第14話 合わせ物は腫れ物
別に早く起きる必要もないのにアラームが鳴る前に目が覚めた。
スマホを手繰り寄せてメールなどをチェックしてから二度寝しようかと目を閉じてみたが、どうにも目が冴えてしまって寝つけない。
仕方なく起き上がってそっと部屋を出る。すりガラス越しのリビングは薄暗く静まり返っていて、この家の主がまだ起きてきていないことがうかがえる。
洗面所で軽く身支度を済ませ、沙智はもう一度部屋に戻った。ソファベッドの上のブランケットを畳んで周囲を軽く整える。
ブラインドを薄く開けるともうすでに明るくなっている窓の外からたっぷりの日の光が差し込んだ。
そしてもう一度スマホを見たが大して時間は経っていない。しばらくはスマホで暇をつぶしていたが、そうすることにも飽きてしまった沙智は自分の周囲を囲む隙間だらけの本棚を見回した。
小説に実用書、写真集やレシピ本、仕事に関する書籍。雑多な種類の本が並ぶ中、沙智の目をひと際引いたのは他の本より少し大きいサイズの薄い灰色の背表紙。
その背表紙に少しかすれ気味の金字で書かれた文字に目を見張った。
菅原くんの中学校の卒業アルバム?
好奇心を抑えきれずに立ち上がり、それに手を伸ばして表紙を覗き込む。ざらざらとした手触りの装丁に、沙智の中学卒業年度と同じ数字が記されている。
どきどきしながら表紙を開きかけ、しかし沙智はそこで動きを止めた。
勝手に人の卒業アルバムを見るなんてプライバシーの侵害だよね。
頭の中をかすめたその思いに沙智はため息をつく。
後で見ていいか聞いてみよう。
後ろ髪を引かれつつも元の位置に戻そうとした瞬間、アルバムの隙間から何かがひらりと舞い落ちた。
床に投げ出されたそれを慌てて拾い上げ、不意に目に飛び込んできたその写真に沙智は釘付けになる。
二人の制服の男女が笑顔でこちらを見つめている。
一人は彼。まだ幼い顔をしているけれど、一目見てそれとわかる顔立ち。
もう一人、彼の肩を抱くように写っているのは彼とよく似た美少女。
誰だろうか。妹がいることは聞いたが、写真に写る彼女はどう見ても妹ではない。
写真の彼が中学生だとしたら、その隣の彼女は高校生ぐらいのように見える。しかし顔立ちから血のつながりがあることは明らかだ。
従姉妹とか親戚……かな?
自分が食い入るようにその写真を見つめていたことに気づいてばつが悪くなり、沙智はその写真をアルバムのてきとうな所に滑り込ませた。
そして灰色の大判な本を今度こそ元の位置に戻すと化粧ポーチをつかんで部屋を出る。
洗面所でいつもより入念にメイクを仕上げ廊下に出ると、先ほどまで薄暗かったリビングから明かりが漏れ出ていた。どうやら彼も起きたようだ。
部屋に戻って手早く着替えを済ますと沙智はリビングへ続くドアを開けた。
ふんわり香るコーヒーの匂いに鼻が自然とピクピク動く。
「おはよう」
声をかけるとキッチンにいた彼が「早いね」と欠伸交じりに答えた。珍しく彼はまだ寝間着姿だ。
「なんか目が覚めちゃって。朝ごはんの準備するなら手伝うよ」
腕まくりしながらキッチンに入ると彼が冷蔵庫から卵を二つ取り出した。
「俺は半熟でお願い。フライパンはそこ」
言われるままにフライパンを取り出して目玉焼きを作りながら、その他の準備に忙しい彼を横目で見る。
無精ひげを生やして寝ぼけ眼の彼の横顔を見て、きっと彼がこんな姿を見せるのは社内で私だけだ、なんて考えが浮かぶ。
パチッと油が跳ねる音で我に返り、すぐさま頭をぶんぶん振ってその考えを吹き飛ばす。
「……どした? 油跳ねた?」
驚いた彼が尋ねてきたのに「いや、とんでもない雑念が跳ねてきて」と口の中で言い訳する。
「あ、そ」
興味なさそうに一言。ジャムとバターを手にキッチンを出て行く途中で不意にポンと頭に手を置かれ、ついつい彼の背を目で追う。
この生活になじむ前にここを出ないと。
カウンター越しに彼の背中を見つめながら、フライ返しをつかむと、沙智はつながってしまった二つの目玉焼きの真ん中にその先を突き立てた。
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マンションのエレベーターで地下の駐車場まで一気に降る。
思っていたより大きめの彼の車の助手席に乗り込むと、彼がダッシュボードからメガネケースを取り出した。
「メガネかけるんだ」
さすが外見にも気を使う営業。自分に似合うメガネを知っている。
もうすっかり無精髭もなくなってすっきりした彼の横顔は、メガネがあるといつもと雰囲気が違う。
「運転するときだけ。普段は裸眼」
そう言って彼がエンジンをかけると、それに呼応するように沙智のスマホが小さく音を鳴らした。
待ち受け画面を見て嘆息した沙智に彼が「なに?」と聞いて来る。
「元彼。今から行くってメッセージしたら待ってるって。別に出かけててくれていいのに」
沙智としては元彼と顔を合わさずに荷物だけ持って合鍵をポストにでも投函しておきたかった。
しかし昨夜、事前に入れておいた連絡にも彼は家にいることを宣言してきていた。
「……何か話したいんじゃないの? 俺のことは気にせずにゆっくりしてきていいから」
彼の優しい言葉に、しかし沙智の憂鬱は募るばかりだ。
「来客用の駐車場空いてるといいけど」
誤魔化すようにそうつぶやくと、彼が「空いてなければその辺ドライブでもしとくから」と答えた。
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