわけではなく、魔力に満ち溢れ、多少のダメージを受けても物ともせず、勇気と信念を持っていなければならないとされる。国家の支援と保護を受けた符学院で勉学に励み、見事封呪の術を会得した者を、人は護符師と呼び、畏れ敬った。
中でも、雷や嵐や雪崩といった激しいもの、果ては地震や竜巻、噴火のような災害級の自然現象を自ら追い求め、封呪する者は、ルーン・シーカーと呼ばれた。わざわざ落雷の多い高山に登る者や、噴煙を上げる火山に向かう者、嵐の海に漕ぎ出す者など、一見命知らずにしか思えないやからばかりで、もちろん無残に失敗し、死ぬ者が後を絶たなかった。
だが、見事封呪に成功し帰還する者もおり、そういった冒険の結果作成された護符は、非常に高価な値段で売買された。言い伝えによれば、命と引き換えに隕石落下の護符をこの世に残した者や、大嵐に遭いながらも生き延び、護符を作成して億万長者になった者もいるとのことで、符学院ではルーン・シーカーのような危険行為を禁止しているが、彼らに憧れる者は決して少なくなかった。
符学院をたった十五歳で卒業した天才少年シグマートもその一人であり、ラボナール平原は、彼のようなルーン・シーカーを目指す者たちにとっては天国のような場所だった。ユーパン大陸の南方に位置するこの広大な平原は、周囲を森に囲まれているが、よく雨が降るにも関わらず、この地には高い樹木がほとんど見られなかった。なぜなら、ここは竜巻が非常に多く発生するからであった。
年間数十件もの竜巻が獣人族の住むラボナール平原で目撃されるとの情報もあり、一獲千金を狙う護符師たちが、この地を目指していった。また、最近北方のインヴェガ帝国が何やら企んでいるらしいという噂が彼らの情熱に拍車をかけた。一撃で万の兵士を吹き飛ばす大魔法は、どこの国もが喉から手が出るほど欲しており、貴重な護符を如何に多く所有しているかが、外交時の切り札や戦争の抑止力にすらなった。
というわけで、人喰い魔獣がかつて生息していたという噂があるにもかかわらず、チャレンジャー精神溢れる者たちは魔の平原に出かけて行った。しかし、見事竜巻の護符を作成し帰還した者は、現在のところ伝説の魔女ことビ・シフロールしか知られていない……。
「イーフェンバッカル・カデュエット・ボグリボース……ううっ!」
左手で様々な印を結びながら、営々と詠唱を続けていたシグマートだが、飛んできたゴミ屑が顔面に来襲し、つい封呪を中断してしまった。
「しまった、また最初からやり直しか……訓練でも、これほど激しい風の中でやったことなんてなかったしなぁ」
さすがの英才も、現実の脅威の前に、愚痴をこぼしてしまう。だが、その燃えるような双眸には、まだ諦めの色は宿っていなかった。
「なーに、災い転じてなんとやらだ。さっきよりも竜巻に近いってことは、今から封呪した方が、より強い魔法が手に入るってわけじゃないか。さ、やるぞ!」
再び両足をすっくと広げて仁王立ちになると、シグマートは護符をしっかりと持ち直し、改めて最初から唱え出した。今度はいくら物が顔や体に当たろうとも、一瞬たりとも止まることなく呟き続け、護符は次第に緑の輝きを強めていった。
しかし長時間をかけてちょうど封呪が終わった時、ひときわ大きな突風が、彼を身体ごとふわっと持ち上げたかと思うと、そのまま宙を舞うゴミと同じく、天空めがけてさらっていった。熱中のあまり、竜巻の暴風域に入っていたことに気付かなかったのだ。
「うわあああああああああああーっ!」
あまりの恐怖に叫び声を上げるも、巨人の咆哮のような風の音にかき消され、どこにも届かなかった。既に高さは十数メートルに達し、落ちたらただですまないのは一目瞭然である。
「父さん、結局ボクも、同じ運命みたいだよ……ゴブリンの子はゴブリンって諺は本当なんだね」
死を悟った彼は、目元に涙を浮かべた。哀れな亡父の無念を晴らそうと自分もルーン・シーカーを目指して頑張ったというのに、あの血を吐くような努力の日々は全て無駄だったのか……。
「おやおや、ゴブリンにしては可愛らしいぼうやじゃのう」
突如背後からから聞こえた声に驚いて振り向くと、涙で霞む視界に、宙に浮かぶ大きな老人の顔が映った。その直後、突然の頭部への衝撃に襲われ、シグマートの意識は途絶えた。
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