「実は藤井先輩が誰かと話してるのを聞いてたんです」


 この野球部の下級生は内藤と言うそうだ。内藤くんは外周をサボって階段で休んでいると、口論する二人の声を聞いたと言う。一人が藤井くんであることは声でわかった。


「本当に? 藤井くんは一人でいたと言っていたけど」


 私は先刻の藤井くんとの会話を想起する。


「間違いありません」


「つまり君は藤井くんがその口論をしていた相手に落とされたと思ってるの?」


 内藤くんは藤井くんが誰かに落とされたと考察している。しかし、サボっていた建前で公にはできないので、こうして愛木先輩に相談をしてきたようだ。勇気を持っ相談してくれたことは、素晴らしことだと思う。だが、内藤くんが練習をサボっていた事実はあんまり褒められたことではない。少しだけ愛木先輩が咎めていた。その時の内藤くんの顔は、とても複雑そうでした。


「それで君は藤井くんと口論していた人物に心当たりはあるの?」


「多分、大西先輩じゃないかと思っています」


「大西先輩!?」と私が驚愕としていると「元野球部の男子生徒よね。私と同じクラスね」と愛木先輩が説明してくれた。


「それで。その大西くんが藤井くんを吹き飛ばしたと、内藤くんは思っているみたいだけど」と私が言う。


「口論の内容は覚えてる? 断片的でもいいし。憶測でもいいわ」


 内藤くんは逡巡としてから答える。


「怪我のことを話していたと思います。かなり罵声のような感じで、ヤバイ雰囲気でした。もしかしたら大西先輩が藤井先輩脅していたのかも。怪我をさせるぞ的な」


「恐喝紛いね」


 仮にそうだとしたら、大西くんは野球部と藤井くんを相当に恨んでいることになるけど。


「僕は大西くんが藤井先輩に何かしたんじゃないかと思ってます」


「それはあまりにも早計だわ。たった一つの目撃証言だけで大西くんを疑うなんて。それに藤井くんはこれまで誰かに突き飛ばされたなんて証言はしてない。被害者が訴えなくては何も始まらないものよ」


「そうかも知れないですが、僕は悔しいんですよ。誰よりも頑張ってきた藤井先輩がこのままなんて。誰も納得してないんですよ。今の野球部はいまいちまとまりがなくなってきています。それを打破するためにも、どうして事実を突き止めたいんです」


 内藤くんの思いに心が揺らがなかったと言えば嘘になる。野球部は大変なのは私にもわかる。少しでも藤井くんや野球部のために何かできないかと思ってはいたが。水面下で調査を行うことが、正しいことなのか私には判断できなかった。きっと愛木先輩も私と同じだと思ったけど、こころなしか嬉しそうだった。



 その後は私は愛木先輩と下校することになった。風紀委員となってから初めてのビックイベントに私の心は踊り狂っている。しかし会話が弾まない。この雰囲気は良くないと思うけど、愛木先輩が私に心を許しているからこその沈黙、と思いたいが、そこまで楽観的に考えられる性格ではなかった。


「愛木先輩は、大西くんに話を聞くつもりなんですか?」


 愛木先輩は視線を私に向けることなく言う。


「そうね。話だけでも聞いてみようかな。けどその前に大西くんのことを色んな人に聞いて回ろうと思ってる。調べるならの話だけど」


「そうなんですね。けど同じクラスなら大西くんのことはそれなりに知ってるんですよね。大西くんが部活を辞めた理由とか。大西くんがどんな人か」


「大西くんは素行が悪いので有名だよ」


 元スポーツマンらしい恵まれた体形で、無駄に圧があって、タバコを吸っていることで有名らしい。らしいと言うのは私は実際に吸っているところを見たことがないからだ。噂だけで人を判断するのはよくない。風紀委員でも大西くんはマークされているが、一度も現場を捉えたことはないので、私は吸ってはないと思っている。クラスも、学年も違うし、風紀を乱していると断言もできない。私の大西情報はこれくらいだ。


「元野球部ではあることは既にわかってはいると思うけど、退部することになったのは喫煙が原因ってことになっている。ただね。タバコを吸っているところを見た人は誰もいないの。今でも素行が悪いことは有名だけど、誰も見ていない。風紀委員でも調べてるけど、誰も吸っている現場を見た人はいない」


「先輩は同じクラスだから、臭いとかではどうですか?」


 喫煙をしているなら独特の臭いがある。私のような吸わない人種からしたら、見極めるのは容易い。


「私が知る限りでは。吸ってないと思う」


「そしたらみんなが悪く言ってるだけなのかも知れませんね」


「そうよね。憶測だけど。もし大西くんが喫煙をしていないのに退部することになっていたとしたら。野球部や藤井くんに恨みを募らしていてもおかしくない。それに最近の藤井くんの活躍が憎いものに感じる理由にもなる」


「そう言うことなら。合点が行く気がします。大西くんに当たってみましょう」


 大西くんには動機がある。犯行現場にもいた。これは第一容疑者としてカウントしても問題ない。現代階ではもっとも疑わしい人物だ。


「それはまだ早計よ。ちゃんと調べてから本人に当たる」


「以前と一緒ですね」


 半年くらい前にも楠木くんと言う地味めな生徒が裏で行っていた奇行を調べて、絶対的な自信を持つまで本人に接触することはなかった。今回も、精細まで調査して行き着いた答えが、大西くんに関係するなら心を鬼にする。そんな感じだろうか。



 休みを挟んで3日が経過して月曜日になりましたが、愛木先輩が何しからの行動を起こしてることは伺えなかった。愛木先輩が事故の真相を糾弾する場面を間近でみたい。そうなると私自身も真相の解明に尽力する必要がある。私の行動は至ってシンプルになった。大西くんが野球部を退部することになった真相を知る。とりあえずは野球部の下級生である内藤くんに話を伺った。何人かの野球部に聞いて回ったが、全員が大西くんは喫煙していた現場を取り押さえられて、退部することになった。これ以上も以下の情報もなく、全員が同じ解答だった。違和感を感じるくらいに、同じ情報が伝播していた。


 帰宅した私は入浴しながら、今日1日に得た情報と違和感を整理した。大西くんはもしかしたら喫煙をしていないのかも知れない。風紀委員として権限を行使すれば、大西くんの持ち物を抜き打ちで検査することもできる。反感を多いだろうけど。担任の先生を動かすやり方もあるにはある。


「本人に聞いたの?」


 悩んだ私は愛木先輩に電話をしていた。11時くらいだし、多分迷惑ではないだろう。愛木先輩は嫌がる様子を見せなかった。もともと感情の起伏がないタイプなので、本心は嫌悪を隠してるかも知れない。


「それはまだです」


「そっか。私は大西くんに直接聞いてみたわよ。タバコを吸っていたことを認めたよ」


 私は久しぶりに素っ頓狂な声を上げて驚いたと思う。


「え、え! そしたら退部することになったのは、自業自得で。逆恨みによる犯行ってことですか?」


「それはどうだろうね。私はなんとなくだけど、隠し事をしている印象を受けたわ」


「大西くんに何か隠し事があるかもしれないってこと? 愛木先輩はそんな超能力まで使えるんですか!!」


「いいえ。仕草でわかるのよ。態度とか視線とか、瞬きとか、話し方とか、感情の僅かな揺らぎとかで、本心で話しているのか。いないのか」


 本人は機械的で感情の変化を全く伺えないのに、周囲の人間からは一方的に情報を得てるみたいな話だよね。愛木先輩は人類と上位互換ですか。実は私は少しだけ気付いてました。なんて。


「そしたら先輩は、大西くんの事実に気づいてたんですね? 教えてください。藤井くんの事故の真相を」


「それは自分で突き止めて」


「そんなー」


「私から言えることは、この事故に絡んでる人たちはみんな真実を話してはない」


「そ、そんなことってありますか」


「例えば藤井くんもね」


「被害者なのにですか」


「被害者と言う言い方もどうかと思うけど。それよりも野原さんは今回の事故のことを調べてるみたいだけど。どう言う風の吹き回しなのかしら?」


 手に力が入る。手にしていた端末が悲鳴をあげた気がした。


「藤井くんは野球部のエースです。誰からも信頼されて期待されています。最初は大西くんが階段から突き落としたのかもと思いました。動機も十分です。だけど大西くんのことを知らないで、犯人であると決めつけるのはどうかと思いました。それに野球部の人達の大西くんのイメージがあまりにも固執してます」


 風紀委員として視野狭窄になるのは絶対にあってならない。愛木先輩のように真実を手繰り寄せて、収束させたい。柔軟な考えが必要なんだ。


「そうなの。悪くないわね」


 褒められているのだろうか。私は判断できなかった。


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