カルテ6 吸血鬼と怪鳥 その1
ユーパン大陸の西にある絶海の孤島、イーケプラ島。
火山を有する岩肌に覆われたその島の、海に面した断崖絶壁の岬には、古来から石造りの城が立っていた。精緻な石垣の上にそびえる城塞は、長年潮風に曝されながらも堅牢さを誇り、襲いかかる波飛沫を跳ね返していた。
奇妙なことに、城門も窓も、どこにも見当たらず、あたかも罪人を閉じ込める牢獄のようであった。そして一際高くそそり立つ円錐形の尖塔の屋根は、海の色と同じ青い煉瓦造りだった。
この島には誰も人が住まず、近隣の漁民たちは恐れて近づかなかった。曰く、「島の古城には吸血鬼が住んでいる」と……。
窓一つない城内は、夜よりも深い暗黒に包まれていた。しかし、住人たちには明かりなど必要なかった。魔の眷属である不死たる彼らには、暗がりの中でも昼間のように物を視認できる能力が備わっていたから。
天蓋付きの、絢爛豪華な闇の臥所に寝転びながら、城の女主人は本を読んでいた。遥か昔に流行った、お姫様と王子様のラブロマンスものだ。
「何度読み返してもゾクゾクしちゃうわね〜、やっぱこの作者、天才だわ〜」
赤いゴシックドレスを身に纏った彼女は桜色の唇から、ホゥっと綿菓子のように甘い吐息を一つ吐いた。流れるような金髪は暗黒の空間でも煌きを失わず、透き通った肌は真珠のようだが、白さを通り越して死人のように青ざめていた。
また、その耳先はエルフほどではないがかすかに尖り、人間とは異なる存在であることを雄弁に物語っていた。年齢的にはせいぜい15、6歳にしか見えないが、その青い瞳はあたかも長久の月日を過ごした嫗のように、老成した重みを感じさせた。
「継母にいじめられていた女の子が、実はお姫様だったなんて、よくある落ちだと思ったけど、ここまで伏線張ってると、ちょっと感動しちゃうわよね〜。ね、お義母様たちもそう思うでしょ?」
騎士や姫君や護符師などが描かれたタペストリーで覆われた周囲の壁に、まるで服のように吊り下げられた真っ白な骸骨たちに向けて、彼女は魂も凍りつきそうな、冷酷な微笑を浮かべた。
が、外から響く動物の鳴き声に柳眉をひそめたため、笑みは崩れ落ち、醜悪な鬼女の顔がとって代わった。
「ええいうるさい! あたしの貴重な読書タイムを邪魔するなんて……!
ロゼレム! ロゼレムはいないの!?」
「リリカ様、お呼びですか?」
甲高い呼びかけと同時に、彼女の眼前に、何処からともなく黒いタキシードをダンディーに着こなした、オールバックの若い男が現れた。リリカと呼ばれた少女同様の尖り耳で、肌は青い瑠璃のようだ。
「またあの海鳥なの?」
「その様でございます。どうやらあの化け物鳥は、恐れ多くもこのイーケプラ城に巣を作ろうとしているようでございまして、あのように騒いでおります」
「ならばとっとと追い払って頂戴! もしくは焼き鳥にしてしまえ! あなたも護符ぐらいは持っているんでしょう?」
「それが、お言葉ですが、我々が何度か駆除しようと試みたのですが、あやつはあらゆる攻撃を弾き返し、しかも、取り囲もうとしても、空を飛んで海中に潜り込んで逃げてしまうのです。そして我々が撤退した後、再び屋上の潮降りテラスに出現し、不遜にも、あのように騒ぎ立てるのです」
「愚か者め!」
突如リリカが手にした本が宙を飛び、ロゼレムの顔面に命中する。彼は微動だにせず、「申し訳ありません、リリカ様」と抑揚のない声で慇懃に答えた。
「お義母様から庇ってくれたので、下僕にしてやった恩を忘れたの!? 貴様みたいな奴は、お友達と一緒に壁の飾りにでもなってしまえ!」
激怒した彼女は、金糸で唐草模様を刺繍されたフワフワのクッションを骸骨めがけて高速で投げつけた。哀れな人骨は規格外のスピードで襲いかかる柔らか物体の衝撃によってバラバラに飛び散り、毛の長い紫の絨毯上に転がり落ちた。
「もはや貴様ら下等種には任せておけん! 真祖たるこのリリカ・アクリノール・ゾニサミドが自らあの畜生に引導を渡してくれるわ! 護符を持てい!」
「はっ!」
下命を受けたロゼレムは、タキシードのポケットから革製の黒いケースのような物を取り出すと、女主人に恭しく捧げた。
「クロザリル!」
石壁の一部に手を当て、リリカがキーワードを唱えると、たちどころに壁が音を立てて左右に割れていく。満天の星空が頭上を覆い、もう少しで真円になりそうな、やや赤みを帯びた月が、女帝のごとく地上を睥睨していた。
外は城の屋上部分に当たる広大な場所で、見渡す限り磨き抜かれた石畳が敷き詰められていた。嵐の日にはここまで波が雨のように降り注ぐことから、「潮降りテラス」と呼ばれており、リリカのお気に入りだった。
その大切な場所に、白銀に輝く大きな鳥が、我が物顔でひねこびた流木をくわえ、せっせと巣作りしている姿があった。
「ギリっ……」
リリカはバラの花びらのように愛らしい口元から、鋭い牙を覗かせた。
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