51  ダブソスへ

 自分が帝都に戻るなら、布留音ふるねはかくれ里に戻れというのが真白月ましろつきの主張。それを布留音ふるねは受け入れることができない。

 むぅと、ふくれたままの真白月ましろつきと、必死の面持ちの布留音ふるねを仲介するように、ドルジが話に割って入った。

「実はな。帝から書状が来ておる。月の日女ひめが立ち寄ることあれば伝えてくれと」

 ドルジが肩の辺りで、ぱちんと指を鳴らすと、よい距離でひかえていた従者が、うやうやしく漆塗りの書状箱を運んできた。そこから、ドルジは巻紙を取り出し、そこに書いてあることを読みあげた。


「『日女ひめの憂いなきように図るので、処処しょしょ済み次第、神官騎士をともない戻ってまいれ』と、書いてある。ほれ」

 気軽にドルジは巻紙を、真白月ましろつきによこした。

花押かおうもある」


「ほんとに?」

 しかめっ面で真白月ましろつきは、さらっと書面を確認した。たしかに書状の最後に五色の雲のように流麗な一文字で、帝の花押かおうが書かれていた。


「おひめさんのこと、帝は気に入ったのだな」

 めずらしもの好きの腹ちがいの弟だったと、ドルジはひとちた。


「だからって、ほいほい帰ってだったら困るし」

 真白月ましろつきは警戒を解かない。あの帝は駆け引き好きだと知っている。


「こりゃまた、うたぐり深い」

 ドルジは見た目、とぼけた娘っ子にしか見えない真白月ましろつきが、意外と深謀遠慮しんぼうえんりょなことに驚いた。


「帝のことは、しばらく様子を見ようよ、布留音ふるね。だから、いっしょに尼さまを息子さんのところまで送って行こう」

 ようやく真白月ましろつきは、歩み寄りを提示した。

 

「戻るにしてもですか」

 布留音ふるねは、真白月ましろつきが帝都に戻ることに賛成ではない。月の日女ひめのいるべき場所は、弦月げんげつの城である。正確には、その地下である。しかし、真白月ましろつきが歩み寄りを示すなら、布留音ふるねもそうする。

「で、どちらなのですか。息子さまが住んでいらっしゃるのは」

 布留音ふるねは尼さまに問うた。


「ダブソスよ。海辺の国なの」


「海」

 真白月ましろつきの目が輝いた。それを見逃す神官騎士ではない。

「今、海老えびとか貝の焼いたのか、思い浮かべましたか」

 神官騎士は、いつも日女ひめのことを思っている。ゆえに、その考えは筒抜けだ。



 そう、ダブソス領は、大海に面している。

 領を治めるうじは、古くから海神わだつみを奉る一族だった。

 海は荒れることもあるが、多くの恵みをもたらす。

 別の大陸から遣使つかわしめの船がつくため、外交と経済の中心地として、大陸一の港の規模を誇る。

 この大陸にもたらされた物とは、ひょう大虫たいちゅうの毛皮、蜂蜜や薬になる人参など。

 ゆるやかに、別大陸の文化、文物が流れ込んでくる。

 南海の玳瑁たいまいで作られた盃、麝香じゃこう将来しょうらいした。見たこともない異国からの珍しい品は、まず、この地の港にあがるのだ。


 こちらからの交易の品は、絹、綿、糸など繊維製品、黄金、水銀、うるし海石榴油つばきあぶら水精すいせい檳榔びんろうの細工物など、異国人が喜ぶ品を、なかなかの高値で取引するという。


 真白月ましろつきは、ざっと知り得ていることを披露した。

「栄えている国だよね。大陸からの異民族も多いから、余所者に対しても寛容な街だ。そして、ダブソスの現領主は帝の叔母ってことでいいんだっけ。赤金斧ゼフスフ公と鋼鉄鍋ボルドゴゥ公にとっても叔母——」


龍眼公主ルーヌドゥさまというの。金杭アルタンガダスの公女だった方よ。ダブソス公に降嫁したの。『おまえが男であったなら』と現帝の祖父おじいさまに言わしめた方」

 尼さまが補足した。

「夫亡きあと、夫の親族を蹴散らして領主の座に就かれたわ。帝都の威光もあるでしょうけどね。堂々たるものよ」


 真白月ましろつきと尼さまは馬型の鞍楽くららの背に乗り、布留音ふるね赤金斧ゼフスフ公が提供した馬に騎乗していた。

 3人は旅の楽師の家族を装っている。


 真白月ましろつきは、定番の麦わら帽子にピンクラメのハーフマスク姿。わかりやすく、アルトリコーダーを入れた細長い布袋を、その背に、ななめがけしている。

 布留音ふるねは灰色のフード付き長衣。美麗な面差しを、できるだけかくした。

 尼さまは尼さまのままだ。野盗にも信心深いものがいるとすれば、尼連れは襲われにくいらしい。

 たまたま、巡礼の尼さまと楽師兄妹きょうだいが旅の道連れになったという設定で行こうと話し合った。


「でも、尼さまの仮装と思われたら、どうすんの」

 真白月ましろつきが、よくありそうな質問をした。


「本物の証拠に、ありがたい経典をそらんじてやりますわ」

 尼さまは、一説ぶった。

「あなたたちが食うに困ったら、托鉢たくはつもできますわ」


 尼さまは、蝶よ花よと育てられたわけではない。夫を亡くし幼い息子を抱えて後宮で働き、たまさか帝の寵愛を受け身籠みごもり、後宮の女の戦いの中をくぐり抜けて来た。なかなか肝の座った人だった。

「より巡礼者感を出すために、巡礼者バッジと巡礼者杖を身につけますわ」

 尼さまは、黒いコートの胸元にホタテの貝殻のブローチを留め、木製の杖をたずさえた。


 これは効果大だった。

 巡礼者への施しは徳を積むことになる。街道の宿だけでなく、通りがかりの農民から果実をひとつ手渡されたりと、旅人ならではの触れ合いをかみしめることもできる。

 そうして、ゆるゆると3人は、ダブソスを目指すことにした。


 それから、もうひとつ。

 弦月ハガスサラの城を発つ前に、隠密裏おんみつり布留音ふるね赤金斧公ゼフスフに呼び出された。

「おそらく、兄上はダブソスに潜伏している」


「——鋼鉄鍋ボルドゴゥ公の動向を探ってほしいということですか」


「かねてより、叔母上は兄上を懐柔したがっていた」


 どうやら、ダブソスには暗雲が立ち込めている。

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