4  ナラントゥヤ公子

 弦月ハガスサラの城と呼ばれる、この砦城は山脈の山塊の岩の上に建っている。ふもとの街までは、大人の足でも半刻(1時間)はかかるだろうか。修道院として、いにしえの王族の幽閉に使われた時代もあったという。聖なる山への玄関でもある。

 金杭アルタンガダスの先帝から鋼鉄鍋ボルドゴゥ公シドゥルグがたまわった城だ。



「昨夜の身元不明の女子について、何かわかりましたか?」

 茶がちな髪の少年が、背の高い黒髪の青年に聞いた。


「いいえ。昨夜の武闘会の招待客に、その年齢の女子はおりません」

「そうだよね?」

「どこから紛れ込んできたものか。どのような女子でしたか」


 青年は、学者ですねと言わんばかりの黒縁眼鏡をかけている。だが、肌は日に焼けているし着やせするタイプで結構、鍛えている。


「――モンゴロイド黄色人種タイプだとは思います。髪は黒かった。どこか浮世離れしていて。衣服は簡素なものだったけど、上等な手触りだったし。飢えるような身分ではなさそうでしたが、とにかく、お腹を空かせていて」

 少年は、女子のがっつきぶりを思い出していた。


「そのような者が紛れ込むような警備では、問題がありますね。あの舞日女まいひめ一行についても調査中ですよ。さて、その女子に突き飛ばされたとうかがいましたが? ナラントゥヤさま?」


「あれは! 油断したからだ」

 自分の不覚を思い出して、少年がむきになった。

「普段だったら、そんなことはないんだ! ユス先生……」

 声が小さくなる。


「油断とは、また情けない」

 先生と呼ばれた青年は確信犯で、意地悪な言い方をしている。

 むきになるトゥヤの仔犬のような反応を楽しんでいるのだ。

 ちなみに、公子の名が長たらしいので、しばしば、非公式の場ではトゥヤと略される。


「ああ、そうです。情けなかった。あの女子は似ていたから。祈りの間にある肖像彫刻のホログラフ三次元画像に」

 ふてくされ恥ずかしそうに、トゥヤは白状した。


「この城の祈りの間?」

「たぶん、隠し部屋ですよ。この間、見つけたんです」

「それはまた興味深い」

 ユスの黒翡翠くろひすいの瞳の底の翠色みどりいろが、ゆらめいた。


「見たいですか? この授業を早々に切り上げてくだされば案内できますよ?」

 トゥヤは、なかなかの交渉上手だ。

 


 それは、12年前にさかのぼる。

 巡察使団は、とある山国に滞在した。その地の娘が鋼鉄鍋ボルドゴゥ公の妻となり、赤ん坊を産み亡くなった。ゆえに巡察使団は、この赤ん坊を抱え、行く村々で乳をもらい育てた。それが、ナラントゥヤ公子だ。


 そのような理由で、トゥヤの12年の人生は旅そのものだった。

 半年、同じところにいることがない。父、シドゥルグと叔父に当たる赤金斧ゼフスフ公ドルジと共に、巡察使じゅんさつしとして大陸を移動した。


 鋼鉄鍋ボルドゴゥ公シドゥルグと赤金斧ゼスフス公ドルジについては。

 彼らは、共に先の帝の妾腹の子である。それぞれ、母親はちがう。


 先帝は皇后の子である現帝を世継ぎとし、妾腹の兄たちには辺境の地を与えた。さらに、現帝は兄たちに巡察使じゅんさつしとして従属国の監視を命じた。


 巡察の職務は暮らしが落ち着くことはないし、家来との信頼関係は希薄になるし、人件費はやたらかかる。

 巡察使じゅんさつしに同行する家来は家族持ちの場合、務めてせいぜい3年だろう。しかし、現地採用枠と共に給料がよいから人気がある。


 こう聞くと、鋼鉄鍋ボルドゴゥ公と赤金斧ゼスフス公の二人は、なかなか不遇な生涯を送っているかのようである。

 が、そうでもなかった。

 従属国は帝の覚えのよきことを願って、二人をもてなすことを怠らなかった。一行の滞在費は、たいてい従属国持ちだ。否、持ってくれるように遠回しに、じか回しに赤金斧ゼスフス公が持ちかけていった。


 ユスから見ると、鋼鉄鍋ボルドゴゥ公シドゥルグと赤金斧ゼスフス公ドルジは自分たちのペースで諸国漫遊しているようにも見える。


 だからといって、『 エンジョイされていますよ 』と、帝への定期的な報告書にわざわざ書き添えることはしなかった。

 そう、彼は帝の密偵の役も担っている。帝の異母兄の動向を逐一、帝に知らせることになっている。


 幼い頃より文武に優れていたユス・トゥルフール。金杭アルタンガダスの、とある役職にある男の養子である、その本分は考古学者。

 都育ちなら、ほぼ行きたがらない巡察使じゅんさつしのメンバーに手を挙げたのも、同行すれば大陸の遺跡を巡りたい放題、研究し放題であるからだ。

 ユスが巡察使じゅんさつしに合流して早6年。

 あの頃、6歳だったトゥヤには乳母ではなく、師範が必要な年齢だった。ユスは申し分のない指導者であり兄貴分になった。


 ユスは教育方針として教え子に、必ず土着の民の家に居候し文化交流し現地語を学び職業体験させる。その結果、トゥヤは誰よりもコミュニケーション能力に長け、10歳の誕生日を迎えるころには、〈こども大使〉という、ふたつ名で通るようになった。


 ユス本人にとっては、密偵の任務が先か遺跡調査が先かは、タマゴが先かニワトリが先かと同列の質問で答えようがない。

 都での地位に引き上げてくれた現帝には恩義がある。6年、共に同じ釜の飯を食ってきた鋼鉄鍋ボルドゴゥ公シドゥルグと赤金斧ゼスフス公ドルジには、チームとしての信頼がある。

 何より、自分を慕ってくるトゥヤに愛があった。

 今日、密偵であることがばれることがあったとしても、悔いのない生き方をしようというのが、ユスの信条だ。



 さて、隠し部屋のことを聞いたユス先生は、早々に授業を終えて、早速、生徒に案内を頼んだ。


 弦月ハガスサラの城は古代の遺跡のあとに建てられたと記録が残っている。

 この山脈のあたりは色濃く古代宗教の跡が残っているから、しらべておきたかった。


「迷路のようでしょう?」

 トゥヤは階段を降りて行く。

 城は三層の作りで、地下室がある。


「この城は異教徒の住処だったのです。どんな仕掛けがあるかもわからない。一人行動ひとりこうどうは慎んでくださいよ」

 ユスの声が石壁に反響する。


 地下室は昔の礼拝堂だ。

 古代の礼拝堂であったものを、どこかの時代で今の宗教にすり替えたと思える。


 現帝の祖父の時代に大陸は、ほぼ制圧された。

 元々、この大陸の信仰は、神は万物に宿るというたぐいのものだったはずが、いつかしらか女神崇拝に替わった。

 その昔の土着の士族たちは金杭アルタンガダスを異教の侵略者として屈っしなかったが、帝国の軍事力に駆逐された。そういう時代を経て旧時代の信仰は衰退し、現帝の時代では表向きは絶えたとされている。

 まぁ、警戒は怠らないというのが現帝の方針。

 ユスも、それとなく少数民族の動きは見ているところだ。


 ちなみに、金杭アルタンガダスの信仰する宗教は男神だ。水を葡萄酒に替えたり嵐を鎮めたり、悪霊を退散したり病気を治したりできたという伝説の神だ。


「この奥、です」

 トゥヤが、薄暗く続く先を指差した。

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