最終章 “NGワード試験”ゲーム



「えっ……!?」

「はぁっ……!?」


 すもも先生の言い放った言葉に、間抜けな声が二つ重なった。

 まるで理解が追い付かない。


 卯野原が、死んだはずの厘……?

 いや、そんなことがあるのか?

 ショート寸前の思考回路で、何とか理解を進めるが、単純な言葉の意味が果てしなく複雑に感じるかのようだった。


「お、お前……、厘、なのか……?」

「えと、あの、犬飼先輩っ……?」


 俺は卯野原の顔をじっと見つける。

 頬を染め、照れたような表情。

 やはりというべきか、そこに厘の面影は無かった。

 残念に思い、少し視線を下げる。……余計に厘の面影が遠くなった気がした。


「すもも先生、それは勘違いなんじゃないですかね?」

「犬飼先輩……もしかして今、おっぱいで判断しましたか?」

「だって、厘はこんなに巨乳じゃなかったし」

「でも、私の胸が急成長したのは、二年前くらいのことですよ」

「え……?」


 もし、その話が本当ならば矛盾はなくなる。でもまあ、顔は明らかに別人だったが。


「はぁ……、卯野原さんには心当たりがあるはずなのですよ」

「えっとぉ……」

「上層部からの言いつけは、しっかり守っているようですね。ですが、ここでは私の事情を優先してもらいましょうか」


 そう言うと、すもも先生は空き教室の戸棚から、タオルと水の入ったペットボトルを持ってきたのだった。前もって準備をしておいたのだろう。

 そして、タオルに水を含ませると、びしゃびしゃに濡れたそれで卯野原の顔を無理矢理に拭き始める。


「むぅううっ!? んむむむぅうううう~~~~!?」

「こら! じっとしていなさい!」


 じたばたと必死に抵抗するが、卯野原の顔にタオルがあてがわれて拭かれていく。

 そうしていると、卯野原の顔から“マスク”のようなものが剥がれ落ちるのが分かった。それはまるで、某怪盗三世が変装の際に使うようなアレだ。


「見なさい、犬飼。これが、真実なのですよ」

「う、うぅ~~~~~~~~~~っ!」


 恥ずかしそうに赤面して、瞳を潤ませる卯野原。

 だが、その顔は俺の知っている卯野原月という女の子ではなく……


「お前……、厘、なのか……?」

「えーと……どう、なんでしょうか……?」


 と、そんな風に困惑の表情を浮かべる卯野原。

 というか、こいつが本当に厘だったとして、どうして今まで黙っていたんだよ?


「無駄なのですよ。卯野原さんには、過去の記憶が無いのですから」

「っ! そ、それはどういう……!?」

「話を戻しましょうか。白崎厘さんを押しつぶしたブロック。あれには死を演出する為のトリックがありました。外側こそ頑丈な金属ですが、実際には中が空洞で、底面は壊れやすい素材を用いているのです」


 ということは、つまり……


「厘は押しつぶされたのではなく、底面を突き破って中の空洞に収まっていただけ……?」

「そういうことです。そして、あのブロックの中には、血糊なんかが仕込まれていました。白崎さんが底面を突き破った際、それが周囲に飛び散ったのですよ。これが、死の演出なのです。スポンサーに知られないよう、情報規制されていた秘密の一部です」


 そ、それが、あの時の死の演出だったのか……

 そのまま、すもも先生は話を続ける。


「そして、それは偶然の出来事でした。死の恐怖という精神的なショックにより、白崎さんは記憶喪失になってしまったらしいのです」

「記憶喪失……っ! そうか。だから、卯野原は……!」


 生きていたとしても、厘が俺の前に現れることはない。俺の存在という記憶を失っていたのだから。


「うっ……! く……っ!?」

「卯野原!?」


 直後、額を押さえて卯野原がその場に座り込んだ。

 苦しそうに悶え、大粒の汗が流れ落ちる。ただ事じゃないということは確かだった。


「おそらく、記憶を取り戻そうとしているのでしょう。……話を続けます。それが、きっと彼女の為ですから」

「でも、すもも先生……!」

「話を……、続けてください……」


 頭を押さえ、苦しそうにしながらも、卯野原は話の続きを促すのだった。

 すもも先生が小さく頷くと、そのまま続きを口にした。


「デスゲームで死んだ扱いのプレイヤーは本来、某所で強制労働をさせられるのが通常の処遇です。ですが、白崎さんの記憶が失われたことによって、『ラビリンス』上層部の神代という男にとって、ある都合の良いことが起こったのです」

「神代……?」


 その聞き覚えのない名前に、聞き返す俺。

 すると、すもも先生から直ぐにその答えが返って来るのだった。


「普段、犬飼が業務連絡をしている相手なのですよ。覚えているでしょう? 例えば“友情人狼”の時とか」

「ああ、あの老害か。あいつ、神代って名前だったのか」


 これも新たな事実ではあったが……、まあどうでもいいな。そんなことより、卯野原の件だ。


「『ラビリンス』組織とて、一枚岩ではありません。上層部では激しい権力争いがありました。ですが、直接的な争いではなく、代理戦争をするのが彼らのルールなのでした。我々のような運営委員を使って。……そして、神代は当時プレイヤーだった犬飼の実力に価値を見出したのですよ。そして、これをどうにか利用できないものかと考えた」


 確かに、当時プレイヤー側だった俺は、『ラビリンス』からスカウトを受けて運営委員になった。

 まさか、あの出来事に、そんな裏の事情があったなんてな……


「さて、ここからは犬飼に関する話なのですよ。犬飼、あなたの目的は何でしたか?」

「Sランクになって、『ラビリンス』を内部から崩壊させること……」


「そうです。犬飼は白崎さんを失った復讐心を糧に、Sランク運営を目指す。きっと、犬飼の実力なら、いずれその目的を達成することでしょう。ですが……、それを実際に達成した後が問題でした。権力を身に着けた犬飼は、必ず組織に復讐をする。そうなってしまえば、犬飼を代理戦争には利用できません。神代は考えました。どこかに、都合の良い人質でも存在しないものか、と」


 そこまで言われて、俺は思い至った。

 いずれ俺がSランクに上がって絶大な権力を得たとしても、そんな俺をコントロールする為の人質が必要になる……。それこそが――


「記憶を失った厘……いや、卯野原か」

「そう。それが、彼女に与えられた使命でした。記憶を失った彼女に衣食住の恩を売り、日常的に犬飼を監視するという役目を与えたのです」

「…………」


 そうか。すべては、そこから……

 卯野原がショックで“記憶を失った”という“偶然”から始まったことだったのか。


「そういうこと、でしたか」

「卯野原……?」

「まだ、すべての記憶を取り戻したわけではありません。……でも、断片的にですが、思い出せたこともあります。腑に落ちることも、たくさん……」


 ゆっくりと立ち上がる卯野原。

 まだ頭痛は酷そうだったが、それでもしっかりと意識を持って俺を見つめた。


「久しぶりね、犬飼くん。……それとも、また犬飼先輩と呼んだ方がいいですか?」

「――――っ!」


 なんと声を掛けていいのか、どんな返事をすればいいのか、俺には分からなかった。

 目の前に居るのは、厘であって、そして卯野原でもある。

 俺はどうすればいい? どっちの名前を読んでやるのが正しいんだ……?


「あはは、おかしいわよね。今の私には、どっちの記憶もあるんですよ。白崎厘だった記憶も、卯野原月である記憶も……」

「……悪い、俺も混乱してるみたいだ」

「ま、それもそうよね。私だって、同じですから……。でも、ひとつだけ。これだけは聞かせてください――」


 真っ直ぐに、俺を見つめる彼女。

 少し緊張した面持ちで、その言葉を口にした。


「――厘と卯野原。犬飼くんが求めているのは、どっちですか?」


 そう、彼女は問うた。

 俺は……

 俺が求めているのは……

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