第8話

 それから午後の授業が終わるまで、特に柊と特に目立った会話や交流はない。いつもどおりすぎて肩透かしを喰らった気分だ。授業中、柊を何気なく盗み見ても、クラスメイト達と談笑している姿を眺めると、昼休憩時のあれは幻かからかわれていただけなのでは? と自分の正気を疑ってしまうほど代わり映えしない。


 あっという間に放課後となって教室からは解放されたという充実感に溢れだす。帰り支度を終えて颯爽と教室から出ようとすると。


「大上くん」


 びくりと肩が竦んだ。ギギギ、と関節が擦れている機会のようなぎこちない動きで振り返ると怒っている様子の柊が仁王立ちしていた。


「あなた。なにをしようとしていたの?」

「え、なにって・・・・・・・・・」

「まさか私との約束を忘れたということ?」


 つまり、柊はこれから早速俺をモフりたいということか?


「いや、忘れていたわけじゃないけど」


 だってあれからなにもリアクションこなかったし。それにまだ三時間くらいしか経っていないんだから今日はなにもないっておもっても仕方ないんじゃないか?


 そんな葛藤も柊には伝わらないようで、眉間に皺が寄っていく。


「あれ、柊さん。どうかしたの?」


 クラスメイトの一人が、ただならぬ雰囲気の俺達を見かねたのか声をかけてきた。クラスでもカースト上位にいるグループの一人だ。


「山峰さん。特段なにもないわよ」

「そう? なんか珍しい二人が話してるな~~~っておもったんだけど」


 きっと山峰だけではないのだろう。彼女のグループの人達も他のクラスメイト達もいつの間にか俺達を覗っている。


「穏やかじゃない雰囲気だったし、もしかして二人になにかあるのかな~~~って」

「そんなことあるわけないじゃない。私はただ彼に委員長としての仕事を手伝ってほしいとお願いをしていたのに帰ろうとしていたから声をかけただけよ」


 ここまで顔色を変えずに嘘をつける人間初めて見た。おもわずゾッとする。


「あ、そっか」

「ええ。そうじゃなかったらわざわざ私がこの人に声をかける理由なんてないでしょう」

「そっか~~。じゃああたしも手伝っていい?」

「いえ。それには及ばないわ。あなた達は遊びに行く予定があるのでしょう? ほら、大上くん。これを片方持って」

「お、おう・・・・・・・・・」


 渡された書類の山をどっさりと受け取って、そのまま柊に追従する。クラスメイト達の無意識を装って射るであろう物珍しげな視線を背中に浴びるのを体感しながら。


「柊。ごめん。俺は別に忘れてたわけじゃないんだよ」

「どうかしら。あなたはこの高校だと空気のような存在なのだから記憶力も空気並みになっているのではなくて?」

「そんなことないって! だってあれからなにも言われてなかったし! いつスキンシップをとらせてほしいなんて話もしなかっただろ」


 通り過ぎる生徒達に聞かれないように、自ずと声のトーンが下がってひそひそと。


「そうか・・・・・・・・・それは盲点だったわね。ならあとで連絡先を交換しましょう。それなら今回みたいなすれ違いにはならないし」

「ところで、これどこまで運ぶ?」

「資料室よ。先生から鍵も預かっているわ」


 無言でいるのも、なんとなく気まずい。それでも誰かと一緒に歩くのすら久しぶりで話題が出てこない。


「そ、そうだ! 委員長って大変なんだな。昨日のプリント集めるのも委員長の仕事なんだろ?」

「なにがそうだ! なのかわからないけど、別に。大したことないわ。他にやることもないし」

「他の生徒達みたいに遊びに行ったりしないのか? よく誘われてるところ見かけるし。さっきの山峰もそうだろ?」

「優先しなきゃいけないときはそうするけど。大抵は断っているわね」

「優先って例えば?」

「委員会とか委員長の仕事とか。あと家に帰ってから予習復習」

「へぇ〜・・・・・・」


 なんとなくだけど、ぼっちっぽいな。俺と同じで。


「・・・・・・なにか失礼なことを考えていないかしら?」


 心を読まれたようなタイミングでギロリと睨まれてしまった。


「まぁ、いいわ。ついたわ。ここよ」


 たどり着いた資料室は蛍光灯がついてどこか薄ら暗く、室内に並べられているラックのせいで狭さしか感じない。


 慣れた様子ですいすいと隙間を縫うようにして進んでいく柊についていくのが精一杯だ。


 しかし、蒸し暑い。窓も締め切っていて風がないからかじっとりとした嫌な熱が篭っている。汗ばんですらきてマスクが湿ってきた。


「これでおしまいよ」


 ラックの中にしまい終えた柊の声に、心底ホットする。そのまま出ていこうとして体勢を変えた瞬間。


 ムギュ。


「・・・・・・柊さん?」


 見えなくてもわかる。一体柊がなにをしているのか。


「なにをしているので?」


 けど、あえて尋ねるしかない。


「あなたを抱きしめているのよ」


そんなことはわかってる。聞いたのはそんな事じゃない。なんでこのタイミングで抱きしめたのか真意を問いたいのだ。


「ここなら誰かに見られる心配はないでしょう」

「ちょ、おま」


 ダメだ。背中越しに感じる柊の体の感触が、主に胸が、頭に血を上らせていく。元々室温が高かったせいで余計に。


 しかも柊は顔を背中に付けているのか、生暖かい呼気が当たっている。




ドクン!



「ああ・・・・・・!」


 呆気なく人狼へと変貌してしまった。しかもまたマスクが勢いよく弾け飛んで煙たさに混じった柊の汗の匂いが鼻をつく。


「あああああああ! これよこれえええええ! ふうううううう!」


 もう俺の言葉は届いていないのだろう。冷静さも普段のキャラもかなぐり捨てた女の子がそこにいた。


「はあああああ・・・・・・やっぱりたまらないいい・・・・・・♡」

「ちょ、ま」


 ただでさえ狭くて動きにくい場所だったのに急に体重のすべてをかけているほど強烈なハグ。もしくは突進に体勢を崩す。咄嗟に身体を捻ったおかげで顔面から床にダイブするのは避けられたが、そのせいでとんでもないことに。


 仰向けになっている俺の上に、柊が乗っかっている体勢に。腰のあたりにお尻が当たっているから感触もさることながらむっちりと細い太ももが全面にさらけ出されている。もう少しでスカートの下が見えてしまう際どさ。


これって、騎乗位・・・・・・!


「んんんんんんんん!」


 とろんと蕩けているような表情の柊が、そのまま上体を傾けて俺に預けてくる。


 体が急に大きくなったせいでブレザーとワイシャツがはだけてしまった。そこに顔を埋め、もしくは手を滑り込ませ、蹂躙の限りを尽くしている。


「ちょ、待った! 待ってください柊さん! お願い!」


 もう人狼の事情とかそんなの関係ない。男としてどうしようもなく反応してしまう。緊張と興奮のしすぎでまともに抵抗もできない。


 どこまでも優しく、けどいやらしい気分を昂らせる肌と毛を撫で回す手つき。まるで発情していると錯覚する呼気、表情。それらは時間と共に激しく濃くなっていく。


「ふうううううう! あへ、あへえええ・・・・・・しゅごい・・・・・しゅごいいいいい・・・・・・」

「ひ、」


 もう柊美音なんてどこにもいない。欲望に呑まれるとここまで人間は堕ちてしまうのかという情けない姿。


 まともな思考なんてとっくに放り捨てているんだろう。だらしないを通り越して下品だ。口を大きく開けていて涎と鼻水を垂れ流し、舌がベロンと出ている。血走りながら瞳孔が開ききった目、ふたしかな言動。狂っているとしか形容できない。


 だが、それだけに留まらない。


「あ〜む♪」

「?!?!」


なんということだろう。柊は俺の体に舌を這わせだした!


ヌルッとした唾液とざらついた舌を高速で上下させ、体を舐め取ろうとしているかのように!


「んんんんんんんん〜〜〜〜!」


 しかも唇をおもいきりくっつけてそのまま強烈なまでに吸いつくという合わせ技まで!もう貪り喰われている気分!


 顔にまで及んで敏感すぎる快感と羞恥心で頭がどうにかなりそうだ!


「ちょ、や、やめ、ん。こ、この・・・・・」

「んはあああああ! あへええええ! んんんんん!」


 もはや抵抗しようという気力どころかただ与えられるゾクッ、ビク! という情けない反応をするしかできない。


「はあ、はあ・・・・・・」


 どうやら満足したらしい。呼吸すら苦しそうなザマで柊はぐったりと身を預けて、精神と体力を大いに削られた俺の上で身動ぎすらしない。


 徹底的に柊の好きなようにされた俺はなにか汚されたような悲しい気持ちでなすすべもない。


(もしかして・・・・・これからずっとこんな日々を送るのか?)


「あへ、あへあへ・・・・・・」


 未だまともに戻れていない柊を眺めていると、ゾッとする。


 ダメだ。とてもじゃないけど耐えられない。


「あ、あへ・・・・・」


 やっぱり協力関係はなかったことに。そうだそうしよう。


「あへ・・・・・・」

「柊! 待て! なにをしている!」

「あへ、あへへへへ!」


 あろうことか柊はブレザーとシャツのボタンを外しているじゃないか! 一体いつの間に!?


「もっと・・・・・・」

「はあ!?」

「もっとおおおお・・・・・・」


 まさかの二回戦?!


「ちょっと待ってくれ柊! 俺がもたない!」


 きこえていないのか、ゆらりとした頼りないふらつきで、なにかに取り憑かれたように薄ら笑いを浮かべている。



 こわい!


「もっと、おおお・・・・・・もっと味あわせてええええ・・・・・・」


 い、イカれてやがる! 


 なんなんだ!? こいつの執念は! 


「き、キチィ・・・・・・」


 だめだ、迫ってくる柊をとめることができない! またさっきみたいなことをされたら俺は死ぬ! 精神的に!


「なんだ、なんで鍵が空いているんだ?」

「!?」


(た、助かった)


 扉が開く音と第三者の発声。きっと教師だろう。


「え、」


 けど、急に正気を取り戻した柊はパチクリと目を開け閉めさせている。そしてサアアアア・・・・・・っと血の気を失っていく。完全に予想外だったことの証だ。


 よかった。正気に戻ったのか。


 ふう、これでひとまずは安心・・・・・・。


「おい。誰かいるのか?」


(できねえええええ!)


 まずい! きっと見ようによっては誰もいない資料室で男女が睦みあっていたようにしか見えないだろう。


 加えて今の俺は人の姿をしていない。大騒ぎになることは火を見るより明らか!

なんにしろ俺にとって万事休すだってことだ! というかさっきよりもヤバい!


「? こっちにいるのか?」


 ど、どうしよう。まだ人に戻るには時間がかかる。でも教師はすぐそこまで迫ってきている。


バサッとなにかが被せられて急に視界が真っ暗になった。


「え? え? なに――――」

「し、静かに。喋らないで・・・・・・・・・」


 手を引かれて、ゆっくりと立ち上がる。背中に回された手と支えられるような動きに柊が進む方向を誘導してくれているのか。


「こっちのほうから行けば先生が来る方向からとは別の道で行けるから・・・・・・・・・」


 くぐもった声に従い、ゆっくりと音を立てないよう移動していく。時折動く度に揺れる、おそらくブレザーの隙間から足下をたしかめられるけど、バクつく心臓が不安をかき立て、息遣いにさえ気を遣う。


「? なんだ? 誰もいないのか? おかしいな・・・・・・・・・」


 開けられたままの扉にようやく辿りつき、二人で抜け出す。振り向いて資料室から距離ができたことを確認すると、同じタイミングで二人とも駈けだした。

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