「着いたぞ」


 蛇尾川へびおがわ沿いの土手に車を停めると清孝が仏頂面で言った。慣れない運転で疲れたのだろう。でも、それを気遣ったり労ったりしている余裕はない。車から転がり出た俺はアスファルトの上に大の字になった。昔から車酔いしやすい方だったけど最近、特にひどい。


「清孝の運転が下手くそなせいか」


「文句があるなら自力で来い」


 アスファルトに引っくり返っている俺を見下ろして清孝は冷ややかに言った。

 俺らの高校から蛇尾川まで自転車で二時間ちょっと。来れないこともないがあまりやりたくない。これから体力を消耗することと帰りは自宅まで三時間ということを考えるとなしだ。絶対になしだ。

 清孝もわかっていて言っているのだから性格が悪い。やっぱり清孝の天国行きはなさそうだ。


「百年に一度のことだっていうのにびっくりするくらい誰もいないね」


 寝転がったまま顔を横に向けると千佳の靴がつま先立ちしているのが見えた。あたりのようすを見回しているのだろう。


貯金豚ちょきんぶたの産卵と重なったからな」


 清孝も千佳と同じようにあたりを見回しているようだ。ザリ……と靴がアスファルトを踏みしめる音がした。


「本当にご利益があるかわからん龍より確実に金になる貯金豚を狩りに行くだろ、普通」


 ようやく気持ち悪いのが治まってきた。俺は起き上がるとアスファルトの上にあぐらをかいた。制服姿のままだけど、まぁ、いいだろう。どうせこのあと散々に汚すことになる。親に怒鳴られた上でクリーニングをお願いする羽目になるのだ。


 水のない蛇尾川はまるで枯山水だ。

 灰白色の石が流れる川の形作る。水なんて少しも流れていないのにちゃんと川の姿をしていた。


「貯金豚一匹捕まえれば三百万……いや、五百万はかたいからな」


「龍を捕まえればどんな願いでも叶うのに? みんな、夢がないなぁ」


 千佳は腰に手を当てるとやれやれと首を横に振った。


 フライングピッグ。

 通称、貯金豚は高山に住む土食動物だ。豚の貯金箱に似た姿をしていることと腹にあるモノを溜め込んでいることから貯金豚と呼ばれている。

 普段は草も生えなければ虫も小動物も生きられないような、馬鹿みたいに標高が高くて寒い場所で暮らしている。でも五年に一度、産卵のために山を下りて日本地区へと飛来するのだ。

 この辺だと蛇尾川の本流・多摩川おおまがわにやってくる。


 産卵――と、言うとおり貯金豚は卵から産まれる。

 俺たちからしてみればひんやりと冷たいけど高山で暮らす貯金豚からしたら暖かく、流れの緩やかな川の水草に絡めるようにして卵を産みつけるのだ。


 飛来――と、言うとおり貯金豚は空を飛ぶ。

 産卵時期になると山を下り、産卵場所の川へと飛んで向かうために背中から真っ白な羽が生えるのだ。


 土や岩だけを食べているくせに丸々と肥えたピンク色の体が飛ぶためには羽もそれなりの大きさが必要になる。飛来時、羽を広げた貯金豚の大きさは十メートル。それが百匹以上の群れでやってくるのだ。圧巻の光景だけど貯金豚の飛来に人々が騒ぐのはもっと現金な理由だ。


 貯金豚の肉は馬鹿みたいにうまい。〝おふくろの|〇〇〟系メシと並んで毎年のように〝最後の晩餐ランキング〟トップ5に入ってくると言えばうまさの度合いもわかるだろう。ちなみに千佳も清孝も大好物だ。

 うまくて貴重な肉には当然のように高値がつく。


 産卵時期だけ生える羽もいい値段になる。羽毛として上質と言うのもあるのだが骨が薬の材料になるのだ。軟骨の擦り減りによる膝の痛みは三十代以上の三人に一人が抱える現代病だ。貯金豚の羽の骨から生成される薬の効き目は特に良い。


 最後にもう一つ。

 これが人々の一番の目的であり、貯金豚が貯金豚と呼ばれる由縁ゆえん


 貯金豚は砂嚢さのう胃石いせきを持っている。砂嚢は食べた物をすり潰すための器官だ。貯金豚の主食である高山の岩はとても硬い。その硬い岩を消化する助けとして岩よりもさらに固い、高山のどこかにある鉱物を体内に取り込むのだ。

 貯金豚が胃石として用いる鉱物は数十種類。いずれも人間がたどり着くことのできない場所でしか採れない貴重な鉱物。美しい宝石だ。

 貯金豚一匹の体内から出てくる胃石の数は十個前後。一番安い石で十万円。一千万円の値がつく石が出てきたこともあった。


 そんなわけで一攫千金を狙って人々は貯金豚の産卵場所周辺に群がるのだ。


 貯金豚は絶滅危惧種だ。

 この時期、産卵場所への立ち入りは禁止される。それでも毎回のように密猟者が出ただの観光客がうっかり踏み入って卵をダメにしただのとニュースが流れるのだけど。

 ただ産卵場所に辿り着けずに途中で力尽きた貯金豚の捕獲は認められている。産卵場所にたどり着けるのは五割ほど。残り五割の貯金豚を捕獲するべく人々は群がるのだ。


 早ければ今夜から一週間、貯金豚の産卵場所である川の周辺はお祭り状態になる。明日から三連休ということもあって貯金豚捕獲に向かった同級生も多い。

 百年に一度のことで情報も少なく、たった一つしか願いを叶えてくれない上に本当に叶うかもわからない龍の捕獲より確実な貯金豚に群がるのは当然のこと。


 千佳は〝みんな、夢がないなぁ〟なんて言ったけど金で解決できるなら千佳だって貯金豚捕獲に向かっただろう。千佳は結構、合理主義だ。


 金で解決できないからこそ龍を捕獲しに蛇尾川に来たのだ。


「まぁ、こっちとしては願ったり叶ったりよ。ライバルは少ないに越したことはないしね!」


 閑散としている蛇尾川を見回して千佳は不敵に笑った。準備の手伝いもしなければナビとしても役に立たなかった千佳がどうして偉そうにしているのかは謎だが、ライバルが少ない方がいいという点は同意だ。

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