58  ウヘル・テグの慟哭

 チューランも、ウヘル・テグと話したいと思っていた。

 ふたりの兄よりも、もしかしたら父母よりも。

 チューランの母はチューランを産んだ後、近隣の部族に贈り物として下げ渡された。そういう風習がまかり通っている点では、金杭アルタンガダスに蛮族と言われても仕方がないだろう。そうして、母は、何年かのちに亡くなったという。

 ウヘル・テグなら、その墓の在りかを知っているかもしれない。

 これが母の墓参りの最初で最後の機会だろうから、聞いておきたかった。


 それにしても、宰相たる彼から話があると持ちかけられるとは思ってもみなかった。

 真剣な目だった。

 それを思い出すと、ゾリグトエとモーレンが美酒を勧めてこようとも、チューランは飲む気持ちにならなかった。「体質的に酒が合わないのです」と、最初の一杯を失礼のないように受けると、あとの杯は、従騎士団の面々が代わる代わる受けてくれた。

 そうして、夜半、トゥルフール大尉と宴席を抜けた。


 夜風は、もう冷たかった。大陸の秋は、昼夜の温度差が激しい。

 首のストールをきつめに巻いて、迎賓の舘へ戻ると、ウヘル・テグは供も連れず、貴賓きひんの舘の待合いに、すでに待っていた。

「お人払いを」ウヘル・テグは言いかけて、トゥルフール大尉の固い視線にかち合い、「お願いはできませんでしょうな」と言い直した。

「できかねます。わたしの役目ですから」

 トゥルフール大尉は涼しい顔で答えた。

 ウヘル・テグの、しわの刻まれた浅黒い肌にも、眼光の鋭さにも動じることもない。

「この者は、わたしの耳なし口なし。余計なことは聞こえませんし話しません。お約束いたしましょう」

 チューランは申し出た。


「まぁ、わたしの今宵の話し向きは、ドホの者にこそ聞かせたくはないものですから」 

 それは不穏だ。チューランは黙った。勝手知ったる宰相は、「貴賓室のちいさな応接間に行きましょう」と、チューランがあてがわれた部屋に戻った。どこに、ちいさな応接間が? と、いぶかしんだが、部屋の隅にある、織物で四方を囲んだ天幕のような場所だった。中へ入ると、絨毯敷きの上に、しゅう(刺繍)を施した円筒形のクッションが、いくつか置かれていた。

 どうぞと、ウヘル・テグに座を勧められた。「御無礼、お許しを」と、ウヘル・テグはチューランの真向いに胡坐あぐらをかいた。

「オドナイさまのことです」

 もう、本題に入っているようだ。


「オドナイさまは落馬事故で亡くなりました。私の息子は、第3王子オドナイさまつきの従者になったばかりで——。責任を感じ、わたしの息子は自死いたしました。生きていれば婚姻し、子供でもいたかもしれません」

 ウヘル・テグは時間がないのだろうか。早口だった。

「ですが、本当のところはちがうのです。オドナイさまは第1王子の命令で無理やり馬に乗せられて、第2王子が馬に鞭をあてたそうです。息子はオドナイさまを助けようとして、できず」

 ウヘル・テグは言葉につまった。


 チューランは思い出していた。

 あの25年前の旅路で、ウヘル・テグが話していたこと。


 ——わたしには一人息子がおります。もうすぐ成人を迎えます。息子がチューランさまの年頃には、わたしは遠征が多く、あまりかまってやれませんで、今、こうしてチューランさまと旅をしておりますと、やり直しをさせていただいているような気持ちです。もったいないことです。


(そうなんだ。わたしも父上と旅なんかしたことがないから、なんだか楽しい。ありがとう、ウヘル・テグ。いつか、息子さんにも会ってみたいな)

 あの頃のチューランは子供で、そんな気持ちを告げられなかったのだが。


「……宰相どの」

 チューランは、ウヘル・テグが打ち明けてきたことの真意を図りかねた。


「わたしは、ゾリグトエさまに仕える気持ちは、とうに失くしております。モーレンさまにも、です」

 ウヘル・テグは、落ち着きを取り戻したたようだ。静かな声だった。 

「そのことを、チューランさまには告げておきたいと思ったのです」




「どう思いますか?」

 チューランは、ウヘル・テグを見送った後、少し離れたところで警護していたトゥルフール大尉に問うた。


「さて。わたしには何も聞こえていませんでした。口もないはずです」

 トゥルフール大尉は大真面目に返してきた。


「……聞いて悪かったですね」

 さっき、耳なし口なしを約束させたばかりだった。

「でも、あなたはわたしなどより、よほど外の世界を見てきたはず。鋼鉄鍋ボルドゴゥ公の巡察に、ずっと同行していたのですよね」

 この視察団の随行メンバーの経歴をチューランは、すべて頭に入れている。


「さすがに25年前は、わたしも赤子でして、その頃のドホの事情にはくわしくはありません」

「そうですよね」

 落ち着いて見えるが、トゥルフール大尉は20代半ばだ。

「でも、今の宰相殿の口ぶりからすると、ドホの次代の王は、王たるにふさわしくない人物であるかもしれません」

 そして、なかなかに歯に衣着せない。

 チューランは弱く笑った。たしかに、自分も思っていることではあった。

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