カルテ15 酒とドワーフと嫌な風 その3

「なるほろなるほろ、つまり足が痛くて酒にもちょっと弱くなったのでエール造りを断念しようとしたところ、アルコール依存者の腐れドワーフどもに泣いてすがられ、飲み比べであなたが負けたら引退してもよい、という変な話になったというわけでふかね〜、ゲップ」


 既にほろ酔い気分の本多は、やや呂律の回らぬ怪しげな調子で喋りながら、臭い息を吐いた。


「まぁ、大体はそんな感じじゃ」


 バレリンも、なぜか診察室にあった検尿用の紙コップにエール酒を手酌で注ぎながら、勝手に一杯やっている。


「ほころでうちの受付嬢、ちょいきつそうだけどと〜ってもキュートでしょ? あの娘にそっくりな人って今まで会ったことありませんか、ドワーフさ〜ん?」


「いや、そもそもうちの村にはドワーフしかおらんし、わしは村から出たことがないんじゃよ……あと、もうちょっとずんぐりした娘が個人的に好みじゃ」


「ほうですか〜。ほりあえず、あなたの病名ならすぐにわかりましたよ〜んパインツェル!」


「えっ、もうわかったのか! 教えてくれ!」


 酔いどれドワーフは、本多の意味不明なギャグは無視して、再び襲いかからんばかりにソファーから立ち上がろうとした。


「まあまあまあ、さっきの採血結果を見ても一目瞭然なんですがね。尿酸値が異常に高いんですよ〜ん、あ・な・た。そして足関節や膝関節に関節炎があり、おまけに耳介に皮下結節まであるときた。医師国家試験問題に出てもおかしくないくらいの典型例ですね〜」


「おっ、そういえば耳に何やらおできが出来ておるな!」


 座り直したバレリンは、ソーセージみたいに太い指先で、自分のやや尖り気味の日焼けした耳たぶに触れてみた。確かにいつの間にやら小さな豆のようなものが存在している。


「これ即ち、痛風に他なりません」


「ツーフー?」


「昔は贅沢病なんて呼ばれたりもしましたがね、風の強さが時々変わるように、痛みが強まったり弱まったりするのを繰り返すことから名付けられたとも言われます。身体の中に尿酸というものが多くなると、関節の中などにくっつき、そこを好中球っていう、異物を排除する身体の番兵みたいなやつらが攻撃し、結果的に激痛を引き起こすという仕組みですね」


 医師は酒で目の下を拭って刺激を与え、無理矢理意識を覚醒させると、先ほどとは打って変わって丁寧に説明した。


「どうすれば治るんじゃ?」


「な〜に、簡単なことですよ〜、これは酒飲みに多い病気なんですよ〜。エール、即ちビールっていうのは尿酸を作る元となるプリン体を多く含んでいるため、これを飲まなきゃいいんです。プリン体を身体の外に出す代謝経路に問題がある場合もありますが、どうやらドワーフさんはそこら辺はかなりよく出来てるようなので、まずはエールをやめるべきですね。ちなみにプリン体は肉や魚にも多いので、なるべく野菜食をお勧めしますね〜、言っとくけどプリンは関係ありませんよ〜ん、ヒック」


 早くも酔い覚ましの効果が切れたのか、本田の目がどろんと赤く濁ってきた。


「わわわわわしにエールを断てというのか!? わしの血ともいうべきエールを!? つまり死ねというのか!?」


 絶望と怒りのあまり血相を変えたバレリンは、恐るべき早業で本多の白衣の首根っこを引っ掴み、ギリギリと締め上げていた。


「ムギュギュギュギュ……! は、はなひを最後まで聞ひてくだはいよ〜っ! なにも全ての酒をやめろと言ってるわけじゃありませんって〜っ!」


「あっ、そうなの?」


 正気に戻ったバレリンが万力のごとき両手を離したので、本多はゼイゼイと荒い息を吐いた。


「ああ苦しかった……ちょっと吐きそう。いいですか、同じ酒でも、ワインは痛風にならないといいますし、焼酎やウイスキーのような蒸留酒もそれほどリスクを上げないので、飲んでも構わないと僕は思いますよ」


「ふむ、確かワインというのは南の方でよく飲まれる、ブドウから造る酒のことじゃな」


 バレリンはかつて商人から仕入れた他の地方の酒の知識を、酒樽の上に乗っかった置石のような頭から捻り出した。


 ワインはエールよりもすっきりした後味だが、甘いのから辛いのまでいろいろあり、様々な料理と合わせて味わうと聞いたことがある。彼も一度飲んでみたいものだと常々願っていたが、寒村のヨーデルでそんな高級品を買う物好きなどいないため、商人がわざわざ運んでくることもなく、話を聞いてはよだれが垂れそうになるのを我慢するのみだった。


「ありがとう、お医者どの! 生きる希望がモリモリ湧いてきた! 感謝する!」


 彼はまだ咳き込んでいる本多の両手を固く握りしめると、上下にブンブン振り回した。


「ちょっと、こっちの腕も痛くなるんで、千切れる前に離してくださいよ!」


「おっと、すまんすまん」


「なんかたった十数分の間に全身痣だらけなんですけど、僕……ま、一応尿酸値を下げる薬も出しておきますんで、しばらくはちゃんと飲んでくださいよ。聞いた話じゃ、そちらの世界のドワーフの方は皆うわばみ並みに酒に強いらしいですし、あなたも肝臓の値はすこぶる良いので、多分限界を超えて飲み過ぎただけだと推察します。摂生すれば、じきに痛みは引くと思いますよ。あと、水分もしっかり摂ってくださいね〜」


「そうだな、わしのように飲酒して身体が痛くなるものなど、村の中で見たこともなかったわい。そう言われると、仕事で人の倍は軽くのんでおったしのぅ。しかし、それにしても結局エール造りはやめねばならぬようだな。うーむ、明日の勝負、どうやってうまく負ければよいものか……」


「ああ、そんなことならお茶の子さいさい、つまり朝飯前、というか簡単ですよ〜」


「なにぃっ!?」


「おおっと、これ以上僕の怪我を増やさないでください! あなた力強いんだから!」


 医師は慌てて部屋の奥に椅子ごと後退した。

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