第45話 数年経てば五つになる

 バスと電車を乗り継いで約三時間の道のり。


 一年半ぶりに降り立った地元の駅で、沙智は一度伸びをして、駅前のスーパーに目をやる。高校生の頃、学校帰りによくアイスを買い食いした店だ。


 あの看板はあんなに色が薄かったかな。


 記憶よりもずいぶんとさびれた印象のその店の中から、アイスを片手に高校生の集団が現れて少し驚く。まるで過去の自分を見たような気がしたからだ。


 懐かしさに知らず口角を上げてその場を後にする。このご時世だ。あまり未成年をじろじろ眺めていると怪しまれてしまう。


 駅前から実家まではバスに乗ってもいいのだが、沙智はそのまま徒歩で実家を目指し始めた。


 あまり早く実家に帰りつきたくないというのが一つの理由。もう一つは、なんとなく地元の今の姿を見てみたくなったのだ。


 あのタバコ屋はもう閉まったのね。あそこの新しいマンションは前は何が建ってたんだったかな。ああ、この焼き肉屋はまだやってるんだ。


 一年半前に訪れたときはただ早く実家を去りたい一心にさっさと帰ってしまったので、地元の変化になんて気を払わなかった。


 こうやって改めて変わってしまった風景を見ると、やはりどこか懐かしさと寂しさが入り混じった気持ちになる。


 ちりんちりん、と背後からベルを鳴らされて狭い道を横によける。


 子供を二人、前後に乗せたお母さんが自転車を漕ぎながら「すみません」と沙智の横を通り過ぎていく。


 やっぱりバスに乗れば良かった。


 アスファルトからの灼熱のような照り返しに辟易しながら遠ざかる自転車を沙智は見送った。


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 一昨年の春に外壁を新しくしたという沙智の実家は、実際の築年数よりだいぶ新しく見える。


 最近は周辺の開発が進み、若い家族向けのタウンハウスがご近所さんに増えたこの住宅街ではどこかから子供のはしゃぐ声が聞こえる。


 腹をくくってアルミの門を開ける。と、家の横、庭の方向からひょっこり子供が顔を出したり


「さっちゃん!」


 元気いっぱいに叫んで走り寄ってきたその子を驚きながら両腕を広げて待ち構える。


 全身ずぶ濡れの甥っ子は満面の笑みでなんの迷いもなく沙智に突っ込んできた。


「まさくん。久しぶり。よく私のこと覚えてたねー。てか、びっちょびちょ。水遊び?」


 今年五歳の甥っ子とは去年の正月以来だ。昔から人見知りをしない彼が、自分を覚えてくれていたことに荒んでいた心が少し和む。


「パパとー、ちえとー、やっちゃんとー! おれ、泳げる!」


 彼が並べたてた名前におや、と眉を上げる。


「パパとやっちゃんも来てるの?」


 尋ねると、甥っ子は元気に「うん!」とうなずいた。


「あれ、さっちゃん? おかえり」


 突然聞こえた声につられて顔をあげると、甥っ子が現れた場所から今度は背の高い男性が顔を出している。


「パパー!」


 甥っ子は男性の姿を認めると今度はそちらへと突っ込んでいく。


「俊ちゃん、久しぶり……」


 「俊ちゃん」はもともと沙智の実家のお隣に住んでいた幼馴染だ。そして今は沙智の妹、亜寿沙の旦那さんでもある。


「まさ、さっちゃんに突っ込んだ? さっちゃんの服濡れちゃってるじゃん。ごめんね」


 言いながらずぶ濡れの甥っ子を抱え上げた彼が申し訳なさそうに沙智を見る。こうして二人並んでいるとよく似た親子だ。


「平気だよ」


 居住まいを正してそう言うと、彼はにっこり笑って沙智を玄関へと促した。


 もうちょっとちゃんとした格好して来ればよかった……。


 なんとなく髪の毛を整えながら促されるまま家の中へと進む。


 玄関に入ると母親の好きな金木犀の香りが広がる。この香りを嗅ぐと一気に実家に戻ってきた実感がわく。


 少し古くなった木製の靴箱、その上に飾られた造花、几帳面に揃えられた大小さまざまな靴、隅に隠すように置かれた銀色の傘立て。


 すべてが記憶のままだが、靴箱の上に飾られた写真だけは前回来た時と違うものになっている。


 沙智の映っていない一家の集合写真。おそらく今年のお正月にでも撮ったのだろう。甥っ子姪っ子がみな袴に振袖を着ていて、母親も余所行きの化粧をしている。


 みんなで初詣にでも行ったのかな。


 神社の境内と思しき場所でどこかぐったりとした顔つきのみんな。


「これ、大変だったんだよ。子供たちも大きくなってきたし、みんなで初詣に行ってみようって話になって。でも人込みを避けるために一月二日にあんまり有名じゃない小さ目の神社に行ったのに、それでもすごい人でさ」


 写真を覗き込んでいた沙智に幼馴染が苦笑しながら説明してくれる。


「トイレもすごい混んでて、最終的にやっちゃんが我慢できなくてレンタルの振袖が台無し」


「あらら。大変」


 言って、もう一度写真を見る。多少疲れは見えるものの、そこに映っているのは平凡で幸せな家族だ。


 後列の隅に映る母親の顔を見る。疲れた顔のみんなに対して満足げな微笑みを浮かべている彼女。 


 平凡でありきたりな幸せ。きっとこれが彼女の理想なのだ。


 その理想の中に今の沙智は入っていない。


 悲しいわけではないけれど、なんだかやたら疲れた気分で沙智はその写真から目をそらした。

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