第6話

「遅かったのね」


 体育館ではとっくに昼食を食べ終えたんだろう生徒達が遊びに勤しむ音がこちらまで響いてくる。体育倉庫にほど近く、鬱蒼と生え散らかしている雑草や太陽を遮る木々、少しじめついた日当たりの悪さが人を遠ざける雰囲気を形作っている。歓声と内履きとボールが床を叩く音が物悲しく聞こえてしまうほど。


 けど、ここなら好き好んで来るような奴はいないだろうという絶交のスポットだ。

 先に到着していた柊は出入り口用の小さな段差から立ち上がり、スカートについた僅かな汚れを払い落とした。


「・・・・・・・・・・・・用件って、なにかな・・・・・・・・・」


 こんなことを聞かなくても、わかりきっている。けどもしかしたら、という一縷の望みを懸けて自分から正直に正体と事情を明かすことは避けたかった。


「まず、きちんとお礼を言えてなかったわ。ありがとう。藤田勝から助けてくれて」

「藤田?」

「昨日私に告白して乱暴してきた人よ」

「ああ。あいつか・・・・・・・・・」


 そんな奴どうでも良くなってしまっていた。というか半ば忘れていた。


「別に、俺は助けるだなんて大袈裟なことはしてない。ただ忘れ物しちゃって、帰ろうとしたら偶然・・・・・・・・・」

「それでもよ。あなたがいてくれなかったらとおもうと、今でもこわくなってしまうの」


 多分、嘘ではないだろう。不快さと怯えによる眉間の皺が深く刻まれている。


 男性の腕力が女性にとってどれだけおそろしいものか垣間見えた気がした。


「律儀なんだな。でも、本当に気にしないでくれ。モテるのも大変なんだっておもったくらいだし」

「・・・・・・別に。慣れているから」


  それって、前にも藤田に乱暴なことをやられたということか? それとも別の奴に?


 どっちにしろ、フラれたからって力にいわせて強引に迫るなんて、同じ男として信じられない。


「まぁ次からは断り方にも気をつけたほうがいいってことで。話が終わりならこれで――」

「それで本題だけど、あなたのあの姿はなんだったの?」

「・・・・・・・・・・・・」


 うん。やっぱりそうくるよな。


 半ば予期できていたから別の話題で気を逸らしたまま終わらせようとしたけど、誤魔化せなかったか。


「・・・・・・な、なんのことでしょうか」

「そこまで目が泳いでキョドっているとわざとかと疑いたくなるわね」

ジトッとした目つきについ腰が引けそうになる。

「私を押し倒して犯そうとしたとき、あなたの姿が犬みたいになってしまったじゃない」

「犯そうとはしてねぇよ!  事故だ事故!」

「それ以外は認めるということなのかしら」


 この女、鎌をかけやがった。


けど、まだ誤魔化せるかもしれない。いや、誤魔化すしかない!


 もしも柊に俺の正体や事情を知られてしまったら、クラスメイトだけじゃなくて全生徒まで広まってしまう可能性が高い。


 そりゃそうだろう。人狼なんて世にも珍しい存在が自分の学校にいたら気にならない奴がとうかしてる。


 注目を浴びることに留まらない。下手すりゃどんなことになるか。俺の家族や恵梨奈姉ちゃんにまで迷惑がかかる。


「もしかしてあなたの両親は犬にしか欲情しなくて獣姦して誕生したのかしら。だとしたらお気の毒様」

「人の親を勝手な想像で変なレッテル貼るんじゃねえ! 俺の両親はどっちも普通だ! 失礼だろ!」

「じゃあ悪の秘密結社に拉致されて改造された悲しい過去を持っているのね。それも発情することがトリガーとなるようプログラムされている。同情するわ」

「そんな日曜からやってるヒーロー物みたいな壮大な設定もねぇよ!」

「じゃあ元々こことは違う別世界の住人ということ?」

「生まれも育ちも地球人だ! 俺も御先祖様含めてな!」

「では昨日のあの姿はなんだったというの? 常識じゃありえないことを目撃したのだから、常識に当てはめても意味ないじゃない」


くそ、正論すぎてもはや言い返す術がない!


「て、手品だ!」

「手品?」

「そ、そうそう! 俺最近某動画サイトでマジシャンのチャンネルにハマっててさ〜! あのとき柊とへんなかんじになっちゃっただろ?! だから付け焼き刃で覚えたニワカ手品してみたら空気変えられるとおもってついやってみたんだ!」


 頼む。無理やりすぎる言い訳だっていうのは自覚してる。でももうこんな言い訳しか残っていない! どうかこれで勘弁してくれ!


「なるほど。手品だったの。それなら納得だわ」


嘘!? 通用した?! 自分でも信じられねぇよ!


「なら今ここでやってみてちょうだい」

「は?! む、無理だよ! だって仕掛けの準備もないし!」

「騙るに落ちたわね。種も仕掛けもないのが手品の謳い文句だというのに」

「どこで判断してんだ! あれは観客に対する前口上だ! 信じてるアホなんていねぇだろ!」

「あ、アホ・・・・・・」

「お前は信じてたのかよ!」

「・・・・・・と、とにかくあの手品をやってみせなさい!」


 遂には逆ギレしてきた。


 なんなの? 柊美音ってこんな奴だったの? もっと知的でお淑やかでクールなイメージだったのに。


 けど、なんだか妙だ。ここに来たときには感じなかったけど、今の柊にはどことなく切羽詰まった必死さがあるような。


「そ、そもそもなんで俺のことなんてそんなに知りたがるんだよ」

「・・・・・・個人的事情があるのよ」


個人的事情? なんだそれ。


(手品が大好きとかか?)


「さっさとやらないなら今から全校生徒にあなたに強姦されそうになったって噂を流すわよ」


(こ、この女! よりにもよって最悪な手段に打って出やがった!)


「どう言われても無理なもんは無理だ。今は」

「つまりできるタイミングがあるということね。いつ?」


 ちょ、しつこい!


「そういえばあのとき大上くん。マスクを外していたわね」

「!」


 おもわぬ指摘についマスクに手をやってしまった。そんな反応が柊には確信を与えてしまったのだろう。マズイ。


「そのマスクが仕掛けというわけ?」

「ちょ、やめろ!」


 あっという間に距離を縮められた。あまりの近さに胸が体に触れる。服越しであってもたしかな柔らかさと質量に意識が向くのは仕方がないことだろう。


 ドクン!


 バツン!


「く、くぅ・・・・・・」

「・・・・・・」


 呆気なく人狼の姿へと変貌してしまった。伸びた顔にマスクの紐が千切れ、弾け飛んだ。呆気ない最後に情けなさと恥ずかしさで泣きそうになる。


 ダメだ。もうこうなったら誤魔化すことなんて不可能・・・・・・。


「やっぱり・・・・・・」

「柊?」

「やっぱり、手品なんかじゃない・・・・・・」


 見開いた目の色に、驚愕はない。興味深そうにマジマジと見上げてきて、時間の経過とともにある輝きが宿っていく。


 徐に伸ばされた手が顔に触れる。ビクッとしたこちらの反応なんて無視して、スベスベの掌で優しく撫でていく。鼻、耳、頬。終いには首筋。反対の手で挟み込み、手で味わってさえいるようだ。


 熟れた手つきはこちらに配慮なんてなく、痙攣めいたビクつきがとめられない。女性と肉体的に触れ合ったことなんてない陰キャな俺には刺激が強すぎる。


 けど、そんな中でも着目せざるをえないのが柊の表情だ。


「こんなの、作り物なんかじゃ絶対ありえない・・・・・・」


 頬が上気しているのかほんのりと赤くなっている。息遣いが荒くなっていき、口角は涎が垂れそうなほどだらしなく釣り上がり怪しげな笑みをかたち作っている。うっとりと恍惚な瞳。


「この毛並み、触り心地、間違いない・・・・・・」

「柊・・・・・・?」

「やっぱり私の目に狂いはなかった!!」

「?!」


いきなり抱きしめられた。


「ひ、柊!?」


 ぎゅううう、と力いっぱい抱きしめながら頬擦りを。そして体毛の奥に届きそうなほど顔を埋めて深く長い深呼吸を繰り返す。両手であらゆる箇所をワシャワシャワシャワシャアアア! とまさぐられまくってくすぐったい。


「ちょ、お前なにしてんの!?」

「ふふ。うふふふふふふ・・・・・・」


 こちらのことなんて一顧だにしないで艶かしさしか含まれていない淫靡な音吐。明らかにおかしい。常人のリアクションじゃない。


「や、やめろ! やめて! やめてください!」

「はああああああ・・・・・・・♡」


 語尾にハートマークがつくような甘ったるい声にとろんと垂れ下がった目尻。ここまでくると恐怖しか感じない。


(なんだ? 柊はどうなっちまったんだ?!)


「尻尾・・・・・・」


 彼女の視線が後方のある一点に定まっているのに気づいてゾクっとした。ピン! と屹立した尻尾を反射的に両手で隠そうとするほど。


「ふふ、ふふふふふふふ」


 だが、既に遅かった。


「ふふふふふふふうあうああうあうあかおうああああああああ!!」


「ぎゃああああああああああああああああああああ!!」


 ヌッポヌッポチュブチュブちゃくちゅくヌメヌメじゅるじゅるごくごくでれんでろんのぐっちょぐちょんぐっっぽぐっぽジュリュリュ・・・・・・・・・ゴクゴク、ああああ――――♡ んはっ♡ ああっ♡ ギュイイイイイイン!! ブボ、ブボボボ・・・・・・・・・♪ ヌチョネチョ♡ ポオンポオン、しゃぷしゃぷ、ぐっぽぐっぼシャブシャブチュッチュシャップカミカミハムハム♡



 それからのことは、筆舌に尽くし難い。人を人とおもわぬ蛮行としか例え表せない柊に、耳を覆いたくなる擬音に絶叫を上げるしかなかった。


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