三章

「ふえっくしょい、ちくしょー! べらぼうめぇ!」


 女子高生らしからぬ千佳のくしゃみに俺は手を止めた。


「いくら夏って言ってもこんだけ長い時間、水の中にいると寒くなってくるね」


 なんて言いながらも千佳はざるで水蛇の川をさらう手を休めようとしない。

 最初は水蛇たちに拒否反応を示していた千佳だったが、一旦、手をつっこんでしまえば慣れるのは早かった。さすがに肝が据わっている。


 水蛇が一斉に孵化して二時間近く経とうとしている。恐らく龍も孵化してから同じくらいの時間が経っているはずだ。

 いまだに俺たちは龍を捕らえるどころかその姿すら見ていない。それらしい影を見つけたと思って追いかけて飛びかかるのだが、捕まえてみるとコイやフナなのだ。本流の多摩川おおまがわから入り込んできたらしい。

 水蛇たちの中を走りまわったり飛び込んだりしたせいで三人とも髪も制服もびしょ濡れだ。


 龍は百年に一度、この蛇尾川へびおがわで生まれると言われているけど相手は自然現象。人間の時間感覚やスケジュールに合わせてくれるわけじゃない。大体、百年に一度というだけで今年は孵化していない可能性もある。


「絶対にいる。絶対に見つける。絶対に捕まえる。んで、絶対に願いを叶えてもらう!」


 ここに龍はいないかもしれない。

 どれだけ探しても見つからないかもしれない。


 俺たちの胸にじわじわと広がる不安を打ち消すように叫んで、千佳は水蛇たちが作り出した黒い川を睨み付け、ざるでさらい続けている。

 空を見上げると水蛇たちの孵化が始まる前に見上げたときよりも濃い青色の範囲が広がっていた。


「だいぶ日が暮れてきたな。そろそろ出ないと風邪引くかも」


 俺は水から手を出した。すっかりふやけて爪も青くなっていた。

 ちらっと千佳の横顔を盗み見る。唇が青くなっていた。風邪を引くという俺の言葉は聞こえていないのか。聞こえていて聞き流しているのか。川から出るどころか顔をあげようともしない。

 でもそろそろ潮時だろう。


 もし千佳の言うとおり龍がいるとして、今はどれくらいの大きさになっているだろうか。もう二メートル以上に育っているだろう。そろそろざるで捕まえるには無理のあるサイズになっているはずだ。

 びしょ濡れのまま夜風にあたっていたら本当に風邪を引いてしまう。


「千佳、清孝。そろそろ諦めて……」


「おい、あれ!」


 川から出よう。

 そう言おうとした俺を清孝の声が遮った。清孝にしては珍しい大声に俺も千佳も顔をあげた。


「清孝、何!?」


「……あそこ」


 清孝が指さしたのは俺らがいる場所よりも二十メートルほど川上だった。一見すると体長二、三十センチほどに育った水蛇が折り重なって泳いでいるだけのように見える。

 でも一瞬、水蛇たちの色が濃くなった。水蛇の群れの中を大きな蛇らしきものが泳いでいるのが影として見えた。コイやフナの影とは明らかに違う。大きさも蛇のように長い体も資料に載っていた龍の幼生に近い。


「龍……かな」


 千佳が腰を低くした。構えているのが竹ざるというのが笑えるけど千佳の目は真剣そのものだ。


「この状況でただの魚だったら……その魚、鮮度も何も無視して焼き肉のたれで食ってやる」


 千佳の横に並ぶと清孝も業務用のステンレスざるを構えた。龍らしき影は二メートルほどあるだろうか。俺たち三人が持っているざるの中で一番可能性があるのは清孝が持っている業務用サイズの大きなステンレスざるだろう。

 龍らしき影はどんどんと俺たちに向かってくる。もし、あの影が龍だとして、この機会を逃したら次に見るのは空に昇っていく龍の姿かもしれない。


「清史郎!」


「早く、早く!」


 二人に急かされて俺も清孝の隣に並んだ。


 小学生の頃、よく三人で川魚を捕まえておやつに食べた。

 二匹捕まえて清孝の家の台所でさばいて、塩を振って焼いて。体の大きな清孝は丸々一匹、俺と千佳はもう一匹を半分つして食べる。

 今にして思えばずいぶんと贅沢なおやつだ。


 釣竿を使って釣り上げるんじゃない。仕掛けに追い込むやり方だ。仕掛けを持つのは一番、反射神経のいい清孝。俺と千佳は脇から追い立てる役だ。

 千佳も清孝もなにも言わないけど自然と川魚を捕まえたときと同じ立ち位置になった。つまり、そういうことだろう。


 影はひとうねりで自分の体長と同じくらいの距離を進む。水蛇よりも大振りで緩慢な動きに見えるけどなにせ体が大きい。あっという間に俺たちの目の前までやってきた。

 川の中央を泳いでいた影が不意に頭を千佳の方に向けた。俺たち三人に気が付いて川の端をすり抜けようとしているのだろう。水に浸かっている足を見てか、水面に映る影を見てか。一番、小柄な千佳の脇をすり抜けようとねらいを定めたのだろうが俺と清孝からしたらご愁傷様と言いたくなる選択だ。


「なめんな、龍!」


 女子高校生とは思えないドスの利いた声で千佳は叫んだ。

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