最終章 “NGワード試験”ゲーム

 いや待て。

 本当にその答えでいいのか? これを外せば、今度こそ次は無いんだぞ?

 安易に考えるな。すもも先生は、これまで完璧に俺の思考を読んできたのだ。

 もしかしたら、今まで考えていたことも……


 その堂々巡りに意味がないことなど分かっている。それでも、既に一度、宣言を外しているという事実が俺の思考を邪魔するのだった。


 あれだけの思考時間を用意してくれた意味は? 俺に考えさせることを促した理由は?

 もしかしたら、ここまでの考えさせる為に、俺を誘導したかったんじゃないのか……?

 そんな考えが無限に頭を駆け巡る。俺は……、どうすれば……!?


「はぁ……やはり、犬飼は鈍感ですね。もっと、シンプルに考えてほしかったのですよ」

「すもも、先生……?」


 俺が思考の連鎖に囚われていると、不意に、すもも先生は表情を和らげて言った。

 優しく微笑み、じっと俺を見つめる。


「これは、私からの愛の告白なのですよ。そう捉えてみてください」

「な、何を言って……」

「私は今まで理想を追い求めてきました。それでも、その理想を犬飼に強制したいわけではないのです」

「えっと……」

「犬飼。答えを、聞かせてください。大丈夫、勉強は努力を裏切りませんから」

「……そう、ですか」


 確かなこと。不確かなこと。そんなことが複雑に絡み合っているようで、その実、問われていることは至極シンプルなのだと。そう諭されているようだった。

 だから、俺の導き出した解答は、きっと合っていて。


 でも、本当に問いたいことは、既にすもも先生が口にしていた。ずっと同じことを。

 『ラビリンス』から去り、私と一緒になってほしい、と。

 その告白を受けるのであれば、私はあなたを負かす。でも、もし違う気持ちなのであれば、私を越えなさい。


 そう、すもも先生は一貫して同じメッセージを伝え続けていたのだろう。

 であれば、返事を伝えるのが俺の責務か。

 ……答えを、出さないとな。真剣に向き合って。


「宣言する“NGワード”を決めました。今度こそ、決着をつけましょう」

「はい。お願いしますね」


 少し緊張した面持ちで、すもも先生はそっと見つめてきた。

 そして、俺は告げる。


「俺が宣言するワードは……、“101325”だ!!!!」


 声を張り上げ、俺はそう宣言をした。

 これが俺の答えだ。


「……そう、ですか。分かりました」


 すもも先生は目を伏せて、ゆっくりと頷いたのだった。

 それから、俺は卯野原に視線を向ける。

 これで、“NGワード試験”の決着はついた。俺の返事も伝わったはずだ。

 卯野原は静かに息を吸ってから、そのゲーム結果をはっきりと口に出した。



「宣言成功により、“NGワード試験”は犬飼先輩の勝利となりますっ!」



 と、そんな卯野原の明るい声が、空き教室の空気を震わせるのだった。


 すもも先生、これが俺の素直な気持ち……真剣に向き合った結果です。すもも先生の気持ちは嬉しかったけど……やっぱり、俺は厘の幻影を追い続けます。それがたとえ、無意味で虚しかろうとも、俺自身が後悔しない為に。


「勝った、のか……、にしても、“NGワード”の解答は、あれで合っていたみたいだな」

「はいっ! 大正解ですっ! でも、どうして“NGワード”が101325だと分かったんですか?」


 可愛らしく首を傾げる卯野原に、俺が説明を続けた。


「俺は与えられていた解答一覧から、数字のワードを全て数学グループに分類していた。でも、それこそが罠のギミックだったんだよ」

「んー、どういうことです?」

「それを説明する前に、一つ質問だ。すもも先生が提案する前のルールで、“NGワード”が該当する教科は国語じゃなくて、数学と理科の両方だったんじゃないか?」

「おおっ! 正解ですっ! まあ、今さらですけどね」

「うるせぇな。お前は一言余計なんだよ……」


 なんて俺が言うと、卯野原は「あははー」と誤魔化すように軽く笑い飛ばすのだった。

 まあいい。説明を続けるか。


「とにかく、俺はすもも先生の罠にまんまと嵌ったわけだ。そもそも、この“NGワード試験”を正攻法でのみ進めるのならば、解答者側は国、数、英、理、社の内、適当に一つを宣言すれば五分の一で正解を当てることが出来る。まあ、それをさせない為の罠でもあったんだろうな」

「そうですねっ! “NGワード試験”のルール上、複数の教科に該当している“NGワード”を設定することは禁止されていませんっ!」


 まあ、卯野原の言う通りだな。

 振り返ってみれば、模擬ゲームの際でさえ、国、数、英と三教科に該当する“NGワード”を設定しても、それが禁止であるとは言われていなかったし。


「設定された“NGワード”が複数教科で解答出来る可能性に気づいた俺は、解答一覧の中から該当しそうなワードを探した。それが標準気圧、101325パスカルだ」

「なるほどーっ! で、何ですかそれ? カルパス?」


 違う。それはパンダのイラストが脳裏に浮かぶドライソーセージだ。


「パスカルな。気圧の単位だ。俺もよく分からんけど、一気圧が101325パスカルらしい」

「ふーん。でも、どうして犬飼先輩が、そんな難しそうなことを知っているんですか? 絶対おかしいですよっ!」

「別に俺が難しそうなことの一つくらい知っていても良いだろうが。あれだよ。三年理科のテスト範囲で、翠が勉強してたんだよ」

「あー、それでーっ! なるほどですっ!」


 あれが無かったら、絶対に無理ゲーだっただろうな。マジで勉強会をやっておいた甲斐があるってもんだ……

 未来の発言から貰ったヒントを元に、俺は数字に複数の意味があると睨んだ。


 そして、数学グループに分類したワードの中から、理科の解答として併用できそうなワードを探し出した。とまあ、そういうことだ。

 しかし、いちおう他にも根拠はある。それが、解答の担当者一覧だった。



 担当者一覧

 与一【国        】

 葵 【国 数      】

 緋色【国 数 英    】

 翠 【国 数 英 理  】

 未来【国 数 英 理 社】



 この表に従えば、本来の数学グループの解答回数は合計で四回になるはずである。

 だが、この数学とは別に、翠だけは理科のテストで101325というワードを解答しているはずなので、その余分の一回が累計されることになる。


 その結果、“NGワード”の解答回数が合計で五回になった、という理屈だ。

 そう考えるならば、“NGワード”が101325であるという根拠に一切の矛盾は無く、すべての辻褄が合うのだった。


「おめでとう。さすがですね、犬飼。……また、フラれてしまいましたか」


 すもも先生は寂しそうに、でもどこか勝利を祝福するかのような口調で、そう優しく言ったのだった。

 ……それにしても、“また”か。

 ひとつ、俺の中の疑問が確信に変わる。そうだよな。すもも先生は、やっぱり……


「あの、すもも先生――」

「さて、これで未来さんの『デスゲ脳の改善』に関する責任問題は全て解決です。犬飼に敗北ペナルティは与えられません」


 ああ、そういえば、もともとはそういう話だったんだっけ。忘れてたけど。

 ちょっと聞きたかったこともあったのだが、言葉を遮られてしまったし、そっちはまあ後でもいいか。

 それよりも……


「とりあえず、俺のペナルティ回避云々は一旦置いておくとして……、すもも先生、何だかやけに嬉しそうな顔してますね」

「ふふっ、そう見えますか? ま、そんなことより、私はゲームに負けたのですから、敗北ペナルティを受けねばなりませんよね?」


 などと言って、悪戯っぽく笑うすもも先生。

 ふむ、何故だろうか? あまり良い予感がしないのは。


「えっと……、そんな話ありましたっけ……?」

「私が負けたら犬飼の奴隷になるというルールでした。なので、私はこれから犬飼の卑猥な命令には絶対服従することを約束しますね」

「ほ、ホントにそんなペナルティでしたっけ!?」


 俺は記憶のページをペラペラ捲って遡る。……あ、ホントだ。そんなこと言ってたわ。“NGワード試験”の本筋と関係無いから、すっかり忘れてたけど。


「奴隷という肩書が不満なのであれば、愛人でも構わないのですよ。たとえ何番目の女であろうと、犬飼が私を愛してくれさえすれば……」

「話が重いな!? もう、そんなペナルティは無効でいいですから!?」

「私が良くないのですよ。デスゲームで負けたのに罰を受けないというのは、私にとっても恥なのですから」


 そっと身を寄せ、何か柔らかいものを俺にぎゅうっと押し当ててくるすもも先生。

 って、おいこら。


「ちょ――!? すもも先生!?」

「ふふ、少しだけでいいですから。こうさせてほしいのですよ」

「いやいや、どういう意味ですか……!」


 なるほどな、これが大人の色気か……

 いや、そうじゃなくて!

 あれだな。自ら罰ゲームを受けたがる辺り、すもも先生にも少なからず、デスゲ脳の兆候が見られるな。


「……あの頃からずっと強くなったのは、私だけではなかったようですね。ふふっ」


 と、すもも先生はそんな弾んだ声で、こっそりと小さく呟いた。

 まあ、なんというか……

 やれやれ。まったく、この人は……。と、そんな感じの気分だ。


「むぅー……。犬飼先輩ったら、すもも先生“が”デレデレし過ぎですよっ……! 離れてくださいっ!」

「いや、俺が悪いんですかね、それ……?」


 卯野原からのジト目が突き刺さって痛いので、俺はやんわりとすもも先生から身体を離した。若干の名残惜しさを感じつつ。

 すると、すもも先生は俺に向き直って、はっきりとした口調で言葉を続けるのだった。


「今回の“NGワード試験”ゲームは私の負けなのですよ。でも、犬飼のことは諦めていませんので、いつかまた恋のデスゲームを挑ませてもらいますね」

「ええ……、これで終わりじゃないんですか……?」

「もちろん、当然なのですよ」


 そう言いながら、とびきりの含み笑いを浮かべるすもも先生だった。

 くっ、なんか好き勝手に言われっぱなしで悔しいな……

 そう思って、俺からもちょっとばかり意地悪く言い返すことにした。


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