57  ドホにて

 ドホの迎賓げいひんの館は、王城のすぐそばだった。

 あてがわれた広い部屋で、チューランが身体からだの土埃をぬぐっていると、「早速に申し訳ございませんが」と、ウヘル・テグがやってきた。

「第1王子のゾリグトエさまが名代みょうだいさまに御挨拶に参りましてございます」

 

 チューランは面食らった。

(異母兄が、わたしに挨拶に出向くなどと)

 思いかけて、すぐ気がついた。自分は金杭アルタンガダスの帝の名代みょうだいなのだ。


「何名でいらしているのか」、チューランはたしかめてから、同じほど、こちら側の人間をそろえることにする。

 第さん従騎士団の大佐に従騎士の中から精鋭を選ばせ、それからチューランの補佐役の文官から、副官を含む3名を呼んだ。


 ここからの裁量は、チューランに任されている。ブグンには言われた。

「兄弟で慣れ合うもよし、居丈高に、ぴしゃりと叩くのもよし」


(子供時代のこととはいえ、いやがらせをされた異母兄たちに慣れ合う理由はないし、仕返しとばかり帝の威光を借りて、ふんぞり返っても引っくり返りそうだな)

 ブグンにも、そう言ったのだが。


 迎賓の館の広間へチューラン一行が入ると、すでに下座に、ひざをついて下位の礼を取っているドホの者たちが見えた。

 チューランは苦笑いが顔に出そうで、口元を急いで引きしめた。

 真ん中ほどにいるのが、長兄のゾリグトエだろうことは推察できた。

 その横にいるのは次兄のモーレンではなかろうか。互いに25年分、年をとったものだ。


こうべをお上げください。お出迎え、御苦労でありました」

 淡々とチューランは告げた。

「明後日の昼前には出立します。それまでに、弱った馬の取り替え、蹄鉄ていてつの点検、使節団全員への携帯食の用意をお願いします」


 ドホで一度、使節団を休ませるというのも、ブグンが帝に提言したことだ。

 となりの使節団副官が困ったように、眉尻を下げた。馬や食料の心配などは彼の仕事である。異母兄たちを前にチューランは交わす言葉をみつけられず、文官としての仕事をしてしまった。


「恐れながら申し上げます」

 長兄のゾリグトエは下位の礼を、かすかにほどいた。

「ドホ滞在の間は、ここにひかえておりますモーレンに何なりとお申し付けください。

「何なりと。名代みょうだいさま」

 やはり、次兄のモーレンだった。目線を上にあげてきた。あまつさえ、笑顔だ。


 チューランは、とたんに気持ち悪くなった。

 次兄にこづかれ、鞭でしたたか打たれた痕は、まだ、うすく残っている。それを、うすら笑いで見ていた長兄の顔も、今、思い出した。


「それならば、明日一日、宰相ウヘル・テグ殿をお借りしたい」

 とっさに代替案を口に出した。


(我ながら、正解だった……)

 

 このあとは、父王に謁見する。このぶんだと、ずっと長兄ゾリグトエと次兄モーレン張りつかれる。

 歓迎の宴とやらも、ある。おそらく、兄たちといっしょだ。

(修行か)

 そのとおりだと、ブグンがいたら言うだろうか。


 チューランも大人である。帝の名代みょうだいである。

 仕事と思ってこなすだけだ。


 第さん従騎士団の大佐とトゥルフール大尉が警護の名目で、チューランの両脇を固めていてくれているのが頼もしい。

 警護だけでなく、ふたりとも、「え~」などとも、よどまず、さらさらと社交辞令を言いこなす。相当、頭の回転が速い。

 文官のチューランにとって、対極にある武人のふたりだ。だからこそ、学ぶことも多いだろう。使節団の人選をしたブグンに、改めて礼を言いたい。


 そして、仕事といえば、父であるドホの王の見舞いも仕事である。

 病を得て、ドホの王は弱っているという。

 すでに実質の政務は、長兄ゾリグトエと次兄モーレンが引き継いでいるようだ。

(近々、父はみまかり、王位は長兄ちょうけいが継ぐだろう)


 王が療養している王城の部屋は、静かな中庭に面していた。夕暮れの光に満たされた城壁が、ほのかな橙色だいだいいろを帯びている。

 窓際の黒檀こくたんの寝台の天蓋てんがい山吹色やまぶきいろだ。床は焼きしめた黒い煉瓦である。一国の王にしては質素かもしれない。

 チューランの父は横たわったままだった。

「最近では、一日のほとんどをお眠りになっておられます。帝の名代みょうだいたるチューラン様に御挨拶ができかねる状況であります」

 ウヘル・テグがチューランの横から静かに許しを請うた。

「いえ、次代の王たる兄から帝への忠義は知れましたゆえ、問題はありませぬ」

 チューランは残念なようで、ほっとしていた。

 

 よう帰って来た、チューランと父に名を呼ばれても、ならなぜ、母子ともに打ち捨てたような扱いをしたと言いたくなるし、ふん、いらぬ子が帰ってきおったかという顔をされたら、いい年をしていても傷つかぬわけもない。

 静かな老いを迎え目を閉じている父に対面するのが、いちばん平和だと思えた。

 だから、父が、ぱっちりと目を開けたときには、いささか焦った。

 父はチューランをみつめたまま、しばらくして、「……オドナイ」と言った。

 チューランは何も答えることができなかった。オドナイは、第3王子の名だ。チューランの上の兄だ。そういえば、長兄と次兄はあいさつに出向いてきたが、3番めの兄は、どうしたのだろう。

 チューランは数えるほどしか、3番めの兄に会ったことがない。彼もまた正妃の子ではなかったためだ。


「はい。お見舞いにいらしたのです」

 ウヘル・テグは、チューランがオドナイではないと訂正しなかった。


「あぁ……」

 寝台のチューランの父は、安堵のため息か、ふうと息を吐くと、また目をつぶった。

「ウヘル……、……まえの息子に、この春いちばんに産まれた仔馬を……」

「ありがたき、しあわせ」


 どうやら、父王の意識は、はっきりした部分とあいまいな部分が混じっているらしかった。長年、仕えているウヘル・テグのことは、はっきりと覚えているのだろう。


 王の寝所をあとにして、王城の黒煉瓦の床の廊下を歩いて行く。

 チューランとウヘル・テグの間には、トゥルフール大尉がいるのだが、かまわず、ウヘル・テグは話してきた。

「先ほどは、お話を合わせてくださって、ありがとうございました」

 チューランが、わたしはオドナイではないと言わなかったことだろう。


「いえ。ドホの王は、うつろの境地に入られたのか」

 チューランは、もはや父を父と呼んでいなかった。

「はい。昔に帰られることが多くなりました」

「——そういえば、オドナイさまは、どうされておられますか」

 王城でない場所に派遣でもされているのか、そのぐらいにチューランは考えていた。

「いえ。亡くなられたのです」

「……いつ」

 それには、チューランは衝撃を受けた。

「25年も前のことです」

 それでは、チューランが金杭アルタンガダスに人質にやられたと同時期ではないか。


「わたしが金杭アルタンガダスに行った年?」

 オドナイは12歳だったはずだ。病弱だったとは聞いていない。

「不慮の?」


災禍さいかでした」

 なぜかウヘル・テグは、かすかに笑った。


 迎賓げいひんの館の入り口まで戻り、まったく、まわりにドホの者たちがいないのを見計らって、ウヘル・テグは口を開いた。

「歓迎のうたげのあと、お話にうかがってもよろしいでしょうか。——内密に」

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