5
水の流れていない川のあちこちに転がっている丸みのある石から水が染み出していた。黒真珠のようなぬらりとした水――のように見えるソレらは体をくねらせて石から這い出てくる。
数百、数千……もしかしたら数万個になるかもしれない石から一斉に這いだしてきたソレらは――。
「蛇! 蛇ー!?」
体長十センチほどの黒っぽい蛇の姿をしていた。
「正確には
千佳の悲鳴を聞きながら俺はにやにや顔で言った。
次から次に石から這い出てきた水蛇は水のない
水蛇はアオダイショウによく似た姿をしている。黒みの強いアオダイショウだ。資料に蛇にそっくりな姿をしていると書いてはあったが、ここまでリアルな姿をしているとは思わなかった。
「……」
「咬まれたりしないか? 毒は?」
千佳は宙の一点を見つめて、ついには凍り付いてしまった。清孝は無表情だが、よく見ると顔が青くなっている。
「咬まれもしないし毒もない。蛇の形をしているけど水蛇は水なんだよ。よく見てみろ。……千佳も、ほら」
千佳は恐る恐る足下に目を落として――。
「ムリ! ムリムリムリ!」
すぐにきつく目をつむって顔を上向けた。気持ちはよくわかる。
俺の足にぶつかり水しぶきをあげて砕け散った水蛇は、ふくらはぎの後ろで合流すると再びアオダイショウそっくりな姿に戻って下流へと泳いでいく。
ただの水だとしても、毒を持っていなくても、咬まないとわかっていても、幼生で小さな体をしていても、数千、数万の蛇が折り重なって這いずり回る姿は気持ち悪い。事前に調べてわかっていた俺でもぞわっとするのだ。前情報なしに水蛇に囲まれた千佳や清孝はたまったものじゃないだろう。
「この水蛇の幼生の中に一匹だけ龍が混ざってるんだ。龍の幼生は水蛇の幼生に似た姿をしている」
エサである水蛇に警戒されずに近付くため、天敵から身を守るための擬態だ。
「見た目ではわかりにくいけど龍は水蛇と違って石や俺らにぶつかっても水にはならない。だから水切りざるを使って捕まえようってわけ」
千佳と清孝の反応を見て溜飲が下がった俺は胸を張っていまさらのように説明した。
「こ、こういう状況になるってこと……わ、わわわわわかってて黙ってたでしょ、清史郎!」
「千佳と清孝が俺の話をすんなり信じないから説明する時間がなくなったんだ。ほら、ぼさっとしないで手とざるをつっこむ! 龍を探す!」
睨む千佳を澄まし顔で無視して、俺は水色の水切りざるを水蛇の群れにつっこんだ。大量の黒い子蛇がうにょうにょしている中に腕をつっこむのは勇気がいるけど、入れてしまえば感触はただの水だ。
「…………」
露骨に嫌そうな顔をしながらも清孝も業務用のステンレスざるを水蛇の群れの中に沈めた。千佳はと言えば薄目をあけて足元をちらっと見て、勢いよく顔を背けて、また薄目をあけて……をひたすらに繰り返している。
「小さい頃、アオダイショウを素手でつかんで俺のことを追いかけ回してたのはどこのどいつだよ」
「小学生の頃の話でしょ!」
「黒くてつぶらな瞳が可愛いでしょーって言って俺のことを追いかけ回してたのはどこのどいつだよ」
「だから、小学生の頃の話でしょ! いつまで根に持ってんのよ!」
「ぎゃん泣きしてたよな、清史郎」
「うるさい、清孝」
いつもは無表情のくせにこういうときに限って笑みを浮かべる清孝に、俺は顔を引きつらせた。爽やかな笑顔じゃない。腹が立つくらいの薄ら笑いだ。
「大体、あのときは一匹だけだったじゃない。こんな……こんな……!」
薄ら笑いとジト目で見つめ合う俺たちのことなんてお構いなしで千佳はぶつぶつと呟き続けている。声も震えている。頭では大丈夫とわかっていても生理的に受け付けないのだろう。
「無理そうなら土手にあがってていいぞー」
ただ見てろ、というわけじゃない。
透明度は低いし夜の川のように暗い色をしているけど、水でできている水蛇の体は透けている。成体になっても四十センチほどまでにしかならない水蛇の群れの中を、二時間ほどで三メートル近くまで育つ龍が泳ぎ回っていればそれなりに目立つ。
高いところから広い範囲を見渡して龍の影を探してもらおうという算段だ。
でも――。
「やるわよ! 清史郎と清孝だけに任せてらんないもの!」
千佳は威嚇する蛇のように牙を剥いて怒鳴った。千佳のプライドはヒマラヤ山脈はおろか、貯金豚が暮らす高山よりも遙かに高い。余計なことを言って千佳のプライドを傷つけようものならどんな目に遭うかわかったものじゃない。
「俺ら、信頼されてないな。清史郎」
「そうだな、信用されてないな。清孝」
薄ら笑いとジト目の戦いをやめた俺と清孝は妙に穏やかな笑みを浮かべてうなずき合ったあと、千佳の横顔を見守った。
きつく目を閉じた千佳は竹ざるを高く構えた。
そして――。
「ぜっっったい! 龍を捕まえて願いを叶えてもらうんだからぁ!」
カッと目を見開いたかと思うと気合い一閃、竹ざるを構えた手を水蛇の群れにつっこんだのだった。
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