47 それぞれの波紋
その日の朝いちばんで〈急ぎの書状便〉が、
巻紙を閉じた裏側に『真』とあるのを見て、ユスはあわててトゥヤを呼んだ。
手紙を開くと、『前略』とあった。元気のよい墨の文字だ。
『 前略
このままだと
逃げることにした 真 』
「前略し過ぎだろ」
「ここ、なんて書いてあったんだろ。墨で消されてるけど」
トゥヤが文字を透かして見たが判別できなかった。
「ユスさま、ナラントゥヤさま。お客人がいらしております」
そこへ、
「この朝早くにか」
「エルヘス・タショールさまです」
「左大臣家の」
いぶかしみながらも、ユスとトゥヤは玄関脇の応接の間へ向かう。
「おはようございます! トゥルフール大尉!」
壁際に置いた長椅子から、エルヘスが立ち上がった。
軽く敬礼する。
「なんだ。こんな朝早く」
「
「
トゥヤが身を乗り出す。
「そちらに手紙を出したそうですが、言葉足らずなところがあるので、わたしは補足を頼まれたんですよ」
「あぁ、前略な手紙が届いたところだ。何があった」
「後宮に
「あぁ」
「特例として後宮に男子が入る方法があるんですが、それが」
エルヘスは墨で塗りつぶされた
「わぁ」
思わず想像して、トゥヤの顔がひきつった。
「実家に、いったん帰る。心配いらないと伝えてくれと頼まれました。ナラントゥヤ公子には、サヨナラも告げずに申し訳ないと」
トゥヤは
「その事情じゃ、しかたないです。タショールさまも、お休みのところを伝言ありがとうございました」
ていねいにエルヘスをねぎらう。
(へぇ。感じいいじゃん)
それに、エルヘスは気をよくする。
「それじゃ、失礼します」
にかっと笑って部屋を出て行った。
そして、その日の
(なぜ、エルヘスが、ここに)
しばらく、
「エルヘス、君が
「ん、あ。おはよう。ホラン。
からかいの種をみつけるのが、この幼なじみは実に得意だ。
「何の用だ」
お香臭いと小バカにしている
「トゥルフール大尉と
ユス・トゥルフールは
「そう」
納得したところへ、エルヘスが盛大にため息をついてきた。
「もしかして、おまえも月の
「え?」
ホランは、どきりとする。
「お見舞いしただけだよ」
聞かれてもいないことを、あせって言ってしまう。
いや、その前に。おまえも、って言った?
「あー、やっぱりぃ。権力欲にかられた父親の考えることは、どこも同じだねぇ」
エルヘスは、
「おまえ、俗世に戻ってくるの?」
「……まさか」
ホランは悩んでいるのだ。
「あーあ、帝、もうひとり養子の
「人を物のように」
ホランは顔をしかめる。
「どっちにしても求婚大作戦は、しばらくおあずけだ。
「えっ」
ホランは衝撃を受けた。思いがけない衝撃で、それに自分が驚いた。
そしてそして、その日、
シャタル帝にも二人の妃にも、けじめとして手紙を書き、〈宮廷内手紙箱〉に入れてきた。
『 ぱぱへ
とつぜんの親知らずをおゆるしください
わたしが後宮に入ると 神官騎士の●●●●●が大変なことになるので
いったん実家に帰ります
トゥヤのことを よろしくお願いいたします
あなたの日女より 』
墨で塗りつぶした箇所は、
「帝、月の
ブグンはシャタルを慰めた。
「……うっ、うっ」
シャタルは、あふれ出る涙を袖でふいている。
「2か月に1回は実家に帰りたいと申していたからな」
「お早いお帰りを打診してみましょう」
「あぁ、頼む。――この機会に」
「お取次ぎを! 待ちますから!」
帝の執務室の外で、女たちの声がした。
ブグンが様子を見に行く。
「
「
イメール妃が手紙、おそらく帝に書いたのと同じ内容――、を握りしめて、ブグンの側へ駆け寄った。
「急ではありましたが、ただの里帰りですよ」
ブグンは興奮気味の
「
「聞こうか、ツェレン」
帝が執務室へイメール妃を招き入れた。タショール妃もついてくる。
「申し訳ありません。仲よく暮らせると思ってしまったのです」
タショール妃も言い添える。
「
イメール妃は、うなだれた。
「――いろいろ気苦労をかけた」
帝は、怒ってはいないと示した。
「よい機会じゃ。この機会に後宮の在り方を考えよう。ついては、後宮制度を解消することも視野に入れたい」
その場に居合わせた、すべての者が凍りついた。ブグンすら。
「なりませぬ。なりませぬ。それは――」
まっすぐに顔をあげたのは、タショール妃だった。
「後宮では多くの者を召し抱えております。家に仕送りをするために奉公している者もいるのです。または、すでに帰る家のない者も。手の込んだ工芸品や衣服、細工のこまやかな装身具など、女の無駄な贅沢と帝は見なされるやもしれませんが、それらを作る職人も、後宮は手厚く保護しております。後宮を失くすことは、その者たちの暮らしも失くしてしまうこと。御容赦くださいませ」
「それに、それに私たちに、どこへ行けと」
イメール妃は、そう言うのがやっとだった。
「今、後宮を失くすというのなら、どうして、わたくしたちを迎えるときに、その御決断をしてくださらなかったのですか。今さら――、それぞれの実家に戻りましたなら、時間も戻るとでもおっしゃいますのか」
タショール妃は眉間にしわを寄せて、帝をみつめた。彼女は、ド近眼だったから。
おぼろにしか見えていないもので、頭に血が上ったまま申し立てた。
そして、我に返って後悔した。
「し失礼を申し上げました。戻りまする」
二人の妃は去って行った。
執務室は、帝とブグンだけになった。
「――
ブグンは少しは動揺しているのだろうか。日頃は意見などしない。
「われが言葉足らずであったな。後宮に召し抱えていた者を路頭に迷わせるつもりはなかった」
「シャタルさまにおかれましては、たいてい言葉が足りませぬ」
「む、ぅ」
「そもそも、後宮という仕組みが、シャタル様の意に沿わぬなら継承せずともよかったのです」
「そこは。われの意思が弱かったと思う」
少しの間があって、帝は。
「ブグン、われは女が苦手じゃ」
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