カルテ7 吸血鬼と怪鳥 その2

 海鳥は全長3メートルはあろうか、そこだけ黒ずんだクチバシは鋭く尖り、銀色の羽先はまるでナイフを並べたようだった。長い首は白蛇のようで、優雅な曲線を描いている。


「もう許さないわよ、不法侵入者め! 我が聖なる居城を貴様の汚い糞で汚すんじゃぁないっ!」


 地上に存在する物資で最も忌み嫌う銀を連想させる鳥の色に、真祖たる吸血鬼の、堪忍袋の緒が千切れ飛んだ。


 リリカはロゼレムから受け取った黒革のケースを胸元から取り出すと、鮮やかな手つきで中から素早く何かを抜き取り、両手を大きく広げた。手と手の間に扇型に、文字の書かれた色違いの三枚の護符が浮かび上がった。


「いくわよ、鳥頭野郎! カタプレス!」


 一段と大きな声で彼女が呪文を唱えると同時に、右端の薄緑色の護符が淡く輝き、激しい突風が吹き荒れ、まるで意識があるように、海鳥めがけて襲いかかる。


 しかし鳥はゆっくりと両翼を広げ、力強く羽ばたいた。たちまち凄まじい風が巻き起こり、突風とぶつかり合い、打ち消してしまった。


 海鳥は嘲笑うかのごとく、「クケーケケケ」と一鳴きし、首を左右に揺り動かした。明らかにこちらを馬鹿にしている。


「くっ、やるわね、化け物め!」


 吸血鬼たる彼女は自分のことを棚に上げて、相手を睨み据える。


「だがこれはどうかしら!? テグレトール!」


 再度の呪文詠唱とともに、今度は左端の灰色の護符が煌めきを放ち、無数の拳骨大の石つぶてが海鳥に突き進んでいく。


 だが無駄だった。人知を超えた魔獣は慌てず騒がず、広げた翼を震わせたかと思うと、なんと銀色の羽根を矢のように何枚も射出してきた。石は次々と羽根に当たって軌道を変えるか、撃ち落とされていき、残りの羽根が次々と、無防備なリリカに襲来する。


「なっ」


 咄嗟に避けようとするもかわしきれず、鋭利な羽根の切っ先が、リリカの左腕の肘から先を、まるで包丁で野菜でも切るように、ドレスごとスパッと切断した。


「こ……このド畜生めが! 誇り高きバンパイア・ロードの身体に傷をつけおったな! この世から貴様の全存在を抹消してくれるわ!」


 莫大なる憤怒と憎悪と屈辱の感情によって、彼女の碧眼は今や真紅に染まり、金髪は逆立ち、悪鬼羅刹の形相と化していた。


 リリカは残った右腕で、未だに宙に浮遊している赤い護符を指し示した。まさかこれまで使うことになるとは予想だにしなかったけれど、勝利を掴むためには致し方あるまい。


「数百年前、このイーケプラ島の火山が噴火した時、我が直接封呪した貴重な貴重な護符だが、もはや出し惜しみしている余裕はなさそうなのでな。食らうがいい、マドバー!」


 怒りに燃える彼女が呪いの如く吐き捨てると、最後の護符が微かに光り、太陽のように輝く真っ赤な溶岩の塊が出現し、徐々に膨れ上がっていった。


「灼熱の火球に呑まれ、骨も残さず灰と化すがよい!」


 しかしこれすらも海鳥の脅威とはならなかった様子で、口元をぷくりとリスのように膨らませると、黒いクチバシの切っ先から大量の海水を、迫りつつあるどろりとしたマグマに向けて吹きかけた。


「ごばぁ!」


 天をつんざく大音響とともに、火球が湯気を噴き上げて爆発した。いわゆる水蒸気爆発が生じたのであろう。哀れ、リリカの身体は衝撃に耐え切れず、バラバラに四散した。


 さすがの怪鳥も、爆発の直前に空高く舞い上がって難を逃れたが、城の屋上に飛び散った少女の四肢を一瞥すると、満足気に頷いて、そのまま海に向かって飛び去っていった。



「おのれ……おのれおのれおのれおのれクソ鳥めぇぇぇぇぇぇっ! 今度会ったら毛をすべてむしり取って塩を肌にたっぷりなすりつけてはらわた引きずり出して腹ん中に貴様自身の糞を山盛りに詰めて焼いてくれるわ!」


 ようやく身体が再生しつつあるリリカは、ズタボロのドレスを肩に巻きつけながら、傍目には斬新なメニューとも受け取れそうな怨嗟の声を吐き続けた。


 青色に戻った瞳からは滂沱の涙が石畳にこぼれ落ち、胴体と再結合した両手の拳は、血を流さんばかりにぎゅっと握りしめられている。


 長年苦労して入手した貴重な魔法の護符を三枚も浪費したにもかかわらず、あの化け鳥には傷一つつけられず、しかもみすみす逃してしまった。どうせほとぼりが冷めた頃、奴はまたこのテラスに戻ってきて、鳴きわめきながら糞を垂れ流すのだろう。


「しかしどうやってあやつを倒せばよいのかしら……悔しいけれど、畜生の分際でかなり知能が高そうだし、魔力も結構秘めていそうね。クソ、こんなに腹立たしいのは生まれて初めてだわ!」


 怒りのあまり、素足で石畳を蹴りつけたリリカは、せめて宿敵の姿が見えないものかとテラスを歩いて行き、塔の角を曲がった。


「……白い館!?」


 そこに彼女は、信じられないものを発見した。

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