32  それぞれの思惑

「勝手なことを~~」

 お披露目が終わったあと、真白月ましろつきは、ぶんむくれていた。


「言っておいたではないか? よしんば金杭アルタンガダスの中に、その〈サラ〉の血も混ざれば、祖父帝が駆逐した原住の民も報われよう?」

 たしかに帝は、そのようなことを言っていたが、宣言することはないじゃないかということだ。


「こっちにメリット利点、なーい」

「その言い草」

「……実家に帰らせてください」

「トゥヤを見捨ててか?」

「ぐぅ」

 それを言われると、真白月ましろつきは弱かった。トゥヤは、この〈外〉で、はじめてできたトモダチなのだ。


御前ごぜん夕餉ゆうげのお時間です」

 時間を厳守したいブグンが、口をはさんできた。


「そうか。今日の献立はなんだ」

鳥南蛮とりなんばんにございます」

「とり、なんば……?」

 真白月ましろつきが、はじめて聞く料理名に、ぴくりと反応した。


「知らぬのか。菜種の油で香ばしくあげた鶏肉に、甘じょっぱいタレをからめたものだ。そのうえに、たるたるとかける調味料が、また美味じゃぞ」

「たるたる……」

「この者たちの夕餉ゆうげもあるのか?」


 帝の問いにブグンが答える。

「はい。もちろん。帝にあらせられましては、お披露目後に日女ひめとの会食をお望みかと」


「これ、このように、われの内府長ないふちょうは、とても気の利く男じゃ。われの娘にならば、いつでも、朝昼晩と、そなたの口をよろこばすものを並べてくれよう」

「……いつでも」

 真白月ましろつきの瞳が輝く。


「そんなことで日女ひめの気持ちが揺らぐとでもっ」

 ひかえていた布留音ふるねは、たまらず叫ぶ、トゥヤが、その袖を抑える。

「いや、揺らいでるよ」


「三時のおやつは?」

 真白月ましろつきは、交渉のテーブルについている。


 うっすら、六天舞耶ロクテンマイヤの言っていたことを思い出さないでもない。



( そもそも。われらが介入すべきではないのだ。われたちは傍観者。われたちは流浪する者。水に意思はない。風に意思はない。ただ、小さき者たちが、己を慰めるために、われらを神と呼んだだけ )



 朱夏しゅかの日の入りは遅い。

 まだ熱を帯びた風が、御座所ござしょにも流れ込んできた。 





 イメール右大臣は月鏡サラトリの離宮から屋敷に帰るなり、三男に宣告した。

「おまえ、月の日女ひめ婿むこになれ」 


「は?」

 三男は、涼やかな目元をくもらせた。

「私は神祇寮しんぎりょうにて修行中の身。ゆくゆくは僧になるのでは?」


「いや。今、このイメールの家で男子独身者は、お前のみだ。長男、次男は、すでに妻帯者さいたいしゃ。離縁させて正妻の座を空けるのも見苦しい。帝の養子の日女ひめを側室にするわけにもいかない。とすれば、日女ひめの夫となりうるは、お前のみ」

日女ひめといっても、年も顔も知れぬ原住の民の女子ではありませぬか」

金杭アルタンガダスの跡取りとなれるチャンスぞ。その日女ひめと世継ぎを成し、その子が帝とならば我がイメールは摂政家ぞ」

「待ってください。後宮にいるツェレン姉上が懐妊すれば」


 勝手に話を進める父親に三男はついていけない。生まれる前から三男は僧にすると決められていたときよりは相談されているだけ、ましなのだろうか。


「その兆しがないからじゃ。このうえは、懐妊するという確証もない」

 イメールは、いらいらと言い捨てた。

「タショールも同じことを思うて、息子に言うであろうよ。あの成り上がりが我が家を差し置いて、婿むこに納まろうなどという分不相応な野望を抱かせぬためにも、おまえが名乗りをあげよ」


鋼鉄鍋ボルドゴゥ公の御子息は、月の日女ひめは自分と約束のある方だと申しておりましたが」

 自分より年下だがおくすることなく発言していた、ナラントゥヤ公子のことを三男は思い出していた。

 帝の甥御という立場なら、彼の方が格上であろう。


「帝のお許しが出ていないなら、無効同然。つまり、今のところ、日女の婿むこは未定ということだ」


(やれやれ。今までの修行を、不意にしろって言うのか)

 心の中で三男は、ため息をついた。




 タショール左大臣の屋敷でも、おおむね同じような会話が父と四男の間でなされた。


「月の日女ひめ婿むこには、おまえがふさわしかろう」

「後宮におられますサイハン姉上が懐妊すれば」

「帝のお渡りは滅多にないのだ。種を蒔かずば芽が出るか? 布石は打っておくからこそ価値がある。この大陸を平定したのは、このタショールの武の力あってこそ。日女ひめ婿むこにはタショールの家の者がふさわしい。しかるに日女ひめに求婚しろ」


「えぇ? それは気づまりだなぁ」

 四男は、妻を持つなら自分より下の階級だと考えている。父親のように尻に敷かれたくはないからだ。

 それに女など、気が向いたときに抱くから楽しいのだ。義務になったら、ほとほと疲れること、まちがいない。

 上に三人、既婚の兄がいる。ある年は、嫁たちの出産ラッシュだった。甥や姪は、ごろごろいる。血筋が絶える心配はない。突然、『タショールの〇〇さまの赤子がはらにおります』とか、一夜限り、手をつけた女が、兄たちを訪ねてくることもあった。兄たちに任せておけばいい。

(自分が妻を持つ必要など、ないじゃないか)


「おい。聞いているのか」

 タショールが、上の空に見える四男を叱責した。タショールは、この四男をいささか自由に育てすぎた。三人、男子に恵まれたあとは女子が続き、やっと生まれた四男を甘やかしてしまった。

 しかし、剣の腕は天性のものがある。武のタショールには、このうえない男子だ。『四男様に関しては型にめぬほうがよろしいかと』というのが、剣の指南役の指導であった。

「とにかく、定期的に日女ひめの御機嫌伺いをはじめよ」


(めんどうくさいなぁ)

 四男は、のどまで出かけた言葉を飲み込んだ。




 そして、金杭アルタンガダスの宮殿の最奥には、忘れ去られたような後宮があった。

 うつくしい調度品で彩られた館には、うつくしい、ふたりの妃が住んでいた。


「はい、われの勝ちですよ」

「まぁ、ツェレンさまは容赦ない」


双六すごろくに興じている、 ひとりの名はツェレン。

もうひとりの名はサイハンという。

その名を呼ぶことを許されているのは、帝と家族のみ。ともに20代の半ばを過ぎた。


 入内じゅだい当初は、星ノ位オドノコルの並び立つ日女ひめとして対抗心を燃やし、親しい言葉など交わすこともなかった2人であったが、かれこれ10年。後宮という鳥かごの中の生活で、自分たちの境遇を憂う同胞どうほうになっていた。

 深窓の令嬢である日女ひめ2人は、そこから出ようとも、出たいとも考えない。召使いにかしずかれ、貴人とうとびととして暮らす。それが生まれたときからであるから。


「そう言えば、ご存じですか。帝が養子を迎えられたと」

 ツェレンが切り出した。

「召使いどもの注進で聞くとは。われたちも軽んじられたもの」

 サイハンは双六すごろくの盤をにらんでいる。

「山岳少数民族の日女ひめとか」

「山ザル?」

 サイハンは駒を2手、進めた。


 ツェレンはサイハンの言葉に軽く笑い出す。 

「大臣家にはお披露目があったということです。弟から知らせがありました」

「ツェレンさまの弟御は、そのような便りもくださるのですね。わが弟など、なんの知らせもございませんわ」

「男子など、本来、そのようなもの」

「それにしても。後宮に挨拶なしとは無礼」

 サイハンの眉間のしわが深くなった。


「わたくしたちが挨拶に出向くというのも、口惜しいですわ。秩序というものがございます。向こうが挨拶に来るのが礼儀でしょう」

 ツェレンも同感だ。

「帝も不義理をなさっているのです。そのぐらいは聞いていただかなくては――」






金杭アルタンガダスの夕餉は定食

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