カルテ2 白猿の爪痕 その2
「いらっしゃいませ」
天井にある謎の板から放たれる光に照らされた広い玄関には、用途のわからない木の棚や鉄製のカゴが置かれており、また、白い簡素な靴らしきものが揃えられており、ミラドールは戸惑っていたが、急に女性の声がしたので、思わず身構えた。
正面には革製のソファーが三列に並んでおり、その奥にある雑貨屋のカウンターを彷彿とさせる白い台から声がした。
台の向こうには、白衣を着た、セミロングの赤毛で碧眼の女性が座っていた。
歳の頃は二十代前半くらいだろうか、服を着ていてもわかるほどの豊満な胸をしており、こちらを凝視している細い眼の上の赤い眉は定規で引かれたように水平で、鼻筋の通った整った顔立ちをしているが、まったく表情というものが感じられず、まるで作り物のようだ。
玲瓏たる美人ではあるし、笑顔が似合いそうなのにな、とミラドールは脳裏に感想を浮かべた。
「『ユーパン』からのお客様ですね?」
無機質な女性が無機質な声で妙なことをミラドールに尋ねる。
「それはもちろんそうだが……ここだってそうじゃないのか?」
彼女は、何を当たり前のことを聞いているんだと訝しがった。
「では、今から問診票を作成いたしますので、私の質問にお答えください」
赤毛の女性はあくまで事務的に話を続ける。
「モンシンヒョウ?」
「この本多医院を受診なさったということは、何かお困りのことがおありなんでしょう? そういったことについてお話しくださればよいのです」
「ホンダイーン……なんのことかさっぱりわからないが、ここは一体何なんだ!?」
意味不明な展開の連続に対し、ミラドールはつい声を荒げてしまった。
「そうですね、ここはあなたの身体や心の病いについて治療するための施設です」
「治療……つまり、人間たちの神殿のようなところか?」
「治療を行うという意味では同じですが、方法は少し違いますね。別に神の奇跡に頼るわけではなく、薬物や医療行為によって心身を癒すのです」
「はぁ……」
人間の文化についてあまり詳しくないミラドールは、それ以上追求することも出来ず、相槌を打つだけだった。
「では、改めてうかがいます。あなたのお名前、種族、性別、年齢を教えてください」
「……」
ミラドールは逡巡するも、左手首の疼きが、治療という単語を聞いてからいっそう強く感じられ、我慢できず、ついに意を決した。
怪しさ極まりない空間だが、駄目で元々、治れば儲けものと考えれば、ここにちょっとばかり頼ってみるのも悪くはないだろう。それに、いざとなればこちらには武器や護符がある。
「私はミラドール。エルフ族、女、67歳だ」
彼女は受付嬢に負けず劣らず豊かなバストを反らしながら、威勢良く答えた。
「どういったことでお困りですか?」
「実は、先ほど森でヴァラナ……白い猿に爪で引っ掛かれ負傷したのだが、傷口から血が止まらないのだ」
そう告げながら彼女は赤黒く染まった布に巻かれた左手首を赤毛女に突きつけた。
「わかりました。では、採血を行いますので、そこの椅子に腰掛けてお待ちください」
「サイケツ……?」
「検査に使用するため、皮膚に細い針を刺して血を少しばかり採らせていただきます」
「ええっ!?」
針と聞いて、彼女はやや動揺した。身体に針を突き刺すなど、毒使いの吹き矢ぐらいしか思いつかなかったのだ。
「そんなことをすれば更に傷が悪化するのではないのか!?」
「別に傷口から採るわけではなく、血管のある部位を刺しますし、そんなに痛くはありませんし、何も身体に悪影響を及ぼしませんのでご安心ください。それとも、怖いですか?」
いささか挑発めいた受付嬢の物言いに、ミラドールはカチンときた。
「そ、そんなわけないだろう!」
「では、お願いいたします。ちなみに採血は、私、セレネースがさせていただきます」
赤毛女はにこりともせずに頭を下げた。しまったと思ったがもう遅かった。
「やれやれ……だが、思っていたほど痛くなかったな」
ミラドールは今し方採血を終え、小さな綿のようなものを当てられた右肘の内側をさすりながら呟いた。
蜂のように細い針を浮き出た血管めがけて速やかに突き刺すセレネースとかいう赤毛女の手口は、まるで熟練した暗殺者のようで、見ていてつい惚れ惚れとしてしまいそうになったほどだ。
「では、こちらへどうぞ」
「ああ、わかった」
セレネースの案内で、ミラドールはとある部屋に通された。
先ほどの広い玄関よりは小さかったが、天井に何やら光る細長い板が埋め込まれているのは同じであり、魔法の一種だろうと彼女は推測した。
彼女の先ほど使った光の護符は、若い人間の護符師から購入したものだが、あれは長い時間、呪文を唱えながら護符を日の光に当て、光の力を蓄積したものだと聞いている。
それを、魔力を有する者が、解除の呪文を唱えることによって、そのエネルギーを解き放つのだ。
護符魔法と呼ばれる分野の魔法であり、結構お手軽に使うことができるが、一度使うとただの革の護符となってしまうので、護符師に頼んで魔法を込めてもらわなければならない。
中々良くできた商売だといつも感心する。
妖精族も、かつては独自の魔法文化を持っていたらしいのだが、長久の年月の間に廃れていき、現在は極一部の一族にしか伝わっていないらしい。
また、視線を天井から室内に向けると、清潔そうな白いシーツで覆われたベッドが一台と、木製の本棚と茶色い革張りのソファー、それと、何やら灰色の金属でできた机が一つあり、その手前の黒い肘掛け椅子には、白衣をまとった黒髪黒眼の男が腰かけていた。
男は40歳前後であろうか、ボサボサ頭をしており無精髭を生やしていたが、やや垂れ目で表情は穏やかだった。
彼は首から黒い管をぶら下げており、その片側には鈍い銀色に光る丸くて平べったい物体がくっついており、反対側は二又にわかれていた。装身具の類いだろうか?
もっと奇妙なことに、彼は机の前に設置された、天井にあるのと似たような光る板に、何やらよくわからない、半透明の薄くて黒い板のようなものを貼り付け、じっくりと眺めていた。
こちらの入室に気づいている様子はまったくなく、何やら意味不明な言葉を壁に向かってブツブツとつぶやき続けていた。
「うーむ、何かの腫瘍の陰影かと心配したら、固くなった乳首じゃんかよこれ! おっぱい大きいお姉ちゃんだったけど、結構遊んでるな、こりゃ。しっかしいくつになっても読影って難しいもんだねえ〜」
幸いというべきか、彼の独り言は、さっぱり耳慣れない言語のため、ミラドールには解読不能だった。
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