カルテ5 白猿の爪痕 その5

 イーブルエルフはヴァイスエルフ、ヴィランエルフ、チャコールエルフとも呼ばれる褐色の肌をしたエルフ族の亜種で、数は極めて少ない。


 かつて悪に染まったエルフの成れの果ての末裔だとか、邪神を封じる罪深い種族だなどと言われ、ユーパン大陸では、かつてガウトニル山脈に生息していたという凶暴な人狼族同様に、他種族から忌み嫌われている。


 真実を暴露され、次句が告げなくなったミラドールは、「何をバカな」と言い返したかったが、この目の前の男はとても欺けないという諦観に心が支配されつつあった。


 何しろ彼女の朝ご飯を軽々と見抜いた魔眼の持ち主だ。


「……何故、わかった?」


 とてつもなく低い声で、念のため聞いてみる。


「そりゃ〜わかりますよ。以前エルフのお嬢さんが患者さんとして来られたことがありましたが、肉は一切口にしないし、あなたのようなメロンみたいにふくよかな胸をしておられず、モロ平野って感じでした……おっと、失礼」


「いや、気にしなくていい。続けてくれ」


 彼女は苦笑しながらも、さりげなくマントで胸を隠した。今度から気をつけよう。


「それでちょいと知的好奇心が湧いたので尋ねたところ、2、3発引っ叩かれましたが、どうやらエルフという種族は皆胸がそれほど豊かでなく、菜食主義だということを教えてくれたんですよ〜。あなた、さっき『獣の肉』を食べているって言ったでしょ? それにしても、知的探求も命がけですね〜」


「そうか……知らなかった。感謝する、異界の賢者よ」


 ミラドールは素直に頭を下げた。


「あなたになら話してもいいだろう。お察しの通り、私はイーブルエルフの両親の間に生まれた忌み子だ」


 彼女は初めて胸襟を開いて、春の日差しのように暖かい声音で本多に語りかけた。


 諧謔に溢れる医師は、黙って彼女の話に耳を傾けていた。


「人は私のような存在をチェンジリングとも呼ぶ。両親は褐色なのに、私だけ肌の色が、雪のように真っ白だったのだ」


「アルビノ、ですね」


「何?」


「いえ、生まれつき色素が薄い人のことを、こちらの世界ではそう呼ぶのです」


「そうか……本当にあなたは何でも知っているな」


彼女は心底驚いた表情を見せた。


「生後すぐ殺されていても文句は言えなかったろう。だが両親は、こんな私を愛情を持って大事に育て、立派に教育してくれた。イーブルエルフは邪悪極まりない外道の存在だというやからが多いが、それは根も葉もない言い伝えだ。仲間を愛し、ともに鍛えあい、正義を重んじる、素晴らしい種族だ。稀に、荒っぽい連中はいたがな」


 彼女は過去を懐かしむように、目を細めた。


「だけど、その肌のせいで居づらくなった、というところですか?」


「ああ、その通りだ。仲間たちは私に普通に接してくれたが、時々ぎこちないものを感じることがあった。しかも数ヶ月前に村の近辺に凶暴な白猿が現れ、仲間を襲うようになってからは、私との関係を囁き出すものも出てきた。普通のヴァナラは真っ黒な毛をしており比較的おとなしいが、白い毛なんてのは珍しいからな」


「それもおそらくアルビノでしょうね。こちらの世界にも、白猿の言い伝えはありますよ」


「多分そうだろうな。群れから追い出され、憎しみと怒りで狂暴化していったのかもしれん。とにかく村では、私のような忌み子がいるから、あんな白い化け物が呼ばれてきたんだなんて、口さがないやつらは噂した。その状況に嫌気がさして、私は白猿を殺すため生まれ育った村を去り、旅に出た。エルフと偽ってな」


「ああ、イーブルエルフは嫌われているから……」


「そういうことだ。私は何ヶ月も奴を追い、時に人間たちの街……確か森の都ルミエールとかいったが、そこに行っては様々な品物や魔法の護符などを購入し、本日、ついに倒すことに成功したのだ」


「で、今後はどうするつもりですか?」


「本心を言えば、故郷には二度と戻らないつもりだった。また同様のことが起こった時、白い目で見られるのはこりごりだったし、私なんかいない方が皆上手くやっていくだろうしな。エルフと偽り続けてずっと一人旅を続けるつもりだったよ。でも……」


「でも?」


「あなたのような異世界人にも見破られるくらいだったし、きっといつか失敗するだろう。また、街で聞いた噂だが、最近魔獣どもが狂暴化する事件が相次いでいるという。故郷では、私は名うての狩人だったし、村を守るためにこの力がきっと必要となるだろう。それに、私にはやるべきことが出来た。猿の首を持って、一度ふるさとに戻ることにするよ」


「やるべきこととは?」


「フフ……それは秘密だ」


 今までニコリともしなかった彼女は、医師に対して宝石のような笑顔を見せた。



 本多医院を辞去すると、ミラドールは再び森へと分入っていった。


 左手首には、肌にくっつく細長い布のようなものを数本傷口に貼られた上から真新しい白い包帯が巻かれていたが、もう出血は止まりかけていた。


 さすが異世界の腐った豆、恐るべき効能である。


 お礼に何を差し出せば良いのかと尋ねたところ、ふざけた医師は首を横に振ってモジャモジャ頭を嵐の中の大木のように揺らし、「さっき頂いたクローバーで十分っスよ。あと、あなたの心とね」などとキザな台詞を吐いていたのを思い出し、彼女はつい吹き出してしまった。


 しかし、ふと背後が気になって振り返ると、彼女は再び目を疑うことになる。


 やや陰ってきた草っ原の上にはあの白い建物は欠片も存在せず、名も知らぬ黄色い花が風に吹かれているだけであった。


「本当に言い伝え通りだったな……」


 ミラドールはそう呟きながら、あの口伝を教えてくれた、母の顔を思い浮かべた。


 さぁ、自分には大事な使命が出来た。


 一刻も早く故郷に帰り、大切な仲間たちに教えなければならない。


「腐ったクローバーは決して食べるな!」と。

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