第13話 シックス センス1
痛みに堪えて足を引きずりながら、ぼくは何とかキッチンにたどり着いた。
そこには……、やっぱりあの通路が出現していた。扉は大きく口を開けている。奥には見覚えのある無機質な階段が見えた。
外から聞こえる雨の音がどんどん激しくなっていく。叩きつける滝の様な音に混じって、雷の低い唸りも聞こえた。
そしてぼくの頭に選択肢が現れる。
1 階段を降りる
2 扉を閉める
嫌な予感しかしない……。扉はどうしてこのタイミングで開いたんだろう? もう少しであのメデューサを倒せたのに……。まるで生き残りのメデューサを逃す為に扉は開いたみたいだ。そして生まれたばかりの第2世代メデューサは迷わず地下室へと逃げ込んで行った。ぼくの理解を超えた何かが起こっている。けれど悩んでる暇なんてないんだ。ぼくがやらなきゃ……。そうしなければひなの先生の命が無駄になる。
覚悟はとうに決まっていた。
「1」を選んだ。
ぼくは全身の痛みに耐えながら地下室への階段を降りていく。階段を降り始めた途端に、あれだけ激しく響いていた雨音がパタリと止んだ。
階段は相変わらず耳が痛くなるくらいの静けさ。地面にはチリひとつ落ちていなかった。三角形のスタイリッシュな照明に照らされた階段を1段、1段、噛み締めるみたいに降りていく。気持ちは急いでいるのに目が霞んで足どりはおぼつかなかった。1歩降りるたびに背中が砕け飛んでしまいそうな痛みが走る。
痛い。痛い。痛い。
でも……、やらなきゃ……。
ひなの先生の言葉がぼくの頭に響く。
『やるのよ、守本君。あなたがやるしかない。あなたならできるはず。これ以上、間々宮さんみたいな犠牲者を出してはいけないの! 』
その通りだった。今、メデューサを倒せるのはぼくしかいない。無茶でも何でもぼくがやり遂げなくてはいけないんだ。童貞を卒業して大人になったぼくならきっとできるはずだ。ぼくはもう2度と親友を撃ち殺したり、担任の先生の首をはねたりなんてしたくなかった。
だからやるんだ……。
きっと大丈夫。この階段の下には大きな部屋があるだけで行き止まり。逃げ道はない。追い詰められているのはメデューサの方だ。そして生まれたばかりの第2世代なら、今のぼくでもなんとか倒せるはず。
ぼくは体の内側からズキズキと広がる痛みに耐えて、必死に自分へ言い聞かせた。少しでも気を緩めたら痛みで気を失ってしまいそうだった。じっとりと粘りつくような汗が頬を伝っていく。
立ち止まりそうになる度に、あかねとひなの先生の顔を思い出した。大好きだった2人をぼくはこの手で殺した。間違いなく自分で選んだことだ。ぼくは望んで2人の息の根を止めた。
けれど……、それをやらせたのはメデューサだ!
無理やりそんな選択肢を選ばせたメデューサを心底、憎んだ。
全部、アイツらが悪いんだ。メデューサさえいなければ……、やつらを殺し尽くせば全て終わるんだ……。
メデューサを憎むことで腹の底からフツフツと力が湧いてきた。それは毛穴から黒い煙が溢れ出てくるみたいに不吉な力だったけれど、そのまがまがしい力が今のぼくには必要だった。
ふいに手に握っている1号がグンと一回り大きくなった。そして刃から次々と小さな刃が枝分かれして生えてくる。それはまるで樹木みたいな剣に変わっていく。枝分かれした刃からは、パチパチと小さな閃光が生まれては消えていた。大きさは掃除の時間に使う竹ぼうきくらい。かなり大きい……。けれど重さは感じない。全然、感じない。1号はもはや自分の手の延長みたいだ……。
「バチチッ……」
軽く素振りをする。刃から漏れ出る光が弾けて小気味よい音がした。
パワーアップしてる……。不思議な事に肩の傷も心なしか痛みが和らいでいる……。
1号はぼくの成長に合わせて形を変え強くなっていく。そしてぼくも1号につられて……。
もしかしたら、ぼくはもう元には戻れないかもしれない。けれど……、それでもいい。
この力があればメデューサを倒せる。
ぼくは足にグッと力を込めて先を急いだ。
そうして一体どれくらい地下へと階段を降りただろう。
ふと気がつくと、前に来た時と同じように階段は唐突に途切れて見覚えのある踊り場にたどり着いていた。
目の前にはあの地下室への入り口、銀の扉がある。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
ぼくは息を整えてから、右手の空魚1号を軽く振る。
「ビュババッッ! 」
刃の枝から不思議な光の粒がほとばしる。
やれそうだという手応えを感じた。
そしてぼくは、ゆっくりと地下室の扉を開けた。
地下室の中は相変わらず広々としていて何もなかった。オフィスの照明のような光がツルツルした白い壁を照らしている。部屋の真ん中にはポツンと1つ、白い土管があるだけ。前と同じだ。土管には潜水艦の扉のようなハンドル付きの蓋が付いている。
「ん!? 」
蓋についたハンドルが、独りでにスルスルと回ってる。
「そんな!? 」
目を凝らせば、そこには逃げた第2世代メデューサがいた。半透明のメデューサはハンドルに触手を絡ませて、土管の蓋を開けようとしていた。あれほど硬かったはずのハンドルが、スルスルとスムーズに回転している。
「やばい!? 」
「ガコッ」
しかしぼくが駆け出すよりも早く、土管の蓋は開いてしまった。すぐに2つ目のメデューサが土管の中に飛び込んだ。
「……。……。……ジュュプン」
少し間を置いて、深いところでねっとりとした水の跳ねる音がした。
ぼくは慌てて土管の中を覗きこんだ。
土管の内壁は黒く塗られていて手すりはない。下からは風が吹き上げて潮の香りと、ほのかに甘い匂いがした。
そして恐ろしく深い……。
誤って落ちてしまったら絶対に這い上がれないだろう。遥か底の方にキラキラとした青い塊が見えた。土管の底には水が溜まっているみたいだ。
「これは……、井戸だ」
井戸の底でキラキラと光る青い塊を見ていたら、ぼくの頭に選択肢が浮かんだ。
1 井戸の底に飛び込む
2 蓋を閉める
もちろん、ぼくは土管の蓋を閉めることにした。土管の中にメデューサを閉じ込める以外に、今のぼくに打てる手はないように思われた。さすがに井戸の底に飛び込む気にはなれなかった。
「2」をチョイスして蓋に手を掛ける。
しかし土管の蓋はひどく重くて、ちょっとやそっての力ではビクともしなかった。反射的に左手にグッと力を入れたら「メキッ! 」と歪んだ音がして肩に激痛が走った。
「ウグッ! 」
ぼくはうずくまって痛みに耐えた。
その時、井戸の中から音が聞こえた。
「ピチャン! ピチャン! 」
何かが水面で跳ねるような音……。
ぼくは恐る恐る井戸の中を覗き込む。
遥か下の方から何かがせり上がって来ていた。それがなんなのか確かめようと目を凝らすより早く、それはあっという間に登ってきた。
そしてそれは……、いや、それらは井戸の口から次々に勢いよく飛び出して、地下室の高い天井スレスレをグルグルと旋回した。
空魚の群れだ。
空魚達は初めて出会った時と同じ姿、細長くて尖った胸ヒレを持ち、みんな目がなかった。
そして彼らの口にはバラバラになったメデューサが咥えられていた。ぼくの追いかけていた2つ目メデューサは空魚達がすっかり食べてしまったようだ。
野生の空魚は、鳥の大群が山の上を群で旋回するように、部屋の天井をいつまでも回り続けていた。
ぼくは呆気にとられてその様子を見ていた。右手の1号は仲間達の群れに加わろうと体をくねらせている。
その時、井戸の中から別の音が聞こえてきた。
「ルルゥラァァ……、リリィィ……」
奇妙な音が井戸の深い所から響いてくる……。
「!!? 」
その音がぼくの背筋を激しく震わせ。何だかわからないけれど、その音には本能的な恐怖を喚起する何かがあった。
この音を聞いてはいけない。その意味を理解してはいけない……。音のヌシを見てはいけない……。ここにいてはいけない! !
すぐに選択肢が浮かぶ。
1 すぐに逃げ出す
2 この場を離れる
3 急いで脱出
逃げる一択だ!
けれど、金縛りに掛かったみたいにぼくは立ちすくんでしまう。
体が動かない!
「ルゥリリリィィリリルゥゥル……」
その音はどんどん近づいてくる。一体何が発する音なのかぼくにはわからない。ただそれが近づいてきていることだけはハッキリしていた。野生の空魚達とは別の何かが井戸を登って来ている。
「リィィルリルゥゥル……」
もうすぐそこにいる!
そしてそいつは姿を現した。
「!? 」
その何かは井戸の口からヌッと体を突き出すと、少しの間、動きを止めた。
それはジッとぼくを見ているようだった。
けれど……、ぼくには目の前にいるそいつの姿が見えない。そのかわり井戸の口から5メートル四方くらいの空気が歪んでいた。そいつがいるらしい空間は不自然にキラキラと仄めき、ボンヤリと何かが動いているのはわかるのだけれど……。そいつの体全体が目の細かいモザイクにでも包まれているみたいに実体を見ることができなかった。
とにかく逃げなきゃ!!
走り出そうと必死に力んだけれど、ぼくの体は石像になったみたいに1ミリも動かなかった。
何かがいる!
すぐそこに……、見てはいけない何かが!
井戸からゼリーみたいにはみ出した空気の歪みは、スルスルと天井まで伸びていく。そしてその歪みは、天井を旋回していた空魚達を捉えた。
「グプッ! ベチョョ!! 」
空気の歪みに触れた空魚達は、まるで硫酸でもかけられたみたいにドロドロに溶けて見えない何かに吸い込まれていく。
「グチャ! バキキッ! ミチチャ!! 」
辺りに空魚の見えない破片が飛び散る音だけが不気味に響いていた。
あっという間に空魚の群れは食べ尽くされて、かわりに歪みはグンと一回り大きくなった。
それからまたあの不思議な音が聞こえた。
「ルゥゥリリィリリィルル、ルルリリィィ」
その音を聞いたぼくは、唐突にこの場所の意味を理解した。
空魚やメデューサはコイツのエサなんだ!
この場所は目の前にいる化け物を釣り上げるために作られた捕獲場。だからこの部屋には空魚とメデューサを捕らえた瓶があったんだ……。
ぼくの体は相変わらず1ミリも動かない。全身の毛穴から汗が吹き出して、心臓が全速力で走っているときみたいに激しく鼓動している。足は地面に釘付けされたみたいに固定されていた。
そして視線は……。そんなものは見たくないのに!
ぼくの目は歪んだ空気の塊を凝視して、なんとかその中にいるものを見定めようとしてしまう……。
見えない膜の向こう側で何かが蠢いている!
突然、キラキラと仄めく歪んだ空間から細長い何かがぼくに向かってゆっくりと伸びてきた。それはズルズルとぼくの腰に巻きついていく……。
何かがぼくの肌に触れる。
むき出しの腕やTシャツ越しにゾッとする不快な感覚が走った。ぼくの腰に巻きついたそれには、びっしりと細くて小さな体毛が生えていた。そしてその体毛の一本一本がヌルヌルと蠢いていた。
「ッ……! 」
皮膚から直接伝わってくるゾワゾワした不快感に、ぼくは絶叫したつもりだったけれど、実際にはこわばった口が少し開いて空気が漏れただけだった。
すると、地面に転がっていた空魚1号がフラフラとぼくの前に泳いできた。
泳ぎがおぼつかない……。
1号も怖いんだ……。
それでも1号は、頼りなくぼくの周りを一周すると、枝分かれした刀身から一気に光の粒を放出させた。
「バチチッ!! 」
1号はぼくを守る気だ!
(「ダメだ、1号!! 」)
声の出ないぼくは心の中で叫んだ。
しかし1号はブルブルと体を揺すり、チラッとぼくの方を見てから、目の前にある空間の歪みへと矢のように飛び込んでしまった。
「ビキキッ!! 」
光を纏った1号が歪んだ空間の塊に触れた時、水面に雨粒の波紋が広がるみたいに、化物の周りの空間が波打った。
「ルリリィリムィ……」
一瞬、突撃した1号と化物の透明なベールは反発し合いながら拮抗した。
しかしすぐに空魚1号は歪んだ空間にズブズブと飲み込まれて、頭からドロドロと溶けていった。そしてそのまま空魚1号は体ごと奴の中に吸い込まれてしまった。
その瞬間、ぼくの中でブッンと何かの線が切れる感覚があった。それはひなの先生に寄生していた第1世代メデューサの強力な攻撃をくらった時に感じたモノと同じ種類の感覚だけれど、今回のやつはずっと深くて致命的な断絶だった。
1号……!!
ぼくは絶望的な気分で目を閉じた。
すると頭の中に声が聞こえてきた。
『リヴァイアサン』
「えっ……!? 」
その声は男なのか女なのかわからない。ただ脊椎を揺さぶるような嫌な感覚が体を貫いた。その瞬間、ぼくは射精した。
怖くて、怖くて仕方ないのに!
ぼくのちんちんはいつのまにか硬く勃起して、その先からダラダラと精子を放出していた。
そしてもう一度、同じ声が響く。
『リヴァイアサン』
「あぁ……、あぁ……、そうか……、そうなんだ….…。それが奴の名前……」
『ササゲヨ』
『スベテヲササゲヨ』
ぼくは奴の……、リヴァイアサンの声を聞いて気が狂いそうになる。
恐ろしい! 恐ろしい! 恐ろしい!
目の前にいるのに姿の見えないリヴァイアサンがただただ恐ろしい。
ここにいてはいけない!
こいつの側にいたら気が狂ってしまう!
しかしぼくの足は誘われるようにゆっくりとリヴァイアサンに向かって歩き出す。そしてぼくのちんちんは勃起したまま、まだ射精していた。
そんなことはしたくないのに! !
心臓が破れるんじゃないかと思うほど、強く、早く鼓動している。
助けて! 助けて! 助けて!!
ぼくの体に巻きついた何かは、ぼくを歪んだ空間の中心に引き寄せるている。ぼくのちんちんはいつまでも精子をダラダラと放っている。
狂う! 狂ってしまう!!
リヴァイアサンを包む膜が、まるでぼくを手招きするようにユラユラと揺れていた。
あぁ……! ああぁ……!!
目を閉じる事ができない。
奴の体に近づくにつれて、リヴァイアサンを包んでいる歪んだ空間は、何枚も重ねたベールを1枚1枚剥がしていくように薄らいでいく。
そしてボンヤリとリヴァイアサンの本当の姿が浮かび上がってきた……。
ああぁ…、あぁぁ! それは!!
「すい君!! ダメ!!! 」
突然、背後から声が聞こえた。
声とともに空魚2号がサッとぼくの前に現れると、ぼくの体に巻きついたリヴァイアサンから伸びる何かを切断した。不意に金縛りが解けて体が自由になる。射精が止まる。
ぼくはブルブル震えてそのままへたり込む。
空魚2号は素早くぼくの前に来ると、口を大きく開けて唄った。
「ルゥゥゥゥ……」
2号の唄は空気を震わせ、波のようにうねってリヴァイアサンを襲う。リヴァイアサンの体の周りを包んでいる空気の歪みが2号の唄を浴びて波のようにタプンタプンと揺れていた。
ぼくの前に2号。そしてぼくの背後にはゆめちゃんがいた。
ぼくは振り向いて叫んだ。
「ゆ、ゆ、ゆめちゃん! こ、こ、こ、コイツは……、や、ヤバすぎる!! は、は、早く逃……」
ぼくの叫びを遮るように、頭の中であの声がする。ハッキリと意味が分かる言葉で。
『オンナァァァ、オンナァァァ、ササゲロォォォ! 』
ゆめちゃんの顔が恐怖で凍りついた。こいつの声を聞いただけで人間はみんな動けなくなってしまうんだ。
明らかに歓喜を含んだ声を上げたリヴァイアサンは、自身を包む半透明のベールの中から実体のあるものを突き出した。
それはムカデによく似ていた。大きさは野球のバットくらい。黒い甲胄をつなぎ合わせた胴体に爪楊枝を直角に折ったような足が並列に生えて蠢いている。ムカデの頭に当たる部分は薄いピンクで、人間の男が持つ性器の鬼頭そのものだった。その禍々しいものはリヴァイアサンの性器だった。
奴はゆめちゃんを犯す気だ!!
「ゆ、ゆめ、ちゃ……、は、は、早く……、逃げてぇぇ! 」
ぼくは床を這い震えながら叫んだ。
けれどゆめちゃんは諦めたような表情で言った。
「すい君、リヴァイアサンからは逃げられない。わたしも階段でコイツの声を聞いたの。声を聞いただけでわかった。この化け物は特別な何か。空魚やメデューサよりずっと強い力を持った何か。とても人間がかなう相手じゃない」
「じゃあ、何で降りてきちゃたの!? 」
「すい君を放っておけるわけ無いでしょ! 」
ゆめちゃんは怒鳴ってから少しだけ笑った。
ゆめちゃんの言葉にぼくの心が揺れた。
いつもそうだ。ゆめちゃんと一緒にいると心が震えて泣きそうになる。ゆめちゃんはぼくに力をくれる。
でも……、ダメだ!
このままでは2人ともリヴァイアサンの餌食になってしまう。何とかしてゆめちゃんだけでも逃さなきゃ!!!
でも一体どうすれば??
肝心な時に選択肢がでない!!
立ち上がる事もできないぼくは、泣きながらゆめちゃんに「逃げろ! 」という視線を送る。今のぼくにはそんなことしかできない……。
そんなぼくの様子を見て、ゆめちゃんは悲しそうにうなづいた。
「1つだけ……。1つだけやれることがあるの。でも……、わたしがそれをしても……、すい君、お願い! わたしの事……、嫌いにならないで……」
ゆめちゃんは思い詰めた顔でそう言った。それは初めて見る表情だった。
「ゆめちゃん? 」
みっともなく床に這いつくばっているぼくにゆめちゃんが駆け寄る。そしてぼくの頬に両手を添えると優しく唇を重ねた。
「んっ!? 」
ぼくとゆめちゃんはキスをした!
時が止まった。
そして大事な事に気づいた。
それはぼくにとって人生初めてのキスだった!
ゆめちゃんの唇の感触が一瞬のうちにぼくの思考と想いを加速させる。そのキスがぼくを変えていく。
ゆめちゃんの裸を見て、おっぱいを揉んで、フェラして貰って、ちんちんをゆめちゃんの中に何度も挿入したのに、ぼくらはまだキスをしていなかったことに今、気づいた。
順番がめちゃくちゃじゃないか!
……いや、違う、違う、そうじゃない!
そういう事じゃないんだ。順番なんてどうでもいいんだ。そもそも童貞を捨てるとか、裸が見たいとか、ちんちんを入れたいとか、そんな全ては単なる過程であることに、事ここに至ってようやく思い当たる。絶望的なこの状況でようやく自分の本心に気がついた。
そう……、ぼくはゆめちゃんを愛している。
一番大切な事はその気持ちだった。
なんでそんな当たり前の事に気がつかなかったんだろう!
なんで今更……、絶体絶命の今になって!!
ぼくは泣きながらゆめちゃんを見た。
ゆめちゃんはぼくの唇にそっと人差し指をあててから、自分の唇をその指でなぞった。
「わたし達のファーストキス、忘れないでね」
そういって笑った。メガネが反射してその瞳が見えなかったけれど、多分、ゆめちゃんは泣きそうだったと思う。
それからゆめちゃんは自分の制服のスカートの中に手をいれてパンツを脱ぐ。
そして2号の方を見て言った。
「2号、おいで……」
リヴァイアサンに向けて唄の波を発し続けていた2号は、ゆめちゃんの言葉を聞くと嬉しそうに飛び跳ねた。そしてゆめちゃんの周りをグルグル回った。
「2号がそれを求めていることを……、わたしは最初から知っていたの。でもわたしは拒んだ。どんなに気持ちよくっても、それをしたら……、きっとわたしは、人では無くなってしまうから……」
瞳が潤んでいるのが見えた。やっばりゆめちゃんは泣きそうだった。
ゆめちゃんを助けなきゃ……。
「何か」からゆめちゃんを守らなきゃ……。
けれどぼくの頭に選択肢は浮かんでこなかった。
これは強制イベントだ。ゆめちゃんの言っている事はまるで分からないけれど、ぼくの力を超えた何かが始まろうとしていることだけは分かった。
そんなぼくの表情を見て、ゆめちゃんはなぜだか、またうなづいく。そして言った。
「きて……」
それがぼくの聞いたゆめちゃんの最後の言葉だった。
合図を待っていたかのように、2号は白い光を放ってムクムクと変化していく。あっという間に2号は大きなナメクジのようなものになると、ゆめちゃんのスカートの中に飛び込んだ。
ゆめちゃんのほっぺたがみるみるうちにピンク色に染まっていく。
そしてゆめちゃんから白い光が溢れ出した。
『オオロカナァァァァ!! ソンナモノニササゲルトハ……、ナントオロカナオンナダァァ! オンナァァァァ!! 』
リヴァイアサンの声がガンガン頭に響いた。その声は怒りに染まっていた。
ゆめちゃんはまばゆい光に包まれて見えなくなってしまった。
「ラァァァァァ……」
「ララァァァァ……」
しかし光の中からは唄が聞こえる。それは2号の唄によく似ているけれど、ずっと力強かった。
突然、リヴァイアサンは体を包む半透明のベールから鱗に覆われた腕を突き出した。それは人間の腕の形によく似ていたけど、指は6本あった。指先には鱗が無い。その指は白く細くてまるで女の人の手みたいだった。
えっ、あの指輪!?
一瞬見えたあれは!??
リヴァイアサンはその鱗に覆われた腕をゆめちゃんを包む白い光りの中心にズブリと差し込んだ。
「ロムロルロロロロ!! 」
リヴァイアサンが奇声を上げて腕を引き抜く。白い光に触れたリヴァイアサンの腕は、鱗が焼け焦げてドロドロに溶けていた。
「ロロゥロリレルァラロロ……」
リヴァイアサンがまた奇声を上げて後ずさる。
「キィィィンンン」
耳をつんざくような音がして、白い光がパッと四散する。
そして中から何かが現れた。
それの上半身は間違いなくゆめちゃんだった。サラサラの髪。美しい顔にメガネ。お椀型の綺麗な胸。華奢な肩から伸びる折れそうな白い腕。
でもおヘソから下は……、魚だった。それの下半身はキラキラ光る白い鱗に覆われて、ヒレは膝のあたりで二股にわかれていた。
「ゆ……、め……、ちゃん!? 」
ゆめちゃんは少しだけぼくを見て悲しそうに微笑む。そして歌い出した。
「ララァララァァァ……!!! 」
その声は津波のように辺りを揺らせた。そして歌声がリヴァイアサンを包み込む。
まるで部屋全体が歪んでいる様な衝撃!
ゆめちゃんの歌声は2号の攻撃に似ていたけれど、威力が段違いだった。ぼくの肌にビリビリと電気が流れやるような感覚が走る。
リヴァイアサンの透明な体全体が音の波に呑まれて吹き飛ばされた。やつの体が壁に叩きつけられてめり込んでいく。壁には見えないリヴァイアサンの体がめり込んだ衝撃で亀裂が走った。三又に分かれた奴の尻尾の跡がクッキリと壁に浮き出ている。
ゆめちゃんは歌いながら、指揮をするみたいに指を振る。
すると井戸の中から大量の空魚が現れて、ゆめちゃんの周りに2列に整列した。
後列の空魚は口をスピーカーのように変化させてゆめちゃんと一緒に音の波を発する。
前例の空魚達はドリルのような刃がついた槍に変化して一斉にリヴァイアサンへ突撃した。
「パチン! パチン! 」
空魚達が突撃した空間では泡が弾けるような音がして、リヴァイアサンの透明な体が破裂している! 泡が弾けた辺りには緑色の液体が飛び散った。
「ロロゥ……、ル、ル、ル、ル、ル」
リヴァイアサンは壊れた機械みたいな声を上げている。
苦しんでいる!
あのリヴァイアサンが苦しんでる! !
すごいよ、ゆめちゃん!!!
やがてリヴァイアサンを包む歪んだ空気の塊が、まるで掃除機に吸い込まれる水滴のように土管の入り口に集まったかと思うと、不意にその気配が無くなった。
どうやらリヴァイアサンは井戸の奥深くにある青い海に逃げ帰ったみたいだ。
ゆめちゃんはスイスイと空中を泳いで白い井戸にたどり着くと、あの硬かった蓋を軽々と閉めてハンドルを回した。
「ギギギィ……」
井戸の蓋は完全に閉じられ、あたりは急に静かになった。
ゆめちゃんの周りにいた空魚達もいつのまにか消えていた。
そしてゆめちゃんは感情のよくわからない表情で白い井戸を見つめている。
「……ゆめちゃん」
振り返ったゆめちゃんがぼくを見た。
「ゆめちゃん、その姿……」
ゆめちゃんは口をパクパクと開くのだけれど、なぜか声を出さない。
「ゆめちゃん? ゆめちゃん、どうしたの? 」
ゆめちゃんの口は動いている。けれど音は聞こえない……。
「ま、まさか、ゆめちゃん!? ……もしかして、こ、声が……、出ないの? 」
ゆめちゃんは困った様な表情でうつむいてしまった。
ゆめちゃんの体からは仄かに白い光が漏れ出し、下半身の鱗は呼吸するようにゆらめいている。髪をなびかせ尾ヒレを振るその姿はまるっきり人魚だった。
「ゆめちゃん……」
ぼくの頬を涙が伝う。
もうダメだ……。
ゆめちゃんが人間じゃなくなっちゃった……。
取り返しがつかない!!
せっかくゆめちゃんへの気持ちにに気がつけたのに!! これからもっと楽しいことがはじまるはずだったのに……。結局、ぼくは大切なゆめちゃんを守れなかったんだ。それどころか守ってもらってこの様だ……。
ぼくは本当にダメだ!
あかねの時も、西野ひらめに襲われた時だって、ゆめちゃんに助けられた。ぼくは愛してる人から貰うばかりで何も返しせていない……。
もう童貞じゃないのに、ぼくは結局、ちっとも大人になってない。ゆめちゃんにまだ何もしてあげられていないのに……。それなのにゆめちゃんはもう……。
ぼくのせいだ。全部、ぼくのせい……。
ガックリと膝をつく。自分の不甲斐なさが憎い……。もうこのゲームに先なんてない……。バッドエンド。散々頑張ってたどり着いた結果がこれ……。人生ってホントにクソゲーだ。
一体……、どこで選択肢を間違えたんだろう。……全然分からない。もう何も分からない。何もかも……、どうでもいい……。
ぼくは絶望的な気持ちでがらんとした不思議な部屋の天井を見上げる。天井はただただ白く無機質だった。
すると……、ゆめちゃんがスーッと空中を泳いできて、ぼくの顔を両手ではさむようにして覗き込んでくる。
メガネ越しのゆめちゃんの瞳は今にも泣き出しそうだったけれど、それでも口元はほのかに笑っていた。
そしてゆめちゃんは、ぼくの唇に人差し指をつけてから、自分の唇をその指でなぞった。
ぼくの心が震えた。
ぼくは泣きながら人魚の手をギュッと握った。
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