「それで愛木。どうして呼んだんだ」


 大西くんは眉間にシワを寄せていて、とても激怒していることは端から見てもわかる。愛木先輩が大西くんに頼んでわざわざお昼休みに密談をする場を設けたのだ。風紀委員が普段から使用している教室にわざわざ呼び付けたのか、連れてきたのかよくわからないけど、そもそも私的利用してもいいのだろうか。


 頭の中に疑問符がたくさん浮かんでいる。次に愛木先輩が放った言葉で、私は真っ白になった。


「ごめんね大西くん。貴重なお昼休憩に呼び出してしまって、この子が君にお話があるみたいなの」


「え!? 何を言ってるんですか」


「ほら自己紹介でしょ」


「野原です。風紀委員をやってます。愛木先輩にはいつもお世話になっていて」


 あれ、こんな説明でいいんだっけ? 大西くんは背が高い痩身で、女から見ても男から見てもかっこいい人だと思う。けど、やっぱり怖い。近くで見ると大きな肉体は、別の生き物のようだ。そんなは威圧的な大西くんが、戸惑った顔をしている。なんだか申し訳ない。


「それで俺になんの用だよ」


 大西くんは低い声で言う。威圧的だ。私が頼りないことに気づいて、愛木先輩は割って入った。


「そうね。単刀直入に言うと、藤井くんが怪我をする直前まで、君と話していたみたいなんだけど。これは事実なの?」


「それは……誰に聞いたんだ。まさか藤井が言ったのか?」


「違うわ。目撃者がいたのよ」


 愛木先輩は嘘をついた。正確には声を聞いただけなのだ。だけど大西くんの声が魅力的な低音ボイスであることを考慮すれば、間違いではないだろう。


「そうだとして、それがなんだって言うんだ」


「実は言うと大西くんについて色々調べさせてもらったんだ。不本意で退部することになったんでしょ?」


 愛木先輩の言葉に大西くんは鋭い目を向ける。


「君はタバコを吸っていたことがバレて退部することになったけど、これは間違いないわよね。けどこれには隠された事実がある」


「どうやって調べたかは知らんが、それがどうしたって言うんだよ。まさか俺だけが処罰された怨恨から、藤井に怪我をさせたって言うんじゃないだろうな。俺は別に野球部に未練なんかない」


「未練はないんだろうけど、藤井くんが怪我をする直前まで話していたのは君だから、話を聞きたいの。どんな話をしたのか教えてくれない?」


「大した話はしていない。お前が何をしたいかは知らんが、どうでもいいことに首を突っ込むな。女はつつましいほうがモテるぞ」


「それは関係ないんじゃない。私はモテます」


 そうだ。愛木先輩はモテる。それは後輩である私が誰よりも知っている。


「目撃者は「怪我についての話をしていた」と証言していたわ」


 大西くんの顔付きが大きく変化した。動揺をまるで隠せれてない。


「もういいか。昼休みが終わってしまう」


「え!? ちょっと待ってよ」と私は去っていく後ろ姿に問う。「最後の質問。これでもう君には近づかないから」と愛木先輩は言った。


 大西くんは少しだけ嬉しそうに振り返った。そんなに愛木先輩が嫌いなのだろうか。デリケートな部分に触れてるから、当然だろう。


「なんだよ」


「もうタバコは吸ってないんでしょ?」


 大西くんは得体の知れない物を見るような恐怖の色を顔に出していた。まるで追い詰められた悪役のようだ。


「大西くんはタバコなんて吸ってないです」と割って入ったのは小柄で白い肌の女子生徒であった。震えた声の持ち主は私達に対して強烈な怒気を向けていた。


「それはどう言う意味かしら?」


「大西くんはタバコなんて吸ったことなんかないんです」


「どうして君が言い切れるの?」


「私は大西くんと、中学の時から付き合ってるからです。だからその辺の人よりも、私は大西くんのことを知ってます」


 私がまるで知らなかった。柊木さんが大西くんと付き合っている。そしたら、柊木さんがあの日、あの時間、あの場所にいたことは、事故に関係してくるのではないだろうか。

 


 その日の放課後に、私はあるものを持って寮に向かった。正確には寮の裏だ。日当たりが悪くて、金網にはつる草が複雑に絡んでいる。こんな陰湿な場所を好んで使う人間がいるのだから、世の中はよくわからないものだ。私の感覚だけで判断するのは杓子定規な考えである。愛木先輩は先に着いていて、藤井くんに声をかけた。


「藤井くん」


 名前を呼ばれた藤井くんは目を大きくした。


「どうしたんだよ。愛木」


 藤井くんはカバンの中に突っ込んでいた手を抜きながら言った。


「探し物はこれでしょ」と愛木先輩が促すので、私はタバコの箱を藤井くんに見せた。


「お前、それ」


 愛木先輩達のクラスが体育の授業で教室を開けている時に、私は鍵の管理をしている愛木先輩に鍵を渡されていた。先輩の下駄箱に鍵を置いておくと言うことだったので、トイレに行くと授業を抜け出して、下駄箱から鍵を拝借して藤井くんの荷物を調べさせてもらった。まさかタバコが出てくるとは思わなかった。


「この間、放課後に話をした時に変な臭いがしたの。制汗剤にしてはかなりキツイ臭いだった。それで過去にあった野球部でのタバコ事件。連想するのはそんなに難しくないでしょ。だけど証拠がなかった。藤井くんはとても慕われてる様で、誰も口を割らないから苦労したわ。君が学校で隠れて吸うかも知れない場所を全てを調べて、吸い殻がないかと調べたけどこれも難しかった。用心深いのね」


「それで俺の荷物を盗んだのか。噂通りやり方は選ばないんだな」


 藤井くんは苦笑しながら言った。


「そうね。けど私は事実を知りたいだけだから、藤井くんが何を隠していようとも、口外するつもりはないから安心して」


「まるで俺が何かを隠しているみたいじゃないか。そもそもタバコを吸う高校生なんて珍しくもないだろ」


「柊木さんが教えてくれたわ。彼女は大西くんが疑われているのが、どうしても嫌だったみたいよ」


「そうか。あいつが話したのか」


「大西くんと話す前に君は、柊木さんと話をしていたんでしょ」


 観念した様で藤井くんは事実を話し出した。


「大西と俺は同じポジションを争うライバルでもあり、友人だった。あいつとは互いに悩みを話せて夢も語れる仲だった。お互いにプロになって、投げ合おうなんて約束もした。だけど俺は意思が弱いから、一時的なスランプの後にタバコを吸う様になったんだ。それがバレて、大西が俺を庇ったんだ」


 タバコの吸殻が寮内で発見されたことで、同部屋であった大西と藤井が疑われることになった。大西は怪我で満足投げられない状況で、退部を考えていたこと、親友がスランプに苦しんでいる姿が、庇うと言う選択をさせた。


「藤井くん。君は膝の調子が元々悪いんでしょ。おそらく無理して投げてきたから、痛み癖がついていて、思うように投げられないんじゃない」


「そんなことが素人であるお前にわかるわけがないだろ」


 語尾が強く怒気が篭っていることが明確であった。


「大西くんに指摘されたんでしょ。先のことを考えるなら周囲に正直に話して、夏は諦めろって」


 私には野球のことはよくわからない。だけど怪我をした体を酷使してまで、やり続けてなければならない藤井くんの立場を想像するだけでも、気分が悪くなる。膝の調子が悪くなって、怪我に負けない強い身体づくりを徹底して、ウエイトトレーニングを始めてみると野球のパフォーマンスが飛躍的に向上した。だけど、膝の調子が良くならない。期待値だけが跳ね上がったことで、皮肉にも身体を酷使する結果に繋がっていく。チームメイト、監督、世間、ブロへの道。そのストレスが藤井くんを追い詰めて、蠱惑なものが輝いてみたのかも知れない。


「大西と話し終えた後に膝痛で気が逸れて足を滑らしたんだ。大西は何も悪くない。あいつが誰よりも、俺に期待して、誰よりも俺を応援してくれた。その気持ちに応えたかったんだ。だから夏を諦めるなんて俺にはできない」


「けどね。藤井くん。大西くんを庇う必要はないんだよ」


 私も、藤井くんも愛木先輩の言葉の意味を理解できなかった。時間が停止したように、刻々と過ぎていく。再び動かしたのは、もちろん愛木先輩である。この場の指導権は愛木先輩にあった。


「大西くんじゃなくて、柊木さんだったのよ。君の背中を押したのは。まあ「押した」は、大変な語弊があるけどね。本人は話しかけるつもりだったみたい。大西くんと、藤井くんが昔みたいに仲良くなってくれるように、伝えたい思いがあったそうなの。柊木さんは、大人しい性格だから、話しかけるってことができなくて、背中に触れたそうよ。そしたらあんなことになって、唖然としていると、野原さんが現れて、逃げ出してしまった。柊木さんは大西くんが疑われることになって真実を教えてくれた」


 つまり柊木さんが背中に触れるタイミングと、藤井くんが階段を踏み外したタイミングが偶然にも重なってしまったと言うことなのだろう。罪の意識があった藤井くんは、大西くんに背中を押されたと思い。大西くんの名前を出すことを拒んだのだ。直前まで一人でいたと、嘘をついた。


「ここまで聞いて藤井くんはどうする?」


「何も変わらない。今回のは事故だ。誰がなんと言うと」


「そっか。本音が聞けてよかったわ。用が済んだから私は帰るね」


「え!? 本当に帰るのかよ」と藤井くんは言うが、私も同じタイミングで「え!?」と反応していた。


「うん。事実が知りたかった。それだけだから。藤井くんが極悪人なら、咎めるところだけど。私は満足よ。ただチームメイトにはしっかり相談した方がいいよ。大西くんが疑われてるし、チームの波長はよくないみたいだよ。それに万全な状態でもないのに、野球を舐めてるんじゃない。一人で勝ち上がれるわけないでしょって、飯田くんが言ってたよ」


「飯田が……あいつ気づいていたのか」


「それはもちろん」

 

 ここに来る前に飯田くんと話をした。彼は気づいていた。藤井くんの膝の不調が悪いこと、無理をしていることも。それでも藤井くんの意思を尊重して黙っていることにしたことも、それが自身の願望であり、勝利へのエゴであることも。



 後日。藤井くんは夏を断念する意思を部員に告げた。野球部の一員として夏をやり遂げるつもりであったが、怪我は悪化する一方である。この先も野球を続けていく。次のステージに上がる覚悟を決めた藤井くんは、チームを信じることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る