カルテ10 吸血鬼と怪鳥 その5

「なるほど、ということは、その怪鳥ロプロスだかがあなたの住処に勝手に巣を作ろうとし、撃退しようとしたけれど逆に完膚なきまでにコテンパンにやられてしまって機嫌が悪かったんですね?」


「ええ、その通りよ! あー、思い出しただけでも胸がムカつくわ!」


 チューチューと、急速解凍した輸血用血漿製剤をまるでウイダーインゼリーの如く差し込み口から吸いながら、リリカはソファにふんぞり返ってまだ憤慨していた。


 身も世もなく泣きじゃくっていた彼女に根負けして、本多がぶつぶつ文句を垂れながらこのパックを与えたため、ようやく泣き止んで診察と相成ったところだ。


「僕も牛車腎気丸ちゃんっていう可愛いペットを飼っているけど、糞の後始末が大変だし、動物って本当に厄介ですよね〜」


「そんなもんと一緒にしないでよ! それにしても、これ、変な色だけど結構おいしいわね。お土産に一個いただけるかしら?」


 彼女は黄色い輸血パックを宝物の如く大事そうに握りしめ、ゆっくりと味わっていた。


「あいにくそれは非常時用の大事なものなんで、一つしかないんですよ。ここでは滅多に必要ないですからね。ま、ごく稀にあなたみたいな方がおいでになるから、念のため保存しておいたってのが実情ですが。実際に使うときは電子レンジで温めたりなんてしませんけどね〜」


 本多は苦笑いをしながら、少女にしか見えない異形の存在を観察した。こんなものが美味しく感じるとは、確かに彼女は本人が言う通り、吸血鬼の類に間違いないだろう。


「しかし失礼ですが、お嬢さんはずいぶん気分の波が激しそうですね。急にイライラしてカッとなっちゃったってことは、今までにもありませんか〜?」


「本当に失礼ね、あなた!」


 瑠璃の色に戻った彼女の瞳が再び紅蓮の炎に染まりかけるが、そこで彼女はハッとなった。先ほど忠臣のロゼレムに本を投げつけたり、骸骨を破壊したことが脳裏をよぎったのだ。


「……癪だけど、確かにあるわ」


 他にも以前の出来事を芋づる式に思い起こし、リリカは渋々自己の易怒性を認めた。あれはまだ、島の火山が休眠中で、町が存在し、人々が平和に過ごしていた頃の遠い昔だ。


 島を治める地方領主の娘に生まれた彼女は、まだ幼い時分に母親を亡くしたが、新たに来た継母に邪険に扱われ、次第に憎悪に囚われ、密かに邪教を崇めるようになった。そしてその秘密に気づき、彼女を叱る両親を怒りのあまり殺害し生贄として捧げ、自分も自死し、結果バンパイア・ロードに転生を遂げた。


 その後は彼女を見下してきた一族の者たちを皆殺しにして城を乗っ取り、吸血鬼を倒さんと城に乗り込んできた島民たちや傭兵どもも次々と血祭りにあげた。城と町との全面戦争になるかと思われた矢先に、突如火山が噴火し、高台にあった城以外は全て溶岩に押し流され、島は死の世界と化した。


 こういった血生臭い過去の記憶の数々は、不幸な生い立ちの所為ばかりではなく、彼女の性格が一因でもあったというのか?


「あなたは双極性感情障害という疾患だと思われます。以前は躁うつ病と呼ばれ、気分の上がる躁状態と、気分の落ち込むうつ状態の二つの極を持つ、気分障害ですね」


 本多医師は、いつの間にやらおちゃらけた態度を改め、神の託宣を告げる司祭の如く、悩める彼女に厳かに語った。


「気分障害ですって?」


「ええ、人は誰でも躁とうつの気分の波を持ちます。この揺れ幅が正常範囲なら特に問題はないのですが、波が大きく変動する場合、気分障害と呼ばれる疾患となります」


 彼はオーケストラの指揮者のように、人差し指を振って、空中にサインカーブを描いた。上方向が躁、下方向がうつということらしい。


「うつ状態が強ければ、人は考え込んで眠れず、食事も食べれなくなり、不眠、食欲低下、不安、抑うつ気分、意欲低下、倦怠感などの症状が生じます。あまりにも悪化すると自分を責め苛み続け、やがては自ら死を選びます」


「……」


 リリカは黙って彼の話を聞きながら、忘れられぬ虐げられていた屈辱の日々がフラッシュバックするのを感じた。


「しかし躁状態に入ると、初めは少し調子が良いと感じる程度ですが、やがて周囲が見えにくくなり、正確な判断が困難になります。徐々に自尊心の肥大、活動性の増加が現れ、やがて睡眠欲求の減少、多弁、思考がぽんぽん移り変わる観念奔逸、注意散漫など、他人から見ても異常と思われる症状が出現及び悪化し、ついには浪費や性的逸脱行動、易怒性、暴言、暴力といった、問題行動のオンパレードとなっていきます」


「むぐぐ……」


 彼女は可愛らしい爪を噛みながら呻いた。まるで直接見てきたように自分のことをあけすけに言われている思いがしたからだ。人間時代を含めれば、確かに彼女はうつと躁の波に翻弄され、激しい感情変化に悩まされ続けてきた。自分でもそのことがよく理解できた。

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