第2話 <ヌーヴェルとクロワノール>

 朝食後、ルクリュ、シャリテの二人と別れ、ヌーヴェルとクロワノールは二人で街中を歩いていた。

「で、これからどうするつもり?」

「んー……いつも通りだよ。広場で暫く弾いた後時間があったら、のんびりとしてようよ」

「わかったわ」

 行き先の広場を目指して歩いていると、町のにぎやかな声が聞こえてくる。

 辺りを見渡せば、食べ物や衣類、アクセサリー等の装飾品を売る店。旅で身を守るために必要な武具に、旅で役立つ道具を売る店など様々な物が売られ、そこにヒトがたくさん集まっていた。

「ここは人がたくさん居るせいか、お店も多いわね」

 昨夜この都市にたどり着いたため、昼間の人の多さを知り、クロワノールは少しげんなりとした様子だ。

「まあ、この辺りだと一番大きな都市だからね。交通の要所でもあるし、それで人が集まるんだ。……人が多い場所は初めてかい?」

「ええっ、初めてよ。わたしが生まれたところはここよりも小さかったし、旅をしててもこんなに人が集まる場所とは縁がなかったもの」

「そうか……なら仕方ないか。僕も最初は慣れなかったし……迷わないように手でも繋ごうか?」

「ばかっ。そんなこと恥ずかしくてできるわけ……」

 最後まで言いかけて、ふと朝の出来事を思い出してしまう。

「…………」

 そのせいで、続きの言葉が出なくなってしまった。

 クロワノールはまた顔が熱くなり、そんな顔を見られないように、ぷいっとそっぽを向く。

 ――朝のことをまだ引きずっているのか…? 意外だ。いつもなら切り替えができてるはずなんだけど……どうして今回はそれができないんだ……?

 微妙な空気が流れる中、ヌーヴェルは気にせずにクロワノールの手を取った。

「あのね……恥ずかしいとかじゃなく、こういった場所ではぐれたら捜すの大変なんだよ? ほら、行くよ!」

 こういう時にこっちまで気を使うと、ギクシャクした感じになると思った彼は、強引に彼女を引っ張って歩き出す。

「あっ…ちょっと、ヌーヴェルっ!」

 非難めいた声を上げるが、彼は止まらない。彼女の手をしっかりと握って、ただ黙々と歩いて行く。そんな姿を見て、今は何を言っても無駄だと思ったのか、クロワノールは直ぐに黙った。

 ただじっと、繋がった手を見る。

 ――子供じゃないんだから、別に手を繋ぐ必要なんかないじゃない……なんで好き好んで、わたしと手なんか繋ぐのよ……!

 などと思いながら、今、彼女は自分がどんな顔をしているか知らないだろう。きっと、その表情を鏡で見たら驚くに違いない。

 自分でも、こんなにやわらかい顔ができるんだ、と。

 そんな表情をしていたからか、もしくは手を繋いでいるのを勘違いされたのか、二人は年老いた店主に声をかけられる。

「そこの背の高い兄ちゃんや。綺麗な彼女にプレゼントなんてどうだい?」

「へ……っ?」

「ん? もしかして僕らのことかい?」

 人で溢れる周りを見ても、ヌーヴェルより背の高い人物はいなかった。それと、異性と一緒にいる人物もいなかったため、自分らのことかと尋ねる。

 対してクロワノールは、呆気とした感じで、いまいち現状を飲み込めていなかった。

 ヌーヴェルの問い掛けに、老店主は満足げに頷く。

「そうじゃよ。女性が着飾るのは当然のことじゃ。彼氏なら彼女のかわいい姿や綺麗な姿を見たいはずじゃろ? ならばワシの店で、なんか買っていかんかね?」

「む…っ! そうだな……クロワノールは何か欲しい物でもあるかい?」

「え…っ? わたし? わたしは………」

 話しを振られ、困惑した表情を浮かべながら、ちらっと店に並ぶ品を見る。宝石を加工しているのか、どれも綺麗な物ばかりで高価そうだった。

 ――あっ、これ……かわいいかも。でも……

「……別にないわよ。それにわたしあんたの彼女じゃないし、プレゼントされる理由なんかないわ」

「なんじゃ……彼女じゃないのかい。仲良く手を繋いでおるから、てっきり恋人だと思っておったよ」

「っ!? そういえばそうだった! 今みたいに勘違いされるんだから、さっさと離しなさいよ!」

 腕を振り、ヌーヴェルの手から離れようとする。強く握られていなかったのか、手はすんなりと離れた。

「先に広場に行ってるから、あんたは自分の欲しい物でも探してから来なさい! いいわね?!」

 少しだけ早口に言い立て、彼女はその場から逃げるように去る。

 ――う~。恥ずかしいのに…彼女とか言われて……嬉しいとか思ってる。こんな気持ちを悟られたら、あいつが調子に乗っちゃうかもしれない。お願いだから、落ちつくまで来ないで……!

「ちょっ、クロワノー…る……。行っちゃったか……」

「どうするんだい? 兄ちゃん」

「う~ん……どうするも何も、何か買っていくしかないと思うんだよね。彼女がたいていあんな行動をとるのは、少し時間が欲しいからだし……それより、何を買おうかな~」

 ざっと品物を見ていって、彼女が欲しがりそうな物を見つけようとする。イヤリングにネックレス、指輪と髪飾り等を見ていく。

 ――んー、確かに綺麗なんだけど……クロワノールはあまりこういうのは欲しがらないような気が………何を買ったらいいんだろう? あ、でもこれは……。

「ほっほっ。つまり彼女は、手を握っているのを見られて恥ずかしいと思ってしまったから、先に行くと言ったんじゃな。そして、それをお主に見られたくないから遅れてこいと………ほっほっほっ、可愛い娘さんじゃな~」

 愉快そうに笑う老店主に、何を買ったらいいか悩んでいるヌーヴェルも口を開く。

「でも、彼女は背が高いことを気にしてか、自分では可愛いとは思っていないんだよね。昔、からかわれたりしたんだろうな~。えっと、店主さん……他の品物ってあるかな……? できればあまり宝石とか使ってないような物で」

「ほ? そうじゃな……後はこれぐらいじゃな」

 ヌーヴェルの要望に応えるため、店主は自分の隣りに置いてあった袋から新しい品物を取り出して行く。

 並ぶ品物より劣るのもあるが、出された品自体は決して悪くはなかった。

「どうじゃ……? 彼女の欲しそうな物はありそうかの……なかったら諦めておくれ」

「あ~……そもそも、彼女が何を欲しがっているか分からないからな~……多分これだと思うんだけど………」

 自信なさげにある品物を取り、じっくりと眺める。それが、元から置いていた商品であったため、店主は苦笑を浮かべながら皮肉を放ってしまう。

「ほうほう。それなら、ワシがわざわざ袋から出す必要はなかった訳じゃな」

「うっ、それは……すいません。新しく出してもらったのに……」

「なに、冗談じゃ。気になさるな。で、どうするのかね? 買うのなら五万ルイ頂くが」

「うわ…っ! たかっ!」


 ルイとは、この大地で採れる鉱物であり、通貨のことを指す。大地に存在するどの鉱物よりも硬くて壊れにくく、極僅かに白銀の輝きを放つ不思議な物質でもある。一説では、女神が眠りに落ちる時、この大地を見守れない悲しみに、雨と間違えるほど流した涙だと言われている。そう思わせてしまう程、ルイと呼ばれる鉱物は弱々しく、そして悲しげに光っている。

 まるで……誰にも見向きされないモノが、儚げに自分という存在を主張し続けるかのように………


 因みに、今ヌーヴェルが持っている全所持金はぴったり五万ルイであり、買うには買えるが、そうなると一文無しになってしまう状態だ。

「それはそうじゃ。こいつには珍しいルイ石が使われているんじゃからな」

「そっか……なら高くても仕方ないか」

 高いことに諦めた声を出し、ヌーヴェルは買うかどうか迷うことなく決心した。

「おじいさん。―――てもいいかな?」


        ☆☆☆


 先に広場に辿り着いたのはいいが、ヌーヴェルが来るまでクロワノールは暇だった。歩いてる間に気持ちの整理がつき、落ち着いてしまったからだ。

 ぼーっと立っておくのもどうかと思い、彼女は広場の中心にある噴水の孤になっている場所に座る。

 すぐ後ろでは、噴き上がった水が水面を打つ音が聞こえる。前を見ていると、何人もの人がこの広場を通って、それぞれの目的地へと向かっている。この流れが途切れることは決してなく、むしろ増えているように感じられた。

 ――本当にこの町は人が多いのね……町で鳥達を見かけないなんて、考えたことなかったわ。

 彼女にとって地面を突き、ぴょんぴょんと跳ねたり、のたのたと歩く、そんな鳥のかわいらしい姿が見れないのは心底残念だった。

 はあっとため息をつき、何となく空を見上げる。雲一つない青空に、もうすぐ炎の季節になるせいか、特有の熱く、輝き始めつつある光りが、その大きな存在を示していた。その光りが眩しくて、手をかざしてうっすらと目を細めてジーッと空を眺める。

 ――ここには……鳥がいないのかな…?

 しばらく見ていても鳥が見かけられないため、諦めて視線を落とす――途中。

「あ…っ」

 町の建物の上で、ちょんちょんと跳ね、屋上をつんつんと突く、鳥の姿が数羽見えた。

「ちゃんといたんだ……ふふっ♪」

 鳥がいた。ただそれだけなのに、彼女は嬉しくて微笑みを浮かべていた。そのままニコニコとした顔で鳥達を眺める光景は、まるで初めてのデートに嬉しさを隠しきれない少女のようだった。

「ふんふんふ~♪」

 機嫌が良いのか小さく鼻唄を始め、綺麗なハミングが彼女から流れ出す。

「~~~~♪」

 小さな音色のはずなのに、彼女が生み出す音は町の喧騒に掻き消されることはなく、周囲へと広がって行く。

 その影響か、クロワノールを見る人がちらほらと出始める。そんな中で、数人の若い男達は足を止めて、彼女を熱心に見ていた。もちろんクロワノールはそれに気づかず、嬉しそうに唄い続けている。

(背は高そうだが……綺麗な娘だな)

(オレの背が高かったら絶対声かけたのに……)

(なあ、声かけようぜ)

(手足長いな~。それに細い……なにより、両サイドの切れ目から見えるあの脚が堪らなくいいっ!)

 などと、クロワノールを見て男達がざわつき出す。

 確かに、彼女の見た目は綺麗であり、背が高くて長い手足の見栄えがいい。それに加え、細い首を隠す高襟、腰に届き臀部が見えそうな程の切れ目が両側に入った、ノースリーブのドレスが華奢な身体のラインを晒していた。

 出るとこは出て、引っ込むとこは引っ込んでいる体つきに、男達の視線はついつい豊かな胸や、見えそうで見えない尻へと向いてしまう。

 強めの風が吹き、たなびく紅色の長髪を、微笑みながら手で押さえる些細な姿が、彼らには凄く魅力的に写ってしまう。

「……よし! オレは声をかけに行く!」

 一人の男がそう決意して、クロワノールに近づこうとした。すると、それよりも早く近づく人物がいた。その人物は大きめな荷物を背負って、彼女の元へと歩いて行く。

「そこの綺麗なお嬢さん。誰かお待ちですか? よろしれば待ち人が来るまでの間、あなたのために一曲弾かせて頂いてもよろしいだろうか?」

 話し掛けられたことによって、男を見るために鼻唄が途切れる。

 話し掛けてきた男は、黒い瞳と闇のように深く長い髪のせいか、ミステリアスな雰囲気を持っていた。

 自分よりも背の高い男だが、彼女は少しも驚いたそぶりを見せず、むしろ気軽に口を開く。

「ごめんなさいね。どうやらその待ち人がたった今来たみたいだから、それは無理みたい……って言えばあんたは満足かしら? というよりも、よくそんなセリフを吐けるわね」

「そんなに変なセリフかい…? クロワノールが綺麗なのは本当のことだし、そんな君のために弾きたいと思っただけなんだが……」

 クロワノールに近づいた男は、ヌーヴェルであった。背負っている荷物を降ろしながら、さらりと彼女が恥ずかしがるセリフを言う。

「ば、ばか! お世辞のくせに、なんでいつもそんなことを真面目に言うのよ! そんなことされるから……わたし………」

 後半は俯きながら小さく喋ったため、ヌーヴェルに聞かれることはなかった。

 ――いつも真剣に言われるから、本当にそうなのかもって、その時に一瞬でも思っちゃうじゃない………。それに……言われる度にこいつのことを変に意識するんだから、いい加減止めて欲しいわ……

 相変わらずな彼女の態度に、ヌーヴェルは呆れながら言った。

「あのね~……何回も言ってるけど、お世辞でもなんでもなく、ただ本当のことを言ってるだけだから……綺麗な人を綺麗と言って、何か悪いことでもある? それとも、僕が冗談やご機嫌とりでそんなことを言う人間に見えるのかい?」

 ヌーヴェルはクロワノールに対して一つだけ悩みがあった。それは、自分の外見を異常な程卑下することだ。適正な評価を受けるべき人間がそれを認めないのは、彼としては面白くなかった。自信を持てない、それすなわち、自分を信じれないことだからだ。

 彼女には自分を過小評価して欲しくない。それを常々、ヌーヴェルは考えている。だからいつも彼女のことを、『綺麗だ』とか『かわいい』とか言っている。逆効果になるかもしれないが、今の所はそれ以外方法がないからだ。

 ――ここで君を見てる男達は、皆クロワノールのことをいい女と思ってるはずさ。もちろん、僕だってそう思っている。だから近づこうとした男よりも早く動いた訳だし……本当ならもっと、クロワノールのご機嫌な顔を見ていたかったさ。あんな顔を見せてくれる機会なんて、早々ありはしないのに……… 内心、近づこうとした男に少しだけ殺意が沸く。目を動かして周りを伺うと、どうやら男達は様子を見ているようだった。

「見えるわよ」

 クロワノールが冷たく言い放つ。顔を上げて、厳しい表情でヌーヴェルを見ながら続きを言う。

「だってあんた、女と見れば誰でも声かけてるじゃない。口ではそう言っていても、どうせわたしにはせいぜい雇用関係での社交的なものでしょ……? いい機会だから言っておくわ。今後一切、わたしには綺麗とか可愛いとか言わないでちょうだい。情けやお世辞で言われても虚しくなるだけよ」

 突き放す言葉をかけられる。

 確かに、ヌーヴェルは今まで幾度となく女性に声をかけている。それは認めざるをえないことだった。故に、クロワノールがそう思ってしまってもなんら不思議ではない。

 例え彼が真面目に言ったとしても、彼女には演技としか考えれないからだ。そして、演技だと思っていながら、それを嬉しく感じる自分が情けなかった。だからか、彼女の声にはいらつきが少し混じっていた。

 普通の人間だったならここは、多分謝るか弁解をするかだろう。だがヌーヴェルは違った。クロワノールの言葉を聞き、納得した顔で話し出した。

「成る程、分かった。これからはクロワノールだけにしか言わないようにする」

「なっ?!」

 驚いている彼女の隣りに座り、身を竦めたクロワノールの耳元へとそっと囁く。

「君だけを見て、君だけを可愛いと……君だけを綺麗だと言う。僕がクロワノールだけに贈る言葉だ」

「…………!」

 熱く、低い声に背中がぞくりとした。

 言い終えると顔をずらし、彼女の顔を真っ直ぐに見る。朱く困惑した、かわいらしい顔を。

「これなら問題ないかな。綺麗でかわいいお嬢さん?」

「は……う…っ」

 普段より低い声と妖しい笑みを向けられ、クロワノールは声が詰まる。今まで一度も言われたことなどないことを、面と向かって真面目にされたからだ。ヌーヴェルの顔を見ることができず、目を逸らそうとするが、それを遮られる。

「ダメだよ……まだ返事を貰ってないんだから………さあ、どうなんだい? 早く答えてくれないと―――」

 見せびらかすように頬に触れ、キスをするかの如くゆっくりと顔を近づける。

 クロワノールはもう混乱していた。

 ――えっ? ええぇぇっ?! ちょっと、これって…このままじゃ……! こんな人の多い所で?!

「…………った…よ」

 声を出そうにも、小さく掠れて言葉にならない。その間にも顔は近づく。

 焦る気持ちが募っていく。目をぎゅっとつぶって、大きく声を上げるように意識して話す。

「わ…わかったわよ!! だからダメぇえええっ!!」

 言うと同時に、反射的にヌーヴェルの身体を撥ね除ける。

 彼女の音は広場中に広がった。それを聞いた周囲の人間は足を止め二人を見て、様々に話し出す。何があったんだの、恋人なんだろうかと……とにかく色々と好きなように言われる。

 その言葉はもちろん二人にも届く。ヌーヴェルは平然としているが、クロワノールはというと、恥ずかしさで目が潤んでいた。

 ――さ、さっきの絶対に変な風に誤解されたぁ……。どうしよう、わたし……わたし………!

 動揺するクロワノールに、ヌーヴェルは穏やかだが力強い声をかける。

「大丈夫。さっきのは聞かれていないよ。介入が少し遅れたけど、周りには大きな音が立った程度にしか聞こえていないさ」

「え……っ?」

「僕が悪ノリし過ぎたのは謝るよ。だけど、クロワノールが綺麗でかわいいと言うのは本音だからね。とりあえず、ここは僕に任せてくれ」

 立ち上がったヌーヴェルは、いつの間にか倒れていた自分の荷物を元に戻す。その時に介入を使い、この荷物からわざと重たそうな音を出させ、その音を広場中に拡げる。

 重そうな荷物の音を聞いた人々の大半は、自分達が聞いた音はこれが倒れたからかと納得した顔をしていた。中にはイマイチ納得していない者もいるが、それを特に気にする者はいなかった。

 広場にはかなりの人間が集まっており、それを知ったヌーヴェルが感心したように呟く。

「へ~、こんなに集まっていたんだ。ちょうどいいから、開演といきますか」

 ――それに、クロワノールを見ていた野郎達もいないようだし。

 ふっと軽く微笑んだ後、手早く荷物を開けて、素早く何かを組み立てて行く。

 人々はヌーヴェルが何をするのか気になって、じっと視線を向けている。少しの刻が流れ、鍵盤楽器らしき物が組み上げる。それは鍵盤が無ければ、ただ脚が長くて妙なテーブルのようにしか見えない。そんな代物だった。

 ヌーヴェルが軽く鍵盤を押すと、高いのか低いのか、また暖かいのか冷たいのか分からない不思議な音色が立つ。音が出ることを確認した彼は、そのまま流れる手つきで弾いて行く。

 急に曲が流れ出し、少しの間人々がざわつくが、皆すぐに生み出されるメロディーに聞き惚れることとなった。

 彼が生み出すメロディーは、昼間の忙しさを前に頑張ろうと思わせる音色であり、元気が出てくるような旋律だった。

 音が風に乗り、町に広がって行く度に人々を虜とする。騒がしい筈の町がしんと静まり返り、聞こえるのは広場の噴水から噴き出た水が落ちる音と、鍵盤楽器の音だけとなる。

 誰もがヌーヴェルに視線を向ける中、彼は優しく、懐かしそうな顔で楽しそうに楽器を弾いていく。

 そうしてこの後に何曲も弾いていくが、そのどの曲も人々を魅了していくのだった。



 全ての曲が終わると、少しの静寂の後に拍手が沸き上がる。人々の拍手喝采に、ヌーヴェルは片手を胸の前に持っていき、お辞儀をして答える。そして、いつものように曲が終わると口にする言葉を言う。

「皆さま。どうかよろしければ、この楽士に僅かな旅の路銀を恵んで貰えないでしょうか? 私は音を奏でることしかできない人間ですので、皆さまからの援助がなければ生きていけません。どうかこの私に、皆さまの慈悲を……」

 楽器が入っていた長い箱を前に出し、頭を下げる。

 そんなヌーヴェルを見た人々は、皆ルイを入れていく。中には多めに入れる人もいた。だが例外なく、皆一様に笑顔でいい曲だったと声をかけていく。

 そのような光景は、クロワノールから見ればいつも通りだった。ヌーヴェルが曲を弾いた後、聴いていた人達は全員が笑顔になり、そして彼を褒めたたえる。ヌーヴェルもそれに対し、笑顔で感謝を述べる。

 だが、クロワノールには二つだけ気になることがあった。

 ――あんたは曲を褒められると、何でそんな困ったような笑顔をするの? 褒められてるのに……どうして? 誰に褒められたら、あんたは本当の笑顔を見せるの? それに…曲を弾いている時、たまに悲しげに弾いているのは何故?

 そこまで考える必要はないと……自分には関係のないことだと分かっていても、やはり気になってしまう。けれど、結局考えても仕方ないと思い、この疑問はひとまず置くことにした。

 次第に広場にいた人々は減っていき、残ったのはヌーヴェルとクロワノール、そしてルイと楽器が入った箱だけとなる。

 ヌーヴェルはルイをできる限り均等に平らにし、その上に楽器を入れていた容器を乗せる。

「今回は凄い量だね……。楽器入るかな……? っと、これで……よし! 何とか入った。ごめん、クロワノール。待たせたね」

 蓋をし、ルイと楽器が入り重くなった箱を軽々と担ぐ。

「別に気にしなくていいわよ。あんたは雇い主なんだし。それより、これから荷物を宿に置いた後はどうするの?」

「ルクリュ達と合流するよ。どうせ彼らは下見に行った場所にいるだろうしね」

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