18  乙女の旅立ち

 真白月ましろつきたちが、かくれ里に来て2日めの夜だ。 

「今夜、行われますのが女子の成人儀式です。乙女の旅立ちとも呼ばれます」

 真白月ましろつき布留音ふるねから教えてもらった。


 繊月せんげつがのぼる刻に合わせて、儀式は、はじまる。

 


 岩山に掘り抜かれた祭壇には泉の水を満たした、形の違うさかずきが、とおほど捧げられている。さかずきの部分は、瑠璃るり白瑠璃しろるり硝子ガラスで、銀の脚台あしだいがついている。天井に開けられた明かりとりの窓から、うすい月光が差し込み、さかずきのそれぞれの色の影を伸ばしていた。


 先導役の女のうしろに、尓支にき奈久矢なぐやが続く。


 真白月ましろつきは、祭壇の前に立って待っていた。今日は裂いたシーツではなく、新しいベールをかぶっている。それと、山岳の民の衣服に着替えた。


 その衣は、木の皮や植物をたたいて繊維を取り出し、細く細く糸にして、日にさらし、機で織り、それから、新緑の季節に滝つぼに行って水にさらして、緑の草の上で乾かした布で作られている。


(すると、たいようこうせんと、ようりょくそが、かがくはんのうを起こして、ましろの布になるんだっけ)

 真白月ましろつきは、システムの何かで観た。


 そのように、かくれ里の民は、いつ降臨するかもしれぬ日女ひめのために、毎年、新しい布地を神殿に奉納していたのだ。


 山の清水で沐浴もくよくしたあと、老女が、仕立てたばかりの衣に着替えるのを手伝ってくれた。この老女は目が、うすくなっていて、日女ひめの世話役には適任だった。素顔でいようと気にしないでよい。

 老女は、真白月ましろつきの髪をていねいにすいた。肩までの髪では申し訳ないくらいに。

「きっと、短い髪もお似合いなのでしょう。御身体おからだも月の光のごとき」

 小さな胸に、ただ贅肉ぜいにくがないだけなのだが、なんだかとうとそうである。

 真白月ましろつきの手足に、よい香りのする軟膏なんこうを、老女は、そのしわがれた手でやさしく塗り込めた。真白月ましろつきは、くすぐったくて何度もひくひくする。しまいには小さく笑い出す始末だ。


「お声も、月のかけらのようでございます」

 何をしてもみやびに例える老女は、真白月ましろつきのツボにはまった。



 さて、ゆっくりと女たちは祭壇に近づいてくる。

 真白月ましろつきの役目は、月のさかずきを祭壇から乙女に手渡すこと。そのことが、乙女に祝福を与えることになる。

 

 さかずきを選ぶのも、真白月ましろつきの役目だった。さかずきによって祝福の種類が違い、それぞれの乙女への、はなむけとなる。


 真白月ましろつきは、まず、奈久矢なぐやのために白瑠璃しろるりの細長いさかずきを選んだ。

 進み出た奈久矢なぐやさかずきを差し出す。

 祭壇が一段高いので、真白月ましろつきが差し出して、乙女が頂く形になる。


 奈久矢なぐやさかずきの水を一口飲み干し、そのさかずきを、ひかえていた女が受け取る。


 二つめの杯を尓支にきに選ぶ。

 瑠璃るりの、ぷっくりと口径が広い杯。夜を思わせる色。

 真白月ましろつきは、鉢の部分を両手で支えて持ち上げた。

 満々と水をはった杯は思ったより重かった。両手で差し出したら、よろけた。思わず、尓支にきは一歩、前に出て、真白月ましろつきの両手の上から自分の両手で支えた。真白月ましろつきさかずき尓支にきに押しつける形で、どうにか体勢を保った。


(えらくあぶなっかしい感じ)

(ふふ)

 姉妹は、また読唇術で話している。


 そのまま、二人は夜明け前に後見人に伴われて旅立つ。

 岩の城門のところまで無言のまま、尓支にき奈久矢なぐやは歩んだ。

 この儀式の間は、しゃべってはならない。受けた祝福が失せぬように、夜明けまでは話さない。


 城門まで、真白月ましろつきもついていった。

 そのときは、ベールをたくし上げていた。夜だから、布留音ふるねも大目に見てくれるだろう。


 尓支にき奈久矢なぐやに向けて、真白月ましろつきは口だけを動かした。

(ニキ。ナグヤ。いらっしゃい。また、いつかね)


(え、うちらが読唇術使うの、わかってたんだ)

(さすがですわ。日女ひめ


 姉妹は、(また、きっと)と旅立って行った。



(うわぁ。さびしい。さびしいな)

 真白月は、きゅうぅ、とした。鞍楽くららのことを思い出していた。

 見送る側になって、やっと真白月は、鞍楽くららの気持ちの端っこぐらいがわかったような気がした。 

(まさか、また、引戸のところで待ってはいないよね)



 その真白月ましろつきの、うしろ姿を、布留音ふるねが見守っていた。


「夜も日女ひめの警護とは。ごくろうさまです。神官騎士殿」

 布留音ふるねのうしろ、3米突メートルほど離れて柱にもたれたユスがいた。

 布留音ふるねが、すでに剣に手をかけていたところを見ると、さきほどからユスが立っていたことは気づいていたのだろう。


「考古学者殿は、夜も探検ですか」

「そうですね。月の光に浮かび出る古代文字とかありそうで」

「何が狙いですか」

 布留音ふるねの銀の髪が、細い月光を宿して輝いていた。


「何が、とは?」

 ユスは、黒縁眼鏡の真ん中を左手の指であげた。


「かくれ里に来る道中も、目印になりそうな大木や大岩の位置を記録しておられた」

「学者のさがですよ。地質や生態系に興味があって」

「都の学者殿の興味を引くようなものが、このような辺鄙へんぴな場所に?」

「いや、地下迷宮の日女とか、しゃべる女神像とか、螺良つぶら氏の行方とか、てんこ盛りですよ?」


 聞いた布留音ふるねの視線が険しくなる。


「おっと。私は日女ひめの名を知るひとりです。お手柔らかに」

 ユスは笑顔を作った。

「我々は協力し合った方がよい。あなた方、螺良つぶら氏の残党は優秀な戦士ですし、鋼鉄鍋ボルドゴゥ公は懐の深い方です。いや、もう、そのことはわかっているから、あの新月の武闘会ぶとうかいの茶番だったのでは? 脅しをかけて、有利に交渉を持って行かんがための」


「あれは片目の一つくらいは、いただいてもよかった。金杭アルタンガダスには螺良つぶら氏の本城の者を根絶やしにされた。――だが、舞っている最中に心がざわついた。おそらく、日女ひめが地下迷宮からお出ましになった刻だったのだろう」

「敏感体質だな。今度、安息茶あんそくちゃをお持ちしましょう。心のトゲがとれますよ」

都人ミヤコビトのお茶など、ありがたすぎて、田舎者の腹には合わないな」


「ユス先生。そこにいるの?」

 部屋から寝ぼけた様子で、トゥヤが出てきた。



 そこで、ユスと布留音ふるねの応酬は終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る