53  出立前のなにがし

(どうして、エルヘスのやつがいるんだ!)

 ホラン・イメールは我が目を疑った。

 ダブソス使節団壮行式の場で、自分と同じ側に幼なじみのエルヘス・タショールの姿を認めたのだ。


「やぁ、ホラーン」

 相変わらずのノリで、エルヘスはホランの側にやってきた。

「何で」

 おまえがいるんだよ、というホランの顔色をエルヘスは読んだ。

「志願したからに決まってるだろ」

「おまえが志願。そういうガラだっけ?」

 エルヘスは面倒くさいことがきらいなはずだ。少なくとも、ホランはそう思ってきた。

「だってさー。ユス・トゥルフール大尉が行くんだぜー。ついて行きたいじゃーん」

 むふふと、エルヘスの顔がゆるむ。


(え。動機不純)

 かく言うホランも実は、どっこいどっこいだ。


 それからエルヘスは、ちょっと真顔になった。

「誰かさんが志願したからさ。誰かさんの父君が、『うちの三男は使節団に志願したのだが、お宅からは1名もお出ましにならないので?』とか、父親間で、ばっちばちに火花、散らされちゃって。きょうだいん中で、いちばん都の公務に影響のないヒマそうなオレに、『行け』って親父さまに命じられたのもある。いささか迷惑」


(うわぁ)

 ホランは苦笑いするしかない。


 幼なじみだった、ふたりの仲が、ぎくしゃくしてきたのはイメール右大臣、タショール左大臣、親同士のいがみ合いが水面下で、はげしくなってからだ。どちらかと言えば、おとなしいホランがエルヘスと何かと比べられることに疲れて、距離を置くようになった。

(それに、自分の中にもエルヘスを妬む気持ちが、たしかにあるから)


 エルヘスは快活だ。そして、武術に長けている。面倒くさがって書物を読まないだけで、実は物覚えもよい。

(わたしは幼なじみだ。わかっているよ)


 エルヘスは、いつもよりハイになっているようだった。ホランにまとわりついてくる。

従騎士団じゅうきしだんの中でも第参従騎士団だいさんじゅうきしだんて、けっこう親父の威光が届かない部署でさ。親の七光りで、でかい態度でも取った日にゃ剣の稽古で、みっちり返されてさー。まー、権力にすり寄って行かないところにも、しびれるんだけどね。ねー」


 久しぶりの幼なじみのスキンシップに、ホランは引き気味だ。


「しばらく都を離れるんだから、このあと街に出かけないか。寺院の境内でやってる評判のお粥の店って、オレ、まだ行ったことなくて。行っときたい」


「あ、それ。評判みたいだね」

 ホランも近すぎて、かえって行ったことがなかった。


 つまり、ホランがエルヘスの誘いを断らなかったのは、これから旅をする仲で、最初から不協和音を作りたくなかったからだ。

 それに、「——あのさぁ。駆け落ちって、おまえ、見たことある?」とか、単純に、エルヘスの話がおもしろかったからだ。





 そのお粥の店というのは、奈久矢なぐや尓支にきの姉妹の店のことだった。

「いらっしゃい!」

 ホランとエルヘスが入店すると、尓支にきの元気な声が響いた。短髪に単衣の七分袖の撫子色なでしこいろの衣、藍色の前掛けが、よく似合っている。

「お粥は大盛にもできるよ。それから、奈久矢なぐやに告白したいんだったら、心付けつけて」


奈久矢なぐやに告白って何」

 エルヘスが笑いながら食いついた。


「え? ちがった? お若いさんだから、奈久矢なぐやに告白したくて来たんだと思った」


 おりしも、店の裏手から「ごめんなさい!」という女の声が聞こえて、男がうなだれて出てきた。


(あれ……。壮行式でみかけた顔だ)

 自分たちには気がつかず通り過ぎた男の背を、ホランは見送った。


「なんか都を離れるとかで、ここんとこ、奈久矢なぐやに告白しにくる男があとをたたなくて、てっきり、あんたたちもそうかと思った」


「ごめんね。尓支にき、仕事にならなくて」

 店の天幕の裏から、撫子色の七分袖の単衣、藍色の前掛け、髪を、うしろでひとつに束ねた、すらりとした美女が現れた。


「あ」

 ホランが気がついた。

「おねえさんたち、会ったことありますよね」


「え? ホラン、そんなベタなナンパできるようになったんだ」

 エルヘスが感慨深げにつぶやいた。


ちがっ! この人たち、対抗試合の時に日女ひめ側にいた人だよっ」


「あー」

 エルヘスは思い出した。


「そういえば」

 尓支にきも思い出した。

日女ひめに一発負けした男子じゃん」

 ホランにとっては、不名誉な思い出され方だ。


「へぇ。印象ちがうから、わからなかった」

 エルヘスは、ふたりの美女の胸のふくらみと腰の曲線を、さわやかな視線でなめた。

「あのときの布地面積少なめの戦闘服もよかったけど、今日の前掛け小町姿も、いいね!」


「くっ。女体に興味津々のお年頃かよ。許す」

 尓支にきは、エルヘスのあまりの屈託なさに笑ってしまった。

 そばで真っ赤になっているホランも、親しみやすく思った。


「基本のお粥をお願いします。ぼくたちも都を離れるんですよ。告白しておいた方がいいのかな」

 エルヘスが早速、美女を口説き落としにかかった。


(えぇ! 年上でもいいんだ、エルヘスは! まぁ、大臣家の息子なら、お粥屋のおねえさんを囲うぐらい、たやすいだろうな)

 ホランは失礼な感想を心の中でつぶやく。


「そちらは」

 尓支にきがホランに聞いてきた。

「わ、わたしは神祁寮しんぎりょうの人間ですからっ、女性とお付き合いとかは考えていません!」


「……、お粥のオーダーだけど」


 ホランの側で、エルヘスがテーブルに突っ伏した。肩がふるえている。


「あっ! き基本のお粥ですっ」


 はずかしい。

 はずかしい。

 はずかしい。

 ホランは、お粥より煮えきった。



「——ホランて、やっぱり、おもしれぇ」

 エルヘスは小刻みに笑いっぱなしだ。

「ホランが女子だったら、オレ、嫁にする」


「……どうせ男子としては頼りないですよ」

「いや、そしたら、親父たちのいがみ合いも、ちったぁ減るかなって」エルヘスはさじの上にのせた粥を、ふーふーした。

「んふ、うまい。これ、姉さんにも食べさせたいな。身体からだによさそう」


「うん。かゆ身体からだをあたためるからね。あたためた身体からだに、薬を入れれば効き目もあがるよ」

 尓支にきが、箸休めの漬物をテーブルに置きに来た。


「へぇ、おねえさん。後宮の料理人に志願する気とかない? 給料、いいよ」

 エルヘスは、後宮の料理人は女限定だと知っている。


「後宮かぁ。男、いないでしょ、そこ」

 尓支にきは、まったく乗る気じゃない。

「いるけど。宦官かんがんが。——あ、そゆこと?」

 女なしの人生なんて考えられないエルヘスは、すぐに思いあたった。


「わたしたちは出会いを求めて、都に出て来たんだよ。後宮なんかに入ったら、一生、男子と付き合えないじゃーん」

 尓支にきの言葉に、エルヘスはめちゃめちゃ同感した。

「だよねぇ。日女ひめですら、神官騎士と逃げ出したもんな」


「へ⁉」「え⁉」姉妹が同時に声をあげた。


「あれ? もしかして知らなかった? 彼ら駆け落ちした。いや、いったん実家に帰った」

 あれは急な夜逃げだったのだ。すべての仲間に伝える暇もなかったんだな、とエルヘスは理解した。


「いつの間に、そんなことに——」

 奈久矢なぐやは、うろたえた。


「ほんの半月ほど前かな」


「どうするぅ、奈久矢なぐや

 妹は姉の狼狽ろうばいを読んだ。


「どうするって言っても。わたしたちは、どうしようも」


「都を離れるって、なんかあんの?」

 尓支にきは、エルヘスの座っている長椅子にまたがってきた。


「ダブソスへ使節団が派遣されるんだよ」

「それって、もしか男ばっかり⁉」

「そうだね。女の人も何人かいるけど」


「えー、その使節団、もぐり込みたーい」

「それ、絶対、出会い目的じゃーん」

 エルヘスと尓支にきは、けらけらと笑いあった。


「部族の女の使命なんです」

 奈久矢なぐやは、きりりと言い放った。


「いい男の種をもらって帰るぞー、おー」

 尓支にきの言い方は、身もふたもない。

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