カルテ11 吸血鬼と怪鳥 その6

「うつ状態以上に躁状態は厄介な症状が多く、前者がひたすら内的方向に自分を責め立て、苦しめるのに対し、後者は外的方向に他者に迷惑をかけるのが特徴的ですね。気分の波をコントロールすることができるようになれば、そんなにイライラすることもなくなり、アホウドリなんぞ落ち着いて簡単にやっつけられると思いますよ〜」


「……わかったわ。とりあえず百歩譲って、あたしがそのソーキョクセーだとかいうのは認めましょう。だけど、どうすればいいっていうのよ!? この性格は生まれつきで、そう簡単には治せないわよ!」


 リリカは空になったパックを床に投げ捨てると、小さな顎をツンと反らして本多に詰め寄った。


「そうですね〜、う〜む」


 本多はくるりと椅子の向きを変えると、本棚から何冊か本を取り出した。


「例えばここにあるような、『アンガー・コントロール』−つまり怒りを自分で操縦するための本なんかを読むのもいいんですが、異世界人であるあなたには字が読めないと思うんですよね〜」


「そりゃそうよ! 何よ、役に立たないわね!」


 早速イライラして怒鳴りながらも、彼女は本多が書棚をいじった時、何やら難しそうな本が多い中に、一冊だけ、まるで童話のような表紙の本が混ざっていることに、やや興味をそそられた。しかもかなり分厚いその本からは、微妙に魔力を感じたようだが、気のせいだろうか?


「ごめんね〜役立たずで。でも、僕は読んでいるんで、ある程度内容を教えてあげることはできますよ〜。人に対して怒鳴りたくなった時は、十秒間口をつぐみ、楽しかったことを思い出してみなさい、とかね」


「楽しかったこと? あんまり記憶にないんだけど……」


 残虐極まる歴史を背負う麗しきバンパイアは、形の良い眉をしかめた。


「まあそう言わず、もうちょいやってみてください。他にも、何か腹が立つことを言われた時は、相手との間に透明な壁を想像し、自分は壁の中に守られているから大丈夫だとイメージするのもいいそうですよ。EVAのATフィールドみたいなもん……って言ってもわかんないっスよね。こりゃまた失礼しました〜」


「……他には何かないのかしら?」


 まさに本多の物言いにはイラっときていたが、それ以上に興味が湧いてきたリリカは、元から勉強熱心だったこともあり、つい、話を促していた。


「もちろんありますよ〜。薬剤的には、気分安定薬というものが効果があると言われています」


 彼は机の引き出しの中をゴソゴソと探ると、透明なケースに入った白くて小さな丸い物を取り出した。


「何これ、飴玉?」


「こいつは炭酸リチウムというお薬でして、躁うつ両方の気分の波を抑える優れものです。お勧めですよ〜」


 それこそまるでキャンディを子供にあげるように、にやけ顏の本多は錠剤を幾つかリリカに手渡した。


「はぁ、どうも……でも、これ、なくなったらどうすればいいの? ここって確か、どんな種族でも生涯に一度しか訪れることは出来ないんでしょう?」

 

 思わず受け取りながらも、彼女は根源的な疑問を口にした。


「よくご存知ですね〜。しかし、炭酸リチウムの代わりになるものが、あなたのすぐ近くにあるかもしれませんよ〜」


「えっ!?」


 彼女は心底仰天した。


「ひとつ、こちらの世界の昔話をして差し上げましょう。昔々、とある国の海岸のそばに、エフェソスという都市がありました。そこにある井戸の水を飲んだ者は、どんなに怒りっぽい人でも心が安らぎ、穏やかになると言われ、人々に魔法の井戸だと噂され評判になりました」


「ひょっとして……!」


 賢くて勘のいいリリカは、即ピンときた。


「そう、その井戸水には、炭酸リチウムが大量に含まれていたのです。実はリチウムっていうのは海水にたくさん溶け込んでいましてね、リチウム鉱山のない国では、海水からリチウムを精製したりしているんですよ〜。課長だか部長だか社長だか会長だかの島耕作に書いてありましたけどね〜。つまり、エフェソスの魔法の井戸では、海水が地面で濾過され、炭酸リチウムを多く含むようになったんですね〜」


「そうか! 我が居城の塩辛い井戸水を試しに飲んでみればいいってわけね! 人間のくせにやるじゃない、あなた!」


 彼女は光り輝くスーパームーンのような笑顔を見せ、自分より背の高い医師の肩をバンバンと叩いた。


「けれど、いくら薬でイライラを鎮めても、またあのクソ鳥が襲ってきたらきりがないけどね。まったく、どうしたものやら……」


 せっかく上機嫌となったリリカの表情に、再び重たい影が差し込める。


「その点については大丈夫だと思います。僕にいい考えがありますよ〜」


「何!? あたしのとっておきの極大魔法の護符でも傷一つつけられなかったあの怪物に対する策があるとでもいうの!?」


 彼女は衝撃のあまり、ソファーから転がり落ちそうになった。碧眼に戻った双眸は、飛び出さんばかりに見開かれている。もしそれが本当ならば、今すぐにお抱えの軍師にでも雇いたいくらいだ。


「フフ、殿、お耳を拝借」


 怪しさ限りないモジャ公は、声を潜めてドヤ顔をした。

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