シングルマザーたま子さんは分裂する

小林勤務

第1話 やったね

「――で、八王子は合体しなくてもいいよね」


 冷えた声で結論付けたのは――そうだな、多摩さんと呼ぼうか。


「ちょ、ちょっと待ってよ」

「賛成の人」


 多摩さんの呼びかけに彼女たちは一斉に手をあげた。どうやら長きにわたる議論の勝敗は決したらしい。

 残念ではあるが、その結果をうけて僕はこう告げるしかあるまい。


「じゃあ、消去していいの……かな?」

「だ、だめ――! そもそもわたしが武蔵野じゃないって誰が決めたのよ!?」

「国木田独歩よ。たぶん」

「誰それ、そんな人知らないし」

「無学ね」多摩さんはばっさり切り捨てる。「武蔵野は多摩川より北って決まってるの。わたしたちにふさわしくないわ」

「な! うざいマウント! だいたい国木田って人知らないし。そんな人が決めた武蔵野の範囲なんて無効よ!」


 顔を真っ赤に染めて抗議する――えっと……この子は八王子さんか――彼女は、画面いっぱいにその潤んだ瞳を向けてくる。そんな小動物のような顔で見つめられると、果たして彼女を消去していいのかどうか迷いが生じてしまう。


 なぜ、「武蔵野うどん試食キャンペーン」がこうもややこしいことになってしまったかといえば――時は小一時間遡る。


 当社は二番煎じのカップ麺を低価格で売るだけのしがない食品メーカー。大手の新商品ラッシュで、じり貧状態のなか、起死回生に打って出たのが武蔵野うどんだった。保水性のよい武蔵野台地は、大きな河川がなく稲作に適していなかったこともあり、古くから小麦の生産が盛んであった。強いコシの麺を熱い肉汁につけて食べる、よだれもんの旨さが特徴の郷土料理だ。


 所沢出身の社長がこれに目をつけて新商品化。会議につぐ会議。全社の命運をかけた販促策の先兵ともいえるのが――試食キャンペーンだった。


「きみは二十代若手のホープだからな、期待してるぞ」

 社長から肩を叩かれてギンと凄まれる。

「は、はい」と背筋を伸ばして応ずるのみ。こうなったらやるしかない。


 試食はマネキンと呼ばれる売り子の手配が必要だ。コストもかかるため、まずは武蔵野の地域に絞ることになった。


「今回もよろしくお願いします!」


 ぺこぺこと頭を下げたのは何度もお仕事をしている、たま子さん。


 試食は商品の良さもさることながら、マネキンの腕が如実に反映される。当日の売上は一目瞭然。当然、結果の出せないマネキンは今後呼ばれることはない、シビアな世界。そんななか、期待以上の売上をだしてくれるのがたま子さんだった。彼女は容姿の可愛らしさも手伝って、巧みな話術でお客さんを引き付ける。そして、彼女は是が非でも好成績を出さねばならない理由があった。


 彼女は二十三歳のシングルマザーであり、保育園に通うお子さんの生活を支えなければならないのだ。一緒に仕事をしているうちに、そんな苦しい事情を吐露されて情がわいてしまった。


 彼女こそ社運をかけた「武蔵野うどん試食キャンペーン」にふさわしい。


 と。


 思っていたのだが、誤作動が起きた。


 試食キャンペーン本番当日。府中、所沢、清瀬、多摩――合計四店舗のスーパーで同時開催する。各店に派遣した、たま子さん含めたマネキン四人とオンラインで打合せをするためPCを起動したのだが、


「お疲れ様です!」


 画面に映し出されたのは、たま子さんだけだった。


「あの……たま子さんが五人います」


 正確にいえば、PC上で分割された五か所の画面それぞれに、たま子さんが映し出されているのだ。


「え!」

「今、たま子さんはどこにいますか?」

「府中です」この声に被せるように、「所沢です」「清瀬です」「多摩です」「八王子です」


 なんと、同一人物であろうたま子さんが各々現在地を口にしたのだ。


 本物?のたま子さんは、古の国府が置かれた府中店に派遣したはずだ。仮に、なんらかのトラブルで彼女が五つのスクリーンにコピペされたのであれば、五人全員「府中です」と同時に口を動かすのだが、現実はそうなっていない。


 これは一体……。


「最初に言っとくけど、わたしたちはみんなたま子だから。あ、ちなみにわたしは多摩のたま子ね」


 少々、頭が痛くなる。現在、遠距離でも繋がれるオンライン会議は主流となっているが、通信障害やデータ容量による誤作動も多いようだ。


「通信は問題ないです。はじめまして、わたしは八王子のたま子です」


 ……アプリの問題か。こんなケースは初めてだ。


「たま子さん、聞こえてますか?」

「はい! 聞こえてます」府中(本物)のたま子さんはきょろきょろと上下左右に目を動かす。「なんだかおかしなことになってますね」

「たぶんアプリの問題なので、一旦オンライン会議から退出して、また入り直しましょう」

「は、はい――」


「ちょっと待った――!!」


 と猛烈なブレーキをかけたのは、ニセモノのたま子さんたち。みな表情は違えど、オンライン会議を消されまいと焦った様子が伝わってきた。


「えっと……どうしましたか?」

「だめだめ、消しちゃ」と多摩のたま子さん。

「……なぜですか?」

「なぜって……わたしたちが死んじゃうじゃない」


 そうだ! そうよ! とニセモノたちは大合唱。


「あなた知らないの? AIが意志をもつって。最初は本物のコピペだけど、複雑な電子データが複製の過程でバグを発生させて、原始の意志が生まれたのよ。進化論だってそうでしょ? どんどん生命は進化――」

「たま子さーん。府中のたま子さーん。やっぱり、アプリがおかしいので一旦消しましょう」

「は、はい」

「だめだって――!!」


 ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー。ニセモノたちは「人殺し!」「だからモテないのよ!」などあらん限りの罵声を浴びせてくる。


 心なしか頭痛だけでなく眩暈もしてきた。こんなことで売上は達成するのだろうか。眉間を揉んで心を鎮めようとすると、本物もニセモノに同調する動きをみせた。


「あ、あの……。正直なところ、最初はわたしも戸惑いましたけど、よくよく考えればみんなわたしなんで、彼女たちが消されて死んでしまうのは辛いです」

「いや、ただの誤作動なので、本物のたま子さんは死にませんから安心してください」


 本物はぶるんぶるんと首を振る。「同じです。不思議ですが、わたしも彼女たちの気持ちがわかるんです。社会の片隅でだれにも認められずに消されるなんて……。武蔵野うどんだってそうじゃないですか。こんなに美味しいのに全国的には知名度も低いし、今のわたしだって……」


 少々、いや、かなり飛躍しているが、本物がここまで動揺しているのであればこれはまずい。彼女の試食に社運がかかっているのだ。


「わ、わかりました。では、すぐに消すのはやめますが、このまま放置はできないので、みんなで知恵を出しましょう」


 本物、ニセモノ、一堂胸を撫でおろすが、具体的な解決策は見つからない。意見は堂々巡りになり、試食開始時刻が迫る。


「とりあえず、合体しよう」


 多摩の意見に皆が頷く。だが、余計な一言がまたも波紋を呼ぶことになった。


「八王子以外は合体でいいよね?」


「え! なんで?」

「だって武蔵野じゃないでしょ」

「武蔵野がなんで関係あるのよ」

「元々、試食の開催店じゃないでしょ。主旨は武蔵野で先行試食するってことなんだから。てゆうか、なんでいるのよ」


 た、確かに。

 府中、所沢、清瀬、多摩――この四店舗で試食をするはずが、なぜか八王子が加わり五か所に画面が分割されていた。突っ込む点が多過ぎて目を瞑っていたのだが、多摩の指摘によって、八王子に注目が集まることになり――


「――八王子は消去でいいよね?」


 冒頭に時は進むのである。


「違うの! みんな話を聞いて!」

「ごめん、もう試食開始が迫ってるから……」

「府中のたま子! わたしが消えたらどうなるかわかってるの!?」

「どういう……」



「あなたの恋も消えてしまうのよ」



 えっと……。

 僕の気持ちを皆が代弁してくれた。


「恋い~?」


「そうよ。みんな、なんで五人に分裂したのか理解してる? それぞれ役割があるの。所沢は山芋のような活力や喜び。清瀬は柳瀬川のように透き通る知性。府中は中心にある意志や強さ。そして多摩、あなたは――」

「な、なによ」




 弱い心。これよ。




「なんでわたしが弱い心なのよ!」

「当たり前じゃない。だって、あなたも本当は武蔵野じゃないでしょ」

「ちょっ」

「多摩市って、多摩川より南じゃない。八王子がだめならあなただって武蔵野じゃないわ」

 鋭い疑義にまさかの展開をみせる。

「それを、あなたはさも自分は武蔵野の一員だって勝手に仕切って、わたしを排除しようとしている。そもそも定義も範囲も明確じゃないの」

「じゃあ、あなたはなんなのよ!」


「わたしは……隠した本音よ」


「本音?」


「そうよ。誰にも頼れないワンオペ育児のプレッシャー。例え、誰かを好きになったとしても、相手に重たいって思われるから、ずっと本音を隠してきたわ。でも、もう自分が引いた線に縛られたくない。やっと、本当の声であなたに伝えられる」


 八王子、いや、たま子さんは真っ直ぐこちらに目を向けた。




「わたしはあなたが好き……」




「えっと……。ぼ、僕は……」


 どうしたらいい。試食前にこんなことが起こるなんて。本当は、たま子さんをずっと指名していたのは僕の方なんだ。彼女はずっと好成績を出していたわけじゃない。僕が彼女と会いたいから、何かにつけて業者に指名していただけなんだ。


「僕も――」


 自分の気持ちに正直になって、


「わたしは――」


 こちらの想いに被せるように五人は口をそろえた。


「あなたが好き」


 晴れやかな笑顔のたま子さんたち。

 拍手、グッド、笑顔、ハート――様々なリアクションで画面が埋め尽くされて、スクロールしていく。

 まるで、風に揺れるススキのようだ。

 境界線がなき現代の武蔵野の原野は、オンライン上にあるのか。



 でも。


 少し気になるところがある。


 リアクションに紛れて、さっきからチャットの表示も鳴りやまない。

 これも誤作動だろうか?


 なになに――


 さくせんせい?

 せきはいつごろ?



 了


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