37  後宮を素通りでき……

 

 さて、神祇伯しんぎはくの登城となれば輿こしを出す。


「すると、月の日女ひめ輿こしに乗っていただかなくては」

 はっきり、「月の日女ひめ」と、神祇伯しんぎはくは薄桃色のハーフマスクの従者を呼んだ。


「あれ? ばれてる?」

 真白月ましろつきは、あわてた。うまくごまかせていると安心していたのに。 


「いや、馬が、少しばかり規格と外れておりますし、その格好は庶民風ですが生地が庶民の手に入る質ではございません」


「さすが神祇伯しんぎはく。お目が高ーい」

 キィキィが、ここぞとほめそやす。


輿こしに乗りませ。日女ひめ

 そう、神祇伯しんぎはくに言われては、もう従者のふりもできない。本来、貴人の日女ひめは、宮中外で、おおっぴらに姿をさらさない。


「お願い」

 真白月ましろつきは、キィキィの袖を引っ張った。

「いっしょに輿こしに乗って?」

 キィキィは、ちょっと驚いた顔をしたけれど、ふっと表情を和らげた。

「せまいでしょう? 独り用ですよ」

 使役用コンピューターが担ぐから、ある程度の重量オーバーは可能だが、機動性重視で小型なのだ。

「わ、わたしが輿に乗って、キィキィさんを歩かせるのは。行きのときも気になっちゃって」

「まぁ、おやさしい。美少女と密着して輿こしに乗るなど、はなぢが出そうですわ」


「キィキィ殿にも馬を!」

 布留音ふるねの〈日女ひめ危険センサー〉が作動した模様だ。




 神祇伯しんぎはくの屋敷から宮殿までは、さほど遠くない。

 大通りを一直線。宮殿の門を越えてからが長いぐらいだ。


「いささか時間がかかりましょう。よろしいですかな」

 前もって、神祇伯しんぎはくから声をかけられる。

「りょーかい」

 真白月ましろつき輿こしに乗り込んだ。元々、何の予定もない。


 宮殿の外門では、神祇伯しんぎはくの一行と告げると何の改めもなく通される。

 次に内門を次々抜けていく。塀に囲まれた通路は迷路のようだ。この大陸で、一、二を争う都とならんとしている。それが金杭アルタンガダスなのだ。


 本殿に接近した馬留うまとどめで、騎乗していた者は降りた。輿こしも、ここまでだ。


「わたしはナラントゥヤさまと関係部署に参ります。ユス。おまえは日女ひめの御供を」

 神祇伯しんぎはくはトゥヤに同行した。


「そうさせてもらいます」(こいつら、野放しにできないんで)

 ユスが心の中で言っている、こいつらとは、もちろん真白月ましろつき布留音ふるねのことだ。

鞍楽クララは、は、おとなしく馬留うまとどめで待てるよな。待たしてくれ」

「ハイ。待てます。もちろんです」

 真白月ましろつきが代わりに答える。


 馬留うまとどめは柵を巡らした造りだ。柱に打ちつけられた馬繋ぎのかん金具に、手綱をくぐらせて結わえるのだ。鞍楽クララは、おとなしくつながれていた。


「いるだけで、すでに人目を集めている気もするが……」

 ユスが何度見ても鞍楽クララは、ちょっとデカい。

金杭アルタンガダスの紋章付きの馬だ。無礼はされまい」

 鞍楽クララの被っている馬型頭巾には、金の杭を模した文様が縫い付けられている。

「先に帝に御挨拶しておこう」

「りょーかい!」


 それは、目を引く一行ではあった。

 宮中で、実は知らぬ者はいないユス・トゥルフール。

 麦わら帽子に薄桃色のハーフマスクの子。

 銀縁眼鏡、ぼん・きゅっ・ぼんの女。

 銀髪、星灰色せいはいしょくの瞳の長身青年だ。


 早速、呼び止められた。

 身分のありそうな女官である。

従騎士じゅうきしユス・トゥルフールさまとお見受けいたしますが、なぜに後宮専属のお針子を連れておられるのか」

 その衣の濃い緑の色、落ち着いた年齢から見るに、女官でも位が上のものだ。

 そして、後宮に関することについては従騎士じゅうきしは圏外である。


「成り行きだ」

 ユスは答える。


「まぁ。女官長にょかんちょうさま」

 モミ手でキィキィがすり寄って行った。


「キィキィ。後宮を素通りとはいかに」

 女官長と呼ばれた女は眉をしかめる。


「今日は別件にて」

「あの者たちは? 見慣れぬいで立ちじゃ」

 女官は、いちばん怪しげな真白月ましろつきに目を留めていた。

「〈サラ〉の――」

 キィキィは、こっそりと小声で耳打ちする。

「何?」

 初老の女が目をひんむいた。

「ならば、なおさら後宮を素通りとは許されませぬぞ……」


「ユス先生、もしや気まずい空気」

 真白月ましろつきに人差し指で脇腹を突かれて、ユスは、その手をはらう。

「空気、読めたんですね。日女ひめ


 キィキィが戻ってきた。

「後宮に先にご挨拶した方がよさそうですよー。きさき様方が、月の日女ひめのご挨拶がないと、ちょっとご機嫌ななめっぽかったです」

「それ、怖いヒトたち?」

 真白月ましろつきの眉が下がった。

「ふ。……宮中で生きていくためには、敵を増やさないことですぅ」

「絶対、怖いやつやん」


「はぁ。そうだな」

 ユスがため息をつく。

「だが、後宮には男は入れん。一年に一回、年末大掃除のときしか」

「七夕じゃないんだ」

「どこの行事だ、それ」

「1年に1回しか会えない恋人たちの話だよ」

「それは恋人と言えるのか」


「お話中すいませんけどー。後宮には寄っていただけるのかしら」

 女官長を待たせていた。


「こうきゅう!」

 真白月ましろつきは鼻の穴から荒い息を吐いた。

「あいとよくぼうが渦巻くところ?」


「まーた! なんか、システムで観たのかよ!」

 ユスは鋭い。


「お静かに! きさきさま方の御成りですよ!」

 女官長に叱責された。


 さざめくような鈴の音がする。きさきの往来を知らせる鈴だ。それが聞こえればこうべをたれて、きさきを先に通さねばならぬ。


 イメール妃が。タショール妃が。それぞれ、お付きの侍女を従えてやってきた。

 誰かが、真白月ましろつきらのことを伝えたのか。


「――イメール妃さまから、お言葉を」

 タショール妃がほほえむ。


「いえ、年上のタショール妃さまから、お言葉を。そのほうが重みがありますもの」

 イメール妃が謙遜する。


(ふたつ。ふたつ年が上なだけよ)

 タショール妃は笑顔だが心で毒づく。

「そうね――」

 仕方なく、一歩前へ出る。


「タショール妃さまとイメール妃さまなるぞ。皆のもの!」

 女官長の声で、辺りにいた者は、なおこうべをたれた。


 タショール妃が、真白月ましろつきたちのところへ歩んできた。

「月の日女ひめ。もしや後宮を素通りする気であったか」

「いえ。そのような。わたしは、神官騎士でございます」

 

 タショール妃は布留音ふるねの前に立っていた。月の日女ひめとカン違いしたのだ。


「その方は男、男です。日女ひめはこちら!」

 キィキィが真白月ましろつきを押し出した。


「あ」

 実は、タショール妃は目が悪かった。眼鏡をかけるぐらいの視力のところを、裸眼で通していた。それにしても。


「老眼かしら」

 イメール妃が、ぼそりとつぶやいたのは誰も気がつかなかった。

 真白月ましろつきの通る声にかき消されたのだ。

「――申し遅れました。はじめまして。生まれも育ちも地下迷宮。人呼んで月の日女ひめと申します」

 そうして、両の手の先が、ひざ頭につくほどの礼をした。


「あ、これから気をつけるように」

 タショール妃は真っ赤になっていた。この場から立ち去りたかった。いちゃもんをつけようとしていたのも、うやむやにした。


 引き下がらなかったのは、イメール妃だ。

「後宮を挨拶なしに通り過ぎようとしたのですよ。この者は連綿と続く後宮の歴史を侮辱したのです」

 ちなみに後宮の歴史は、そんなに長くない。


 どうやら、ただ謝っただけではダメなようだ。


「これはこれは」

 そんな膠着こうちゃく状態になった場に、入って来たのがブグンだった。

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