36  トゥルフール神祇伯

 トゥルフール家は金杭アルタンガダス神祇しんぎを司る家柄である。遠くは王家から枝分かれしたという。


 寺院本殿の後方に神祇伯しんぎはくの住居たる庫裡くりと、来客をもてなす客殿きゃくでんがある。

 どうやら、真白月ましろつきたちはプライベートな庫裡くりへと招かれたようだ。

 鞍楽クララは、玄関脇のひさしの下に無言で入り込んだ。

 と言っている以上、屋内に入れない。


「どう、どう。いいコでね」

 真白月ましろつきは、やさしく馬の背中辺りをさすって降りようとし、すかさず布留音ふるねが、その手を取る。 


 その住まいは玄関だけでも庶民の家なら、すっぽりと入りそうだった。巨大な男神の像に早速、皆は出迎えられた。


「――金杭アルタンガダスの神は男神一神。大陸の女神信仰、および、原始の自然崇拝とは違います。だが、それを今の金杭アルタンガダスは否定はしない。柔軟に対処してします」

 トゥルフール神祇伯しんぎはくは両手を広げた。

 その姿は後光が射している。明り取りの窓を背に向けて逆光のせいとはいえ、人徳者と見た。


「あなたは、お見かけしたことがあるな」

 神祇伯しんぎはくはキィキィに話しかけた。


「〈銀の針ムングズー〉のお針子頭はりこがしら、キィキィでございますわ」

 キィキィはひざを小さく曲げて、異国風の礼をした。


「おぉ、そうであった。後宮の方々の衣服を手掛けているのであったね」

 

「あなたは」

 神祇伯しんぎはくは、麦わら帽子に薄桃色のハーフマスクの真白月ましろつきに視線を移した。


「名のるほどもない、つまらない者ですが」

 真白月ましろつきは両の指先が、ひざがしらに来るかというぐらいかがみこむ礼をした。誰も知らないが、なかなかの腹筋だ。


「麦わらのきみ、とでも呼んでおきましょうか」

「了解です」

 

「ユス。では、この方々が〈鋼鉄鍋ボルドゴゥ公子とたのしい仲間たち〉ということでいいかな?」

「たのしいかは、ともかくとして」


 神祇伯しんぎはくは応接間へと皆を招き入れた。

 マホガニーの丸テーブルを、数脚のひじ掛椅子が取り巻いている。


 ここでも、使役コンピューターが茶菓子の盆をたずさえてきた。

 器用に茶碗をはさんで、丸テーブルに置いて行く。

 茶菓子は焼き菓子だ。手のひらほどの丸い平べったい焼き菓子は、中央に木の実が飾ってある。ひびわれた焼き目が、いかにも香ばしそうだ。三つほどの平皿に、花弁のように並べられていた。ふたつきの椀には角砂糖が入っている。小鳥のくちばしのように、つんととがった口のある椀に入っているのは、珈琲こぉひぃが苦い時に足すミルクだ、と、使役コンピューターが繰り返した。


「ユス先生って、お寺の息子さんだったんですね」

 真白月ましろつきは、肘掛け椅子に深く座り込んで体を預けた。

 

「自分は養子だよ。神祇寮しんぎりょうは孤児院も兼ねていてね。そこで育ったから」


「見込みのありそうな子を引き取るのが生きがいでしてね。帝にも少しばかり影響を与えたかもしれぬねぇ」

 トゥルフール神祇伯しんぎはくは、楽しそうに真白月ましろつきを見てきた。

 どうやら、従者でないのは、ばれているようだ。

 そばに銀髪神官騎士が張り付いていれば、いたしかたない。


「ナラントゥヤさまは学舎寮に入寮されますのか」

 神祇伯しんぎはくは、珈琲こぉひぃをミルクを入れずいただく。


「はい。そのように」

 トゥヤは、はじめて飲む珈琲こぉひぃにミルクを半分近く入れた。


「――それで、父上に、お願いが」

 言うなら今だと、ユスは切り出した。

「トゥヤを、ナラントゥヤ公子を神祇寮しんぎりょうに入寮させるわけにいかないでしょうか」


「……学舎寮でなく?」


 神祇寮に入った者は、絶対に僧になるわけではない。宗教学に興味を持った学生を受け入れてもいる。

 在家出家という道もあり、すると家庭も持てるし他の職に就くことも可能だ。


「もしも、もしもですよ。鋼鉄鍋ボルドゴゥ公のが明らかになった時に、神祇寮しんぎりょうにいてしているとすれば、は及びませんよね」


「なるほど」


「――父は。帝にそむくつもりで出奔しゅっぽんしたのでしょうか」

 トゥヤは珈琲こぉひぃの苦みに押し出されるように、胸の中に抱えていた思いを話しはじめた。


「そう決まったわけじゃない。赤金斧ゼフスフ公の計略にはまった感、ないか?」

 ユスにも、鋼鉄鍋ボルドゴゥ公と赤金斧ゼフスフ公がたもとを分かった経緯いきさつがわからないでいる。

 赤金斧ゼフスフ公が積年、兄を追い落とそうと策略をめぐらせたというのが、その人物を想う時、しっくりこなかった。

(オレの見えてない部分があるんかな)

 

「叔父は、そんなに頭が回る人ではないです」

「ふぉっ」

 ユスは、飲みかけていた珈琲こぉひぃにむせた。

(おいおい。何気に身内をオトしてくるな)


 トゥルフール神祇伯しんぎはくが、思い図るようにつぶやいた。

赤金斧ゼフスフ公としては、板ばさみになられたのでは?」


「板ばさみ、ですか」

 何と何のでしょうか、トゥヤは聞きたかった。


「とある方と、とある方の」

 口に出すのがはばかられるといった意味合いにしては、悪戯いたずらをしかける子供のような目で神祇伯しんぎはくは。

「――よし。ここで会ったのも御縁。この寺社から学舎に通われるとよい。おこがましいことですが、学舎寮よりは多少、融通も利きます」


「いいんですか!」

 トゥヤは席から立ち上がらんばかりになった。

「ユス先生といられるなら! 何より……。心強い……」

 声が最後、ふるえてしまった。


 父、シドゥルグと叔父、ドルジの争いを、その目にし、はっきりと叔父に人質交換のようなことをされ、学舎に入れば、いよいよ独りなのだと決意していた。

 決意していたのだけれども、今、手を差し伸べられて、自分は心細かったのだと、トゥヤは気づいた。


神祇府しんぎふは政治的な力は何一つ持たぬ部署なのです。そこを逆手に取って。星之位オドノコルの方々も、うるさくは言いますまい」


「そうと決まれば、早急に」

 神祇伯しんぎはくは、側の召使い(修行僧)に目配せした。

「帝のお許しを得なければなりません。このまま、行きましょう」


「今からですか」

「すぐさま。他の府の方々に、準備が無駄になったと嫌みを言われぬうちにですな」

「しかし、今日は」

 ちらとトゥヤが真白月ましろつきを見た。


「行こう。トゥヤ、さま」

「いいの? あまり人目につきたくないでしょう?」

「わ、たしは、今日は、トゥヤの従者ダよ?」

「いきなり、カタコトになるのはやめて?」


「都に鋼鉄鍋ボルドゴゥ公の公子ありと、喧伝けんでんしておくのもよいでしょう。味方は増やしておくものですよ」

 神祇伯しんぎはくは、さっと立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る