第5話 朱の刻

 赤く染まりし世界に四人が佇む。

 気温も下がり、昼間より冷たい風が吹く。

 今この時、いつ敵が現れるかもしれない中、緊張感が漂っているのだが……

「まさかクロワノールが膝枕してくれたなんて……本日幸運といったとこだね~」

 つい先程起きたヌーヴェルが変わらず軽口を叩く。

「たまには今回みたいに寝ようかな?」

 目覚めた時に感じた、ぷにぷにとやわらかくて暖かいクロワノールの感触が忘れられず、ついそのようなことを言ってしまう。

「……あくまで今回は特別よ? 次はないと思いなさい」

 闘いを控えてか、普段と違いぴりぴりした調子の声だった。また、ぴりぴりしてるのはクロワノールだけでなく、ルクリュやシャリテも同様だった。

「無駄口を叩くな。集中しろ」

「ヌーヴェル、いまはおはなしするときじゃないんだよ? しっかりしないとだめなんだよ?」

「はいはい、分かってるよ。緊張を解そうとしてるだけさ」

 一応弁解をし、その後は黙り込み無言のまま刻は流れる。

 唯一敵を感知できる介入を持つシャリテが何も言わないため、ルクリュ達はじっと待つしかなかった。

 その時間を、元来待つことが苦手なヌーヴェルは暇と感じ、緊張する三人を尻目に考え事にふけ込む。

 ――なんで奴らは毎回ヒトが通りにくい場所にしか現れないんだ? ヒトを狩るくせに効率的には狩らない。仮に出会っても逃げられるヒトが多いためその認知度は高い………つまり、小数のヒトに見せて多数のヒトに知られることが現在の狙い……? その結果起こることは―――

 ヌーヴェルの脳裏に一つの単語が浮かぶ。そして、そこからさらに起こる可能性のある出来事を想像するのは、面白くて仕方なかった。

 ――まあ、先への可能性は指揮できる指導者が奴らにいたらの話しで、今は荒唐無稽の話だな。あ、早速暇つぶしが無くなってしまった……。じゃあ―――

 次は何を考えようかと思った瞬間、沈黙を破る言葉が放たれる。

「…くるよっ!」

 言ったと同時に、ヴィルスと名付けられた<<ヒトを狩るモノ>>と呼ばれる敵が現れる。

 いや、僅かな前に何も居なかった場所に音も無く現れたのだから、突然発生したと言った方が正しいのかもしれない。

 彼らは頭部と胸部が癒合した外見をしており、ルクリュ達ヒトよりも1.5~2倍程大きな体をしている。

 脚は二つあるが指は鳥のように前三本、後ろ一本としたものであり、手は大きな鋏そのものだった。さらに、全身を守るようにぎざぎざした白い殻で乱暴に包まれている。

 その隙間からは彼らの目に見えなくもない赤い玉が何十も着き、それらがルクリュ達の方を向いていた。

「数と種類を。それと、どこに奴らがいるのか教えてくれ。それまでの刻は僕が稼ぐ」

 そう言ってルクリュは剣をにぎりしめ、ヴィルスに向かって突っ込んでいく。その速さは尋常のないもので、開いていた距離があっても一瞬にして敵に接近し、駆け抜けた時には胴体を一刀両断していた。

 そのままの勢いを殺さず、ルクリュは次々と敵へ斬りかかっては確実に倒していく。

「相変わらずルクリュは強いな~。もう近くの敵は片付きつつあるよ。で、シャリテどんな感じなんだい」

 ルクリュの圧倒的な強さを見ながら、変わらない調子で話しかける。

「う、うん。かずは、えと…ご…ごじゅうごで……いまはひとつみたい。いちも……ルクリュのむこうにみえるあのあたりにかたまってるのがぜんぶ」

 一方、シャリテは真剣な声で対応している。

「そうか…だったらクロワノールはこのまま待機。後でまた沸いて来るから、今はルクリュに任せて休憩していてくれ」

「ええ、わかったわ」

 闘いに関してのヌーヴェルの信頼は厚く、この時は誰もが彼の言葉を素直に聞き入れる。あくまで、闘いに限りだが。

「さてと、とりあえずこれをルクリュに伝えないと……」

 ルクリュのいる場所は声を聞き取るにはもはや遠くなっていた。だが、ヌーヴェルにそんなことは関係なかった。彼には音の介入があるからだ。

『ルクリュ。現在の数は五十五、種類はまだ一つで、残りは少し先に固まってるのだけだ。君だけで片付けてくれ』

 介入によって彼の口から出る音、つまり言葉がルクリュの元へと届けられる。それだけではなく―――

『分かった』

 戦っているルクリュからの言葉も拾うことができる。

 遠く離れたヒトと会話を交わす、これが音の介入の本来の使い方である。

 周辺の敵を全て倒したルクリュは、奥で固まっている敵へと駆ける。だが、向こうも最初とは違い迎え撃つ体勢をしていた。

 鋏が開き、切れ味の鋭そうな刃があらわとなる。そして、近づくルクリュ目掛けて腕を突き出そうとする直前、ルクリュの速さが急激に増した。風の介入を使い、自身を加速させたのだ。

 その結果ヴィルスは攻撃する前に斬られ、体が上下に別れることとなり消滅することとなった。

 ど真ん中に突入し、周囲を敵に囲まれた状況を作る。

「悪いが終わらせてもらう」

 力強い声が上がると、それに呼応して風がルクリュを起点として巻き上がる。ヴィルスが近づけない程の強い風をルクリュがまとう。

「風の刃よ、我が意思に従い敵を殲滅せよ!」

 四方八方から強風がヴィルスに吹き付けられ、風を受けたモノから順にバラバラの細々に切り刻まれた姿へとなっていく。

 逃げようとしても風の方が速く、抵抗しようにも形の無いものには抗えず、何も出来ずに切り刻まれていくしかなかった。そして残るのは数十に及ぶヴィルスたちの細切れである。

 それら細切れの全てが消滅するのを見届けてから、ルクリュは死の風を止める。するとそれを見計らったかのように、今まで居なかったはずのヴィルスが突如背後に出現する。

「!」

 攻撃を止めた隙を狙って、刃の開いた鋏がルクリュを襲う。が、ルクリュは下にしゃがむようにして回避。そこから切り上げる攻撃で、殻ごと縦一文字に斬って捨てる。硬そうな殻もルクリュの攻撃の前では無いも同然だった。

 周りに敵が見当たらないのを確認し、一度息をつく。そこにヌーヴェルからの声が入る。

『ルクリュ。二つ目の敵だが、君の周囲には十しかいない。左右の森に均等でいる。殲滅後、こちらにいる六十を叩いてくれ』

『了解した。そっちはなるべく相手をせずに連れて来てくれ』

『元からそのつもりさ』

 それで会話は終わる。ヌーヴェル達と合流するからには、出来るだけ早くヴィルスを倒したいところだった。けれどルクリュは焦らず、目についた方の森から片付けることにした。

「さてと、僕らはルクリュがいる方に移動だ」

「あら? その間わたしが戦わなくていいの?」

「ああ。今はまだいいよ。それより移動だ。シャリテ、行くよ」

「うん」

 介入を使い、ヴィルスの音がこちらに向かってくるのを確認してから、クロワノールを先頭に二人が続く形で歩き出す。

 ルクリュとの距離はそこそこあり、風の介入を使えない三人にそこまでは少々遠い。故に暇を持て余す男がいた。

 何か他にすべきことはなかったかを考えていると、思い出した物が一つあった。

 ――そういえば、あれのこと忘れてた。

 落とさないように懐に入れていた物を出す。丁寧に包まれていた布を解くと、花と鳥をかたどったかわいらしい髪飾りが姿を見せる。

「クロワノール。ちょっとこっち向いてくれないか」

「何かあ…えっ、なに? なに着けたのよ?」

 クロワノールが振り向いたところで手際よく髪飾りを着けた。状況をよく分からないクロワノールが髪に触れ、着けられた物を外して見る。

「これって……!」

「ああ。君がなにか買ってこいと言ってたからそれを買った。お守りだと思って着けてくれないかな?」

「……分かったわよ。だから話はおしまい。早くルクリュのとこへ移動しましょ」

 そう言って髪飾りを着けようとするが、なかなか上手くいかず見かねたヌーヴェルが声をかける。

「君はこういうのは着けたことないのかな…? だったら僕がするよ。ほら、こっちに渡して」

「着けたことぐらいあるわよ。ただ着けなれていないだけで、着けられないわけじゃないんだからね!」

 着けられないと思われたくないのか、慣れていないから時間がかかる。そう言いたいのだろう。

 しばし格闘するが、無駄に刻を流すことは良くないため、結局はヌーヴェルに助けてもらうことにした。

「……お願い」

 ばつが悪そうに髪飾りを差し出す。

「うん。すぐ終わるから」

 そう言って受け取ると、クロワノールの紅い髪に触れる。やわらかくて気持ちの良い感触に、つい指や手で梳かしたくなる衝動に駆られそうだった。又、ふわりと風に舞う髪から、頭が痺れるような匂いが届いたりもした。

「………うん。似合っている。かわいいよ」

 着け終えるとすぐに褒める。

「本当に~?」

「本当だよ。何でそんな疑いながら聞くのさ?」

「普段のあんたの行いを見てたら、誰でも疑うわよ」

「ああ、なるほど。もっと君に綺麗、かわいいと言えば信じて貰えるのか。つまり普段から言いたりなかったということだね」

「何でそうなるのよーっ?!」

 敵が近くにいないためか、今が戦いの最中だというのに、ヌーヴェルは呑気にクロワノールがいかに綺麗か、そしてかわいいかを説明し始める。

 恥ずかしげもなく話すヌーヴェルに対し、聞かされるクロワノールの方は恥ずかし過ぎて耐えられなかった。

「わ、わかったから……! だから早くルクリュと合流しましょう。ね? シャリテ、行くわよ!」

 早口でまくしたてた後、逃げるように歩き出すクロワノール。その歩みは、歩くというよりか早足だった。

「うん。おはなしおわったのならはやくあるこ。ヌーヴェルも」

「そうだね」

 苦笑を浮かべながらだが、ヌーヴェルも歩幅を合わせて歩き出す。

 ――逃げられたか……まあ、受け取ってくれただけでもありがたいからいいや。

「あ、そうそう。シャリテ、ちょっとこっちに来てくれないかな?」

「なあに?」

「失礼するよ」

「きゃっ!」

「ヌーヴェル! 今度はなにを……」

 振り返った先に見たものは、ヌーヴェルがシャリテを抱き上げた姿だった。

「何って…この速さだとシャリテが辛いだろう? なら僕が抱き上げて歩いた方がいいかと思ってね。シャリテ、いいかな?」

「うん。なんだかあたたかくて、シャリテうれしい……ルクリュにもしてもらいたいな~」

 抱き上げられたことに、子供のように嬉しがるシャリテ。そんな彼女にヌーヴェルが声をかける。

「ルクリュなら頼めばしてくれると思うよ。それよりもう少し安定させたいから、僕の首に腕を回して、身体を預けてくれないかい?」

「うん!」

 細い腕を回し、体重を委ねる。シャリテの全ての重さを感じたヌーヴェルは、優しく、決して壊さないように腕の中へと大切に納めた。その腕の中で、シャリテの笑顔が可憐に咲き誇る。

「よし、じゃあ行こう」

「……ねえ、だったらもっと速く歩いてもいいわよね?」

「えっ?」

「なによ。速く歩けないくせにそんなことしたの?」

「いやいや、僕は大丈夫だけど君の方が――」

「わたしなら大丈夫よ。ほら、行くわよ」

「ちょ、ちょっと待つんだ! もはやそれ走ってるも同然だよ!?」

 急変する態度に、彼らしくもなく焦ってしまう。

 シャリテにしっかり抱き着くように言った後、遅れないためにも走り出す。

 ――何で急に変わったんだ……? まさか…やきもちとかか?

「あ…またくるよ! すくないけどすごくちかい!」

 シャリテの言葉が終わると、三体のヴィルスが行く手を阻むように姿を現わす。

 これを見たヌーヴェルは戦うよりも逃げた方がいいと判断する。

「こいつらは時間稼ぎだ。僕の介入でこのまま通り過ぎる」

 走る勢いを強め、クロワノールの隣りに並ぶ。

 音によって相手の感覚を狂わせ、狙いが定まらないその隙に走り抜ける。こう考えていたのだが、クロワノールが思ってもいなかった言葉を口にする。

「いやよ! どうして勝てる数を前にして逃げるのよ!」

 そう言って、ヴィルスに攻撃を仕掛けるために、真紅の剣を炎の中から出現させる。その剣を握りしめると、炎が刀身に絡み付いた。

「待つんだ!」

「いやっ! 戦えないあんたは黙ってなさい!」

 ヌーヴェルの制止を聞かず、ヴィルスへと接近する。

「邪魔よ! 燃え尽きなさい!」

 向こうの攻撃範囲外から炎をぶつける。そして、怯んだところを刃ですかさず切って行く。切られた箇所から炎が噴き上がり全身を包まれ、それはヴィルスの身体が燃え尽きるまで続く。

 火だるまとかしたヴィルスが、もがき苦しむように暴れる。その拍子に散る火の粉が風に運ばれ、他二体に当たる。すると、当たった場所から炎が燃え広がり、たちまち身を包まれてしまう。

 こうして、赤い大地に三つの炎の柱ができる。せめてもの慈悲か、中のヴィルスはあまり間を置かずして昇華した。

「はい、おしまい。何が時間稼ぎよ。こんなんじゃ大した事ないわよ」

 凍りついた炎のような瞳が、ヌーヴェルを嘲るように見る。だが、彼はそれを別段気にしてはいない。どちらかといえば、彼女を案じる視線を向けていた。

 何故かその視線が、無性に彼女を苛つかせる。

「なに? なんか言ったらどうなのよ?」

「君は頭を冷やした方がいい。まあ、悪いのは僕だし、この責任は僕が取る」

「…何のよ?」

「後少ししたら分かる。それよりシャリテを頼む」

「……一体どういうことよ?」

 言葉の意味が分からず、苛立ちを忘れて尋ねる。

 シャリテも唐突に降ろされ、混乱を隠せない。それをほって置くわけにもいかず、クロワノールはシャリテの側へ行く。

「え……ええっ?! またこのちかくにでるよ!?」

「やはりそうなるか……」

 ため息を着くと同時に発生する。前方に二十。切り抜けられない程ではないが、苦戦する数ではある。

 ――まだ『つる』と『眼』は出てこないのか……。

「何で今になって……?」

「そんなことより、君はシャリテを連れて行くんだ。そのくらいの刻は僕にだって稼げる」

「えっ…ヌーヴェル!?」

 敵が詰めてくる前に自ら出て距離を減らす。大きな音を創ることによって、向こうの気を自分に向ける。それでも反応しない者には、相手の近くに音を創ることを繰り返し、意識をこちらに誘導する。音は常に絶やさず、不思議な音色を上げておく。

 こうして、全ヴィルスがヌーヴェルを注目することとなった。彼らはヌーヴェルを邪魔と感じたのか、近くのヴィルスは鋏で攻撃をし、離れたヴィルスは囲むようにして近づき、逃がさないように包囲してくる。

 微動だにしないヌーヴェルの横を鋏が通る。何度切ろうとしても、鋏はヌーヴェルを捕らえられない。それどころか、周囲から一斉で行った攻撃が、互いの鋏を切り付け合う結果となってしまう。

『今のうちだ。早く移動してくれ』

 懲りずに鋏を突き出してくるのを気にかけず、そう声を上げた。

『これなら援護した方が……』

『ダメだ。こいつらは攻撃した相手を執拗に狙う習性がある。今君が相手をして、疲れるのは良くない。だから行くんだ』

『……分かったわ。気をつけてね……それと、ごめんなさい……勝手なことして』

 そう言い残すとシャリテの手を取り、小走りでヴィルスから離れる。何体かのヴィルスは彼女らに気づくが、それをヌーヴェルは見逃さない。すかさず音で挑発行為をし、自分へと引き付けに掛かる。

 今の所は引き付けることに成功しているが、いつ奴らが離れるか分からないので、正直かなり気を使う作業だ。

 ――…面倒臭いな。けど、もう少しだけ頑張るか。後少しで…っと!

 あるヴィルスの鋏が、ヌーヴェルを捉えそうになる。まだ完全には無理だが、掠めるぐらいにはなりつつあった。掠るといっても、大きな鋏の前では、それでも充分な威力だ。

 ブオンと、空を切る音に狂気が徐々に混ざり始める。

 ――介入は……別段問題なし。つまり、向こうが上手く修正してるのか……ふむ、こいつらにも学習能力はあると、そうなる訳か。

 少しでも気を緩めたら危ない状況だというのに、暢気に感心してしまう。けれど、表情には鋭さがあり、何らかの考えを巡らせているようだ。

 止まることのない攻撃の中、ヌーヴェルが動く。包囲から抜けようと一瞬の間を狙う。しかし、ヴィルスに囲まれた状態では、包囲を一つ抜けてもまだ包囲されたままだ。

 包囲から出て来たヌーヴェル。そんな彼をこの機会とばかりに、今まで攻撃できなかったヴィルスが攻撃をしてくる。が、掠めることなく地を叩いてしまう。

 ――やはりそうなるか……なら、そろそろ抜けさせてもらう。

 修正される前に包囲からの脱出を試みる。ヴィルス達の激しい攻撃の中、散歩でもしているかのように歩いて行く。すぐ隣りでは地がえぐられ、大地の破片が中に舞っている。進路を塞ごうとするヴィルスを面倒臭そうに見て、歩く方向を変えて行く。そのような感じで進んで行き、後少しで包囲から抜け出せそうになった。

 その時、不意に風が流れ始めた。刻が経つと共に強まる風を感じながら、ヌーヴェルが口を開く。

「少々遅いよ。ルクリュ」

 風が流れてる方を向くと、細切れと化したヴィルス達の身体が視界一面に映る。やがて、自分の近くにいたヴィルスもばらばらとなり、風は止む。

「すまない。少しばかりてこずった」

「そうか。早速で悪いが向こうを頼むよ」

 近寄って来たルクリュに本来の仕事を告げる。助けて貰って感謝も言わないヌーヴェルだが、ルクリュは気にせずに二つ返事で引き受ける。

「分かった。後、二人は無事だから心配しないでいい」

 そう言い残して敵へと駆けていく。それを見送った後、シャリテからの言葉が届いた。

『ヌーヴェル』

『敵かい? 数と種類は?』

『うん。にじゅうごで、ぜんぶつるだよ』

『そうか、位置は……ああ問題ないな。クロワノール、頼んだ』

『ええ、任せてちょうだい』

『あまり力を使い過ぎないように』

『わかってるわよ。あんたも、奴らに襲われない内に早く合流してね。近くにいないと守れないんだからね』

 話しが終り、ヌーヴェルは急ぎ彼女達の元へと向かう。そんな彼を助けるように、風が背を押すかのごとく吹き始めるのだった。




 真紅の剣を握りしめ、つると呼ばれたヴィルスと対峙する。

 姿は白い球根の形をしているが、表面は刺々しい。

 根の部分からは何本もの長短のつるが生えており、上部にある赤い目のような物がクロワノール達を見下ろし、赤く発色する。

「シャリテ、危ないから離れてるのよ」

「うん」

「いい? 絶対にやつらに近づいちゃ―――」

 言葉が終わる前に、敵が左右の側面から一際長いつるを一つずつ生やし、軽くしならせてから攻撃をしてきた。

 空を切り裂く音を立てながら、クロワノールへと近づく白いつる。

「―――ダメよっ!」

 一度剣を消し、しゃがみ込む姿勢で前に走り出す。地を這うような走り方をされた結果、つるは虚しくその上を過ぎ去ってしまう。

 ヴィルスに近づいたクロワノールは、剣を再び炎から取り出す。そして、相手に引き戻す時間を与えない内に切り掛かる。

「はっ!」

 一太刀浴びせる。だが、硬い殻に剣が弾かれてしまい、傷一つすらつけられなかった。

 介入の発動が遅れ、力がない剣の状態で攻撃してしまったからだ。

 少し遅れて炎が刀身に絡み付く。

「やだ、またやっちゃった……」

 この間に、ヴィルスは根から生えてる短いつるで俊敏に後退する。それと同時に、長い方で攻撃をしてくる。

 素早く繰り出すつるは、相手に落ち着く暇を与えないほどだ。けれど、クロワノールは焦らず、冷静に回避していく。

 避けられたつるは地を叩き、大地が割れるような音を上げる。何度も叩きつけたせいで土埃が舞い上がり、次第に視界を遮られることとなった。

 大地の粉が周囲を漂う中、クロワノールの緊張は一層高まる。視界が効かない状況では、いつ、どこから攻撃がくるか分からない。かといって、この中を出て行ったところで、出た瞬間を狙われる可能性もある。

「…………」

 片手で髪を弄くりながら考えごとをすると、何かで髪の一部が固まっているのが分かった。何がついているのかと思い、それに触れて確認をする。

 ――あ……これ、さっき貰った髪飾りだわ。

 特に意味もなく髪飾りを撫で、思考はヌーヴェルのことへと移ってしまう。

 ――……どうして、わたしがこれを欲しいってわかったんだろ?

 今考えることではないと分かっていながら、クロワノールは考えを止めれなかった。

 ――そういえば、お礼を言いそびれちゃったな……。後、本当は似合ってるって言われて嬉しかったのに……。その後も、ヌーヴェルの言葉を聞かずに勝手に動いちゃったし……わたし…何やってるんだろう………

 ヌーヴェルがシャリテを抱き上げたところを思い出す。抱き上げられたシャリテは人形のようにかわいらしくて、ヌーヴェルとお似合いだと感じた。だが、それを何故か嫌だと感じた自分がいる。

 ――……何なの…この気持ち。わたし……一体どうしたんだろ?

 思い出したら、急に胸が辛くなってきた。

 短いとはいえ、クロワノールはヌーヴェルと一緒にいた。その間、彼は何人もの女性を口説こうとしたが、結局は一切手を出すことはなかった。だから、疲れさせない為とはいえ、シャリテに対して抱き上げる行為に出たことが、クロワノールには面白くなかった。

 ――…………わたしだってしてもらったことないのに……

『クロワノール。君は今奴らに取り囲まれつつある』

 そんなことを思っていると、ヌーヴェルからの声が届く。

『土埃が終わると、周りから攻撃がくるはずだ』

『へ…っ?! な、何で分かるのよ?』

 内心の気持ちを何とか切り替え、慌てて適当に疑問をぶつける。

『奴らの習性だ。確実に狩れるなら、そちらを選ぶ。現に包囲しようとしているから、晴れた瞬間に気をつけてくれ』

『そう。それより……シャリテは大丈夫なの?』

『さっきも言っただろう? 奴らは攻撃した相手を執拗に狙うと……今は全員が君に夢中さ。シャリテよりもね』

『あんなのに好かれても、全く嬉しくないわね……』

『だったら、僕に好かれる方が嬉しいかい?』

『それはどうかしらね~?』

 口ではそう言っていても、クロワノールの顔は正直だった。

『そこは普通、嬉しいじゃないのかな~?』

 ふて腐れた言い方が、どこか幼くて可愛いと思ってしまう。

『ふふ…っ! そろそろ晴れるみたいだから、軽口は止めましょ』

 ヌーヴェルの何気ない言葉が、先程の気持ちを嘘のように消してしまった。代わりに、何か暖かいものに満たされた気がする。

『そうか……クロワノール』

『なに?』

『大丈夫だよ。君は守ってるから』

『へっ? それってどういう―――』

 続きは言えなかった。

 風が吹き、土埃が晴れたところでつるが飛んで来たからだ。

「きゃあっ!」

 かわいらしい声を上げながら、横に避ける。

 来ると意識していても、襲い掛かるつるについ驚いてしまったようだ。

「も~、変な声出しちゃったじゃない!」

 驚いたのは最初だけで、そこからは淡々と避けていく。

 四方から攻撃されているとはいえ、ヴィルスはめったに一斉に攻めない。少しずらして仕掛けてくるのだ。だから、囲まれたとはいえ、決して避けられない訳ではない。

 ただ、それを冷静に見極めることが出来なければズタズタに叩かれることになるだろう。

 再び土埃が舞い上がりつつあり、視界が悪くなってきた。それでもヴィルスは手を止めない。そして、今一度視界が遮られることになる。

 今度は攻撃を止めず、土埃の中にいるクロワノールに容赦なく全員でつるを振るう。が、彼女を捕らえることはなかった。

 突如土埃が炎の塊へと変わり、つるが焼き尽くされてしまったからだ。燃やされるのはつるだけでなく、それが導火線となってヴィルス本体へと炎が走る。本体へたどり着いた炎は、たちまちヴィルスを飲み込み燼滅(じんめつ)させた。

「ふう……これでおしまいね」

 燃え盛る炎の中から、クロワノールが出てくる。

「消えなさい」

 その一言で、荒々しく燃えていた炎が蒸発する。

「やれやれ、君は仕事が早いね……」

「あら、ヌーヴェル。もう着いたの。思った以上に早いわね」

「……全力で走って来たからね」

「ふ~ん。だったら無理して、息つぎを我慢する必要なんかないわよ?」

「そ…そうかい……? だったら……」

 ヌーヴェルが大きく息を吸って吐く。これを何度か繰り返し、息を整える。

「シャリテ。大丈夫だった?」

「うん。ルクリュもだいじょうぶだよ」

 にこにこと、安心した笑顔を浮かべる。その無邪気な笑顔を見ていると、まだ戦いの最中だと言うのに、こちらもつられて笑顔になってしまう。

「よかったわね。まあ、ルクリュがやられることなんかないわよ」

 子供のように笑うシャリテの頭を、ついつい撫でてしまう。撫でられたシャリテは嬉しいそうに笑っている。

「ところでシャリテ。次あたりで奴らの増援も最後かな?」

「う、うん……たぶん……」

「ヌーヴェル。あまりシャリテに複雑なことを聞いちゃダメよ! 出てこなくなるまで倒せばいいだけでしょ?」

「そうは言うけど、これはとても大切なことなんだよ? どれだけ敵が出て来るかさえ分かれば、最後は二人で協力できる訳だし、それだけでなく―――」

「ああ~、もう。分かったわよ。だからあまり難しいことは言わないでちょうだい。頭が痛くなってくるわ……」

 頭を押さえ、憂鬱そうなため息を着く。これにはヌーヴェルも呆れるしかなかった。

「きつい言葉になるが、難しいからといって逃げていい訳じゃないんだ。少しずつでも理解するように努めてくれ」

「それはそうだけど……わたし、あんたやルクリュみたいに頭は良くないし……」

 髪を指でいじりながら、寂しそうな顔を見せる。ヌーヴェルを直視できず、視線は赤く色づいた大地へと落ち、目を伏せてしまう。

 先程まで、敵との戦闘で勇ましい姿を見せていたのが嘘な程、弱々しい姿を晒している。

「大丈夫だ。僕がいるだろう?」

 声をかけながら、クロワノールの近くへと行く。

「えっ?」

 顔を上げ、ヌーヴェルを見上げる。瞳に、自分が映る程近い距離で、ヌーヴェルが話す。

「君はやればできる娘だ。それなのに、自分を自ら縛っている。だからできないんだ。もし一人でできないと思っているのなら、僕が力を貸すよ。僕と一緒にやれば、できないことではないさ。きっと……君もすぐにできるようになる」

 昔聞いたことのある言葉にそっくりで、クロワノールが驚いて目を見開く。

「あ……んっ?!」

 頬に触れられ、小さく声を漏らし、少しだけ体を固くしてしまう。けれど、大きな掌から伝わる暖かい温もりが、クロワノールの固さを溶かしていく。

「君には僕がいる。だから、分からないことがあるなら僕を頼ってくれ」

 普段聞く声とは違う……自分のことを真剣に思っている声に、クロワノールの胸が高鳴る。

「ヌーヴェル……」

 頬に触れている手に、クロワノールも自らの手を重ねる。そして、目を閉じて温もりに身を委ねた。

「……ありがとう」

 恥ずかしくて、目を開けたままでは言えなかった。

 言った後、うっすらと細目でヌーヴェルを見るが、目が会うと恥ずかしくて直ぐに閉じてしまう。

「クロワノール……あまり魅力的な顔を見せられていると、唇を奪いたくなってしまうんだが……これは奪ってもいいってことかな?」

 いつものような軽い口調で、冗談を言って終わらせにかかる。ヌーヴェルの考えた通りなら、ここでクロワノールは呆れた声を出して離れるはずだった。

 が―――

「……いいわよ」

 クロワノールが受け入れてしまった。彼女は瞼を開き、開いた目を甘く細めてヌーヴェルを見る。

「考えてみたら、ヌーヴェルはいつもわたしを綺麗とか褒めてくれるし……それに、いつもわたしを見ててくれてる……さっきだって、わたしを気にかけてくれたんでしょ……? だから……そんなヌーヴェルになら…いいよ……わたしの唇…あげる………」

 話してる最中にも上気していく頬、潤んでいく紅い瞳。そして、とろけたような微笑みの中に見える、隠せない羞恥心。

 そんな顔で、夢を見ているかのような、甘い視線を向けられる。

「でも…ヌーヴェルは……本当にわたしの唇が欲しいの? わたしで……本当にいいの? もし、冗談で言っちゃっただけなら、止めていいのよ……? ヌーヴェルが、本当は嫌だったら……しないでいいから………」

 不安で泣きそうな、震えた声に罪悪感を覚える。

 あまり馬鹿な調子で話しを変えない方がいいと、ヌーヴェルは思った。不安を残すやり方では、彼女を傷つける可能性があると―――

「クロワノール、本当にいいんだな……?」

「……いいよ」

 やわらかく表情を緩ませ、心を引き付ける声で返事をされる。今の彼女はどこか艶かしくて、ヌーヴェルもいつものように振る舞えずにいた。

「目を閉じて……」

「………んっ」

「いくよ……?」

「きて……」

 近づく顔と顔。

 互いに重なり合おうと、言葉を出す場所が無言で語り、お互いを引き付ける。

 やがて、言葉が一つになろうとする瞬間が―――

「きたそうそう口を出して悪いが……紛いなりにも、戦いの場所でそういう行為は止めてくれないか?」

「ルクリュ?!」

「いい瞬間に……いや、悪い瞬間に来るんだな。君は……」

「するならせめて、二人きりで安全になってからしてくれ。シャリテには目の毒だ」

 ヌーヴェルは乾いた笑みを、クロワノールはきまりが悪くて、人に見られたくない気持ちだった。

 どちらからともなく、二人は離れてしまう。

 そんな二人を不思議そうに見ていたシャリテが口を開く。

「ルクリュ。ヌーヴェルとクロワノールはなにをしようとしていたの?」

「まだシャリテには関係のないことです。気にしてはいけません。いいですね?」

「う、うん……」

 聞くなと言わんばかりに、ルクリュは強引に話を締める。

「それよりシャリテ。次はいつ頃かな?」

「えっと……あとちょっと………かな?」

「ヌーヴェル、そんなことを聞いてどうするんだ?」

「なに、僕の考えだと次が最後だからね。さっさと終わらせたいんだ」

「ちょっと……あんたが戦ってる訳じゃないんだから、あまり簡単に言わないでよね」

 ひとまず、二人ともさっきのことは一時忘れることにしたようだ。何事もなかったかのように会話をする。

「仮に最後なら、僕一人で行く。クロワノールは休んでいて構わない」

「でも、わたし今日はあまり戦ってないのよ?」

「クロワノールはシャリテとヌーヴェルを守るのが仕事だ。君が二人の側にいるから、僕は安心して戦えるんだ。だから、二人を頼むよ」

「……わかったわ。ルクリュ、お願いね」

「ああ」

 話がまとまったところで、シャリテが現れる場所を指で差して声を上げる。

「みんな、いつもとちがうのがくるよ! すごくおおきいのがひとつくるの!」

 慌てるシャリテに、三人の緊張が高まる。シャリテが慌てる程のヴィルスなど、未だかつて見たことがなかったからだ。

 新たに出て来たヴィルスは、これまでのヴィルスを遥かに凌駕する大きさをほこり、自分達は虫けらの存在かと思う程の巨大さだ。

 長楕円形の体をしており、背面は盛り上がっている。ムカデのように無数に生えた足が山のような大きい体を支える。例外なく体は殻で覆われていた。だが今までとは違い、殻に隙間はなく、赤い目のようなものが前にしかついていなかった。

「うそ……こんなのどうやって倒せばいいのよ……」

「これは予想外の展開だね。まさかもう新種が現れるとは……ルクリュ、あれ倒せるかい?」

「倒すさ。そうでなければヒトが危ない目に合うからな」

「……まあ、あいつは腹に入れば倒せるな。ただし、入れたらの話だ」

「んっ? ヌーヴェルは戦ったことがあるのか?」

「まさか……あいつに音を当てたら、腹の部分が柔らかくて薄いって分かったからだよ。おそらくそこが弱点だろうね」

「ちょ、ちょっと! そんな簡単にあいつの下に入れるの?!」

「さあ? そこはルクリュの腕の見せ所だよ。ルクリュならできるだろ?」

「ああ。やってみせるさ。三人は下がっていてくれ」

「ルクリュ。きをつけてね……」

「ええ。僕なら大丈夫ですよ」

 不安げなシャリテを安心させるため、笑顔で返事を返す。

「クロワノール。シャリテを頼む」

「うん……気をつけて」

「ああ」

 そう言い残して、ルクリュはヴィルスへと駆け出すのだった。

 近づけば近づくほど、その大きさを思い知らされる。だが、ルクリュは気後れすることなく、走る速度を緩めずにヴィルスへと接近する。

 動きのなかったヴィルスだが、近づいてくるルクリュに気づき、大きな体を動かす。巨体とは裏腹にその動きは速く、ルクリュを見据えるとすかさず突進を始めた。

 大地を揺らし、もの凄い勢いで迫るヴィルスを、ルクリュは風の介入を使って瞬時に横へと避ける。

「なっ!?」

 ヴィルスは避けたルクリュを気にかけず、シャリテ達がいる方へと向かう。

「させない!」

 大地に手をつき、地の介入を行使する。すると、ヴィルスの前方に厚くて巨大な土の壁が現れる。

 その壁にヴィルスは躊躇なく突っ込む。盛大に大きな音を立て、体当たりに耐えられず崩壊していく壁。できたことといえば、ヴィルスを僅かな時間止めただけだ。

「今だ。沈めっ!」

 手にぐっと力を込め、ヴィルスの下にある大地だけを沈下させる。

 足元の地が沈んだことでできた穴に落ちるヴィルス。

 はい上がろうとするが、その前に決着をつけようとルクリュが駆け寄ってくる。

「これで決める!」

 腹の下に潜ることを諦め、炎で灼熱色に染めた剣を握りしめて力づくで倒しにかかる。穴を目前にして、切り掛かるために今一度握る手に力を込める。

『ルクリュ。上に眼が現れた。狙われているぞ』

「何っ!?」

 慌てて足を止め、穴に入るのを諦める。

 その瞬間、ルクリュの前にどろどろとした粘液が大量に降ってきた。粘液の当たった部分からは白い煙りが上がり、そこの大地が無くなって行く。

 見上げると、白い球体が穴にいるヴィルスを空中から守るようにして集まり、円を作っていた。

 充血したような赤々しい目から、どろりと粘液を滴らせる。物を溶かす粘液を前にして、ルクリュはしばし考え込んでしまう。

 ――炎なら自分にかかる粘液は全て防げるが……そうなるとあの強大なヴィルスに満足な力を奮えなくなってしまうな。

 そうしてる間にも穴の縁が溶かされ、中のヴィルスがはい上がろうとする。

「迷ってる暇はない」

 粘液の切れ目を狙って駆け出す。

 だが、向こうもその動きには気づいていた。位置を少しずらして、ルクリュに当てようとして粘液を落としてくる。

 それを風の介入で逸らして、自分にかからないようにする。けれど、粘液の量の前に全てを逸らすことはできない。少量が身体にかかってしまう。

 服を、皮膚を溶かし、熱い痛みが走るが気にかけず穴へと入る。

 それを待っていたかのように、滑り落ちてくるルクリュに、巨大なヴィルスが尖った足ですかさず攻撃をかけてくる。無論、ルクリュもそれは百も承知だった。繰り出してきた足を炎の介入で的確に焼き尽くし、攻撃を防ぐ。

 穴の底にまでたどり着き、すかさずヴィルスの下に潜り込むために動く。

 そうはさせないとヴィルスは沈み込み。器用にもその姿勢で攻撃をしてくる。

 潜るのは諦め、やはり力業で倒しにかかるしかないようだ。けれど、近づこうにも無数の足が攻撃をしてきて、一向に距離を詰められない。

 ちまちまと足を一つずつ焼き尽くす作業が延々と続く。このままでは、刻がかかりすぎてしまう。内心焦るルクリュに、ヌーヴェルからの声が届く。

『音を使って色々と調べてみたが、そいつには赤い目の下に口がある。つまり、口の内から力を奮えば簡単に倒せる。上の奴はクロワノールが相手をしてるから、眼は気にかけないでいい』

『……こいつらが最後ってことなのか?』

 話してる間にも一つ、また一つと足を消していく。

『ああ。ただし、君がそいつを倒せないと僕等には勝ち目がないがな』

『分かった。なら直ぐに倒してみせる』

『期待してるよ』

 話しが終わる。

 上の敵を考える必要がなくなり、これで全ての力を集中することができるようになった。

「全てを燃やす炎よ。我が前に立ち塞がる異質な者を浄化し、女神の名に於いて大地の穢れを祓いたまえ!」

 力を込めた言葉に反応して、周囲に白い炎が出現する。炎は刃を包みなお余る。余った炎が延びて白刃となり、やがて巨大なヴィルスと同じ長さとなる。

 あまりの巨大な刃に、一部が穴の端に減り込む。

 この瞬間にもヴィルスは諦めずに攻撃をしていたが、ルクリュに届く前に全てが焼き落とされる。

 最後の手段として、口から大量の粘液を吐き出してルクリュを溶かそうとする。だがこれも、届く前に蒸発してしまう。

 ここにきて勝てないと悟ったのか、少なくなった足で逃げようとする。

「逃がしはしない」

 刃を一閃。足の全てを切り捨て、動きを封じる。

 動けなくなったヴィルスが穴の底に沈む。もはやできることといえば、粘液を吐き出して抵抗することだけだ。

 それもルクリュは避ける必要はなく、刃を口へ向かって振るだけでよかった。

 粘液は消し飛び、口を深く切り裂かれた痛みに、ヴィルスが巨体を激しくくねらせ悶える。

 切り裂いた口へ容赦なく刃を突き込むと、やわらかな肉の感触が手に伝わる。暴れるヴィルスに構わず、体内で炎を暴走させていく。

「弾けろ」

 ルクリュの言葉によって、炎が巨大なヴィルスの中を食い破るようにして現れる。そして、そのままヴィルスを飲み込んでしまった。




 ヌーヴェルの指示で、上空の眼を引き付けるクロワノール。彼女の役割は眼を倒すことではなく、刻を稼ぐことだった。

 敵を攻撃し、向こうからの粘液は炎で防ぐ。これを満遍なく行う。そのため、常に動き回ることとなっていた。

 最初の頃は素早く動いていたクロワノールだが、刻が経つとともに鈍くなってきた。

 ――あと…どれくらいやればいいの? そろそろ厳しいんだけど……

 疲れていようが関係なく、粘液が襲い掛かる。

「くっ、はあ…っ!」

 声を出しながら、炎の壁を作る。粘液は壁に阻まれ、彼女に当たることなく蒸発する。

 一部の眼が本来の役割である護衛に戻ろうとする。つまり、ルクリュに攻撃をしようとするわけだ。

「させないわ!」

 狙って当てるだけの余裕はなく、周囲に適当に炎を生み出す。

 執拗に攻撃してくるクロワノールに、元々赤い眼が怒りに染まったような雰囲気を帯びる。

 クロワノールの方を向き、粘液を吹き掛けてくる。

 これは避けれると思い、回避行動をとる。

「あ…やだ!」

 普段なら避けられただろうが、疲れた身体は思うようには動かなくなっていた。

 足が縺れて大地に倒れてしまう。

 介入を使いすぎた結果、身体が限界を迎えてしまったようだ。

 もはや回避は間に合わず、介入も使えない状態だった。

 ぎゅっと目をつぶり、身体を強張らせて粘液がかかるのを待つだけだった。

「…………?」

 しかし、粘液がかかることはなかった。

 恐る恐る目を開けて確認すると、穴のあった場所から白い火柱が上がっていた。

 その火柱は穴の直径よりも大きく、穴を囲むようにしていた眼が全て飲み込まれていた。

 闇と赤の狭間に染められた大地に、天を穿つようにして上がる白い火柱は、なんとも幻想的な世界を描いていた。

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