五章 過去の私
◇
――それから、おおよそ一年が経過した。
「さてと、今日から私も新任教師ですか」
桜の舞う季節。早朝。
私は迷宮学園の門を、教員という立場でくぐることになったのでした。
一年前のあの頃よりも、私はずっと可愛くなれたと思う。
自惚れだと笑われることも無いくらい、私は美しくなれたはずだ。
そして事実、私は以前よりも、ずっとずっと強い存在になれたのでした。
もう、自信の無かった頃の自分は居ないのですよ。
心地よく吹く春風と共に学園へと入り、新任の私はまず職員室に足を踏み入れた。
そこで、既に配属されていた年配の男性教員から紹介をされる。
「えー、本日から迷宮学園に着任となる桃辻すもも先生です。では、桃辻先生からも、簡単にご挨拶を」
「桃辻です。よろしくお願いします」
と、私は軽く頭を下げた。すると、男性教員が不満そうに私を見てくる。
「……あー、それだけ? 簡単にとは言いましたけど、少々簡単すぎるのでは……」
「何か問題でも?」
「ああいえ、構いませんよ。ははは、これだけ美人な新任教師なのですから、皆さんも良く面倒を見てあげるようにしてくださいね。ははは!」
そう言うと、男性教員は馴れ馴れしい様子で、私の肩に手を添えてきた。
不快に思った私は、その手を雑に払い除ける。
「……っ!? 桃辻先生、新任早々にこんなことは言いたく無かったですが、その態度の悪さは直した方が良いかと。そんなことでは、生徒たちに悪影響を与えかねませんよ!」
「私に意見するつもりなのですか?」
「な、なにを……!? 歳上に向かって、その態度はなんだ! 恥を知りなさい!」
横暴な態度で怒りを露わにする男性教員。
まったく、自分の立場というものを弁えてほしいですね。他の教員たちも怯えているではありませんか。せっかくの門出の日だというのに。
そう思っていると、不意に職員室の扉が開け放たれた。そちらに視線を向けると、そこには迷宮学園の学園長の姿があったのでした。
「遅れてしまい申し訳ございません、桃辻様。よくぞいらしてくださいました」
「学園に居るときは桃辻先生で結構ですよ」
「では、失礼ながらそう呼ばせていただきます。……ところで、空気が良くなさそうですが、何かございましたか?」
不穏な気配を読み取ったらしい学園長が、恐る恐る問うてきたのでした。
「生徒はともかく、教員への教育がなっていないようですね。気を付けて頂かないと」
と、私は隣に佇む男性教員に視線を向けながら言った。
すると、察しの良い学園長は直ぐさま頭を下げてきたのでした。
「そ、それはとんだ失礼を!? き、キミ! 新年度早々に何をしてくれたんだ!?」
「えっ!? いやー、その……!?」
「今すぐに謝りなさい! 場合によっては、キミの首を切ることにもなりますよ!?」
「ええっ!? が、学園長!? 本気なんですか!?」
ちなみに、この“首を切る”というのは物理的な話なのでした。この男性教員は気づいていないでしょうけど。
「ま、今回は見逃してあげましょう。今日は気分が良いのですよ」
「桃辻先生、本当ですか!? いや、寛大な処置に感謝します! ほら、キミも!」
「し、失礼しました……?」
学園長は深々と頭を下げ、額の汗を拭った。
そして、あまり状況を飲み込めていない男性教員も困惑の表情で頭を下げる。
まあいいでしょう。私は今日という日を待ち望んでいたのです。そんな大事な日を血生臭くするのは、無粋というものでしょうし。
「ところで学園長。例の件なのですが……」
「ああ、彼の件ですね。二年生の教室なので、二階の東廊下に居れば会えるかと。おそらく、いつものことなので遅刻してくるとは思いますが」
「そうですか。ありがとうございます。では、私はこれで」
軽く礼を述べて、私は勝手に職員室を後にする。
と、途中で思わぬ珍事件があったものの、私は新任の挨拶を終えたのでした。
この後には入学式があるようですが、私の興味はそこにはありません。
学園長の言っていた通り、私は二階の東廊下を目指して歩く。
やっと……、やっと会えるのですね。その期待と高揚感で胸が震える。
今日というこの日まで、私は大人っぽいオシャレをしてみたり、人付き合いの練習をしてみたり、可愛い仕草なんかを研究してみたりと……様々な努力を重ねてきたのです。
そして何より、私は強くなった。
『ラビリンス』組織でも一部の限られた存在しか到達できないとされるSランク運営にまで、私は上り詰めたのです。
もともと私は桃辻の家系であり、英才教育の賜物ということもあるのでしょうが、天才のポテンシャルを持っていたという自負もある。
犬飼に振り向いてもらう為なら、本気を出してSランクに挑むことも出来ました。
当時のSランク運営に喧嘩を売りまくり、そして私はその全員を負かしてきた。
結果、私は一年以内という短期間でSランクに上がりました。
Sランク運営という立場ならば、犬飼は私のことを無視出来ないはず。きっと意識してくれることでしょう。
あとついでに、私は迷宮学園での教員免許を取得しました。
最低でも問題なく授業が行えるくらいの知識を身に付けなければならなかったが、犬飼と一緒に居る時間を作る為だと考えれば、何とか頑張ることが出来ました。
この迷宮学園は、私にとっての理想郷となる予定なのです。
犬飼と共に甘々ラブラブイチャイチャな学園生活を送り、そして誰も私という絶対権力に逆らえない。そんな理想郷です。
と、学園長に指定された廊下で私が思いを馳せていると、不意に一人の男子生徒が歩いて来た。
とっくに遅刻だというのに、それが当たり前であるような不遜な立ち姿、どこか生意気そうな目つきの悪さ、ボサボサの黒髪……、間違いなく犬飼だった。
心臓がドキリと高鳴る。
この一年間、私は多忙を極めていた為、犬飼とは会っていなかった。フラれたことが気まずくて避けていたとも言う。
でも、私はこんなにも変われたのだ。今なら、きっと犬飼と向き合えます。
すーはーと深呼吸をしてから、私はこちらに歩いてくる犬飼に声を掛ける。
「まったく、遅刻ですよ。犬飼」
「え、ああ……、すみません……?」
犬飼は不思議そうに小首を傾げて私を見やるのでした。
それはまあ、一年も経っていますから。そんな反応にもなることでしょう。
ふふ、きっと私だと気づけば、その変わりように驚くことでしょうね。
「私は今日から迷宮学園に新任した、桃辻すももです。よろしくお願いします」
私は悪戯でもするように、口角を上げて言った。
「あー、そうなんですか。えっと、俺は犬飼与一です」
知っていますとも。私の大好きな人ですから。私はこの約一年間、一日たりとも犬飼のことを考えなかった日はありません。
さて、私が桃辻だと知った犬飼の反応はどうでしょうか。
見違えた、可愛くなった、美人になった……、そんな言葉を期待せずにはいられません。
「……」
じっと犬飼の反応を窺う私。見れば見る程、少し成長した彼もカッコ良かった。えへへ。
「ん、えーっと、それじゃ、俺は行くんで……」
「はい! ……………………は?」
私の横を通り抜けて、後姿を見せる犬飼。
そんな無反応な態度は、さすがの私にも意味が分からなかった。
「待ってください、犬飼! 私ですよ! 桃辻すももです!」
「え、ああ、さっき聞きましたけど……?」
「じゃあ何ですか!? その態度は!?」
「ん、いや、何ですかって言われてもなぁ……」
しぶしぶといった感じで私に向き直る犬飼。そして、私の姿をじっと見つめる。
そうです、そうです。よく見なさい。今の私の姿を。
「犬飼、思い出しましたか?」
「いや思い出すって、いったい何を……」
どうして!? どうして私だと気づかないのですか!? 桃辻すももですよ! 気づいてください!
もう! 誰の為に、私はこんなにも変わったと思って……
えっとぉ……、あれ……?
何かに思い至り、少し冷静になって考えてみる私。これって、もしかして――私、変わり過ぎてしまったのでは!? しまった!? やり過ぎました!?
およそ一年前の私とあまりにも違い過ぎて、犬飼が気づいてくれません!? こ、この状況は想定外です……!?
と、とにかく、犬飼に事情を伝えて、私のことを思い出してもらわないと……!
「犬飼! わ、私は――」
「……はい?」
「いえ。その、何でもないです」
「??? ……そうですか……?」
待ってください。よく考えたら、これは私にとって都合が良い展開なのでは?
犬飼は桃辻という過去の私を覚えていない。
もしくは、過去の私とは情報が繋がらず、別人だと思っているはず。
ということは、私がフラれたという事実を抹消出来るということでもあります。
初対面のフリをすれば、犬飼と私はゼロから関係を構築出来る。……つまり、可愛くなった今の姿だけで、勝負が出来るということです。
「ふむ……」
「あ、あのー、桃辻先生……?」
フリーズした私を見て、犬飼が怪訝そうに声を掛けてきた。
「犬飼。私のことは、是非すももちゃんと呼んでください」
「いやいや、いきなり何を言い出すんですか。しかも、先生をちゃん付けって……」
「親愛の証なのですよ。こんな出会いをしたのも、きっと何かの縁です」
「いや、でもなぁ……じゃ、じゃあ、せめて“すもも先生”で……」
若干のぎこちなさを滲ませながら、犬飼がそう言った。
すもも先生、ですか。犬飼にそう呼ばれるのも、悪くはないですね。今はこれで勘弁してあげましょう。
それに、桃辻先生の呼び方では、いつか過去の私を思い出してしまうかもしれません。
だったら、すもも先生という呼称で妥協してあげましょう。
そうなると、私が『ラビリンス』の運営委員であること、それにSランクであることは黙っていた方がいいですね。とにかく、過去の情報とは遮断しなくては。
『ラビリンス』のSランク運営であることは、タイミングを見て伝えるとしましょう。
「これからよろしくお願いしますね、犬飼」
「ああ、はい。よろしくお願いします、すもも先生」
やや困惑気味の犬飼を見ていると、私は少しおかしくなって笑ってしまった。
訝しそうに私を見やる犬飼。でも、この気持ちは、私だけの秘密なのですよ。
――これが、私と犬飼の“初めての出会い”だった。
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