五章 過去の私
――そんな非日常を過ごす、ある日のこと。
この日は、新規のデスゲームを進行するディーラー業務があった。
いつものようにスリーパーくんという鎧を纏い、私はデスゲームの本会場へと向かう。
冷たく無機質なコンクリートの壁と、重く堅牢な扉。
暗く薄汚れた狭い部屋に、囚人でも閉じ込めるような牢屋がいくつも並んでいる。
その牢屋の外にあるメインスペースに、九人の男女が不安そうな表情を浮かべて立ち尽くしていた。
そして……
「ようこそ、『ラビリンス』へ! これからあなた方には、運命のデスゲームをしてもらいます!」
そう、ゲームの始まりを告げる決まり文句をディーラーが言い放った。
黒スーツに仮面姿というお決まりの正装だったが、それは間違いなく犬飼の声だった。
これはマズいです……、困りました……
まさか、デスゲームの進行役が犬飼と被るなんて。
普段の私と違い、スリーパーくんを纏った私は性格が悪過ぎるのです。
これは私自身が制御できるものではなく、心の奥底に眠るもう一人の私の魂の叫び。
もはや押さえていても反射的に飛び出てしまう私の本性だった。
そんな普段とは違う私の言動を、もし犬飼に見られてしまったら……
いや待つのです。
今の私はスリーパーくんなのですよ。着ぐるみを着ていれば、犬飼に正体がバレることは無いはず。しかも、普段の私とは性格がかけ離れている。ならば、余計に私の存在に気づかれる可能性は低いはずです。
そんなことに思い至り、私はほっと胸を撫でおろす。
犬飼に正体がバレないのであれば、いつも通りにしていればいいではないか。
そう考えて、私はいつも通りにスリーパーくんに心を委ねるのだった。
「なーにがデスゲームだ! ふざけやがって! 俺たちを解放しろ!」
「残念ですが、それは出来ません。この世界の絶対ルールはお金です。返せない借金を負ってしまった貴方には、もう命を賭けてもらう他ないのです」
「な、なんだと!? この野郎……!?」
「おっと、暴力はいけません。おとなしくしていた方が身の為ですよ」
私がゲーム進行に意識を戻すと、ディーラーに反発するプレイヤーの姿があった。もはや、それはデスゲームの風物詩であると言えよう。
この後、逆上したプレイヤーが暴れ始めるので、それを制裁するのが私の役目です。
出て行くタイミングを伺いつつ、じっと私はその光景を観察する。
「ざっけんじゃねぇ! だったら、ここで命賭けてやるよ!!!!」
怒りを露わにした体躯のいい男性が叫んだ。
犬飼に近づきつつ、ポケットから何かを取り出す。折り畳まれたソレを広げ、身体の前で構えた。刃先が銀色に光るソレは、紛れもなくバタフライナイフでした。
「んっ……!?」
と、思わず動揺の声を上げる犬飼。しかし、それも当然でしょう。デスゲームのプレイヤーたちは、事前に運営委員によってボディチェックを受けているはず。
通常、刃物などの危険物をゲームに持ち込むことは出来ない。おそらく、担当運営の見落としがあったのでしょう。
「ふははははは! ぶっ殺してやるぜ! 死に晒せぇええええええ!!!!」
男性プレイヤーが、そう叫びながらナイフを突き立てる。
その気迫に圧され、半歩ばかり足を下げる犬飼。
……やれやれ、“僕”の出番ですね。
『キャハハハ! そんな危ないものを振り回しちゃダメじゃないか!』
ナイフを持ったプレイヤーと犬飼の間に躍り出て、私はその刃を身体で受け止める。
当然ですが、スリーパーくんはデスゲームで使うように設計されている着ぐるみです。
この程度のナイフなど、中に入っている私まで届くはずも無いのですよ。
「な、なんだよ!? こいつは!?」
その突然のことに、目を丸くして驚く男性プレイヤー。
『僕は“迷える子羊のスリーパーくん”だよ! キミみたいな悪い子を制裁するのが僕の役目なんだ! ここでの暴力行為は絶対にダメだよ! ルールを破るプレイヤーは、僕がぶっ殺しちゃうからね!』
「くっ、さっきから何なんだよ!? どいつもこいつも、ふざけたこと抜かしやがって!」
『キャハハハ! ふざけているのはキミの方だよね! 刃物を人に向けちゃいけないなんて、小さい子供でも知っていることだよ!』
ぶっ殺すなどと発言しておきながら、刃物を人に向けるなと説教を垂れるスリーパーくんだったが、これも愛嬌なのです。
「クソがッ! だったら、テメェから殺してやるよ!!!!」
再びナイフを突き立てる男性プレイヤーだった。
でも、もう遅い。
『キャハハハ!!!! スリーパーくん、ぱーんち!!!!』
「ぶっぐはぁっ!?!?!?」
渾身の力を込めて、日々の鬱憤とストレスを乗せた右ストレートを放った。
もこもこの右手は、男性の腹を抉るようにして衝撃を伝える。
そのプレイヤーの身体は、軽く二メートルくらい後方にふっ飛んだのでした。
『これでトドメだ! 必殺、ドラゴンスリーパー!!!!』
「んぎゃあああ!?」
最後にフィニッシュホールドを決めて、私はプレイヤーの意識を刈り取った。
んん~、気持ちぃいいい~! やっぱ堪りませんね、これ!
ふぅ、気分がスッキリしました。これだから、スリーパーくんはやめられないです。
「あー……、えっと……ルールを破ったプレイヤーには、こんな風にスリーパーくんの制裁があるので、気を付けてください……」
少しだけ震えた声で、犬飼がそんな忠告をするのでした。
◇
デスゲーム終了後。
私は大急ぎで更衣室に向かい、スリーパーくんを脱ぎ捨てて、何食わぬ顔で控室に戻って来ていた。
犬飼にスリーパーくんの正体がバレるわけにはいきませんからね。
普段とキャラが違い過ぎて、さすがに恥ずかしいですし……
暫くすると、脱いだスーツの上着を片手に持った犬飼が控室に入って来る。
いつも通りを心掛け、私は何気なく犬飼に話しかけた。
「お疲れ様です、犬飼」
「ああ、桃辻さん。お疲れ様です。さっきは、ありがとうございました。ホント助かりましたよ」
「……………………さ、さっき、とは?」
「ほら、ナイフを持ったプレイヤーが暴走して、俺が襲われそうになった時ですよ!」
などと、興奮気味にそんなことを言う犬飼だった。
や、ヤバい!? バレてるじゃないですか!? どどどどうしてぇ!?
「えーっと、そのー、な、何のことでしょう?」
「ん、だから、さっき助けてくれたことですよ。ありがとうございました!」
はい、ダメでした。もう誤魔化しの効かない段階で犬飼は確信しているようです。
ここから巻き返すのは、もはや無理そうでした。
「あの、犬飼。どうしてスリーパーくんの着ぐるみが私だと……?」
「いやー、何となくですかね? 特にそれらしい理由は無いけど、普通に気づきましたよ?」
お、終わった……。特に理由も無く正体がバレてしまいました……
あのスリーパーくんの性格はさすがに無い。性格がクズ過ぎる。
そんな私の一面が犬飼にバレたのだ。これはもう、嫌われたに違いないです。
ど、どうにかして、言い訳を……
「その、さ、さっきのは本当の私じゃないというか……」
「桃辻さん、めっちゃカッコ良かったですよ! 普段はおとなしいのに、あんな鋭いパンチ繰り出せるんですね! 尊敬しますよ、マジで!」
と、犬飼は謎のシャドーボクシングをしながら、テンション高めで言うのだった。
「え、でも、性格悪かったでしょ? あんなの見られて恥ずかしかったというか……」
「いえ、普段とのギャップがあって良いと思いますけどね。控えめに言って最高でした」
犬飼に引かれるどころか、逆に好感度が上がっているかのような雰囲気だった。
いやいや、私は騙されませんからね。
「い、犬飼は……どうして、そんなにあっちの私を評価してくれるのですか?」
「うーん、そこはやっぱり人間らしく、色んな仮面を付けていた方が魅力的というか…… ほら、俺の担当プレイヤーが素直過ぎて困ってるって話を、以前したじゃないですか。まあ、それも良さではあるんですけど、裏を知れた方が安心して接することが出来る気がするんですよね」
なんて、思い思いに語る犬飼。そして、結論らしいことを口にするのだった。
「たった一面だけ見ていても、その人を知ったことにはならないですよね。裏も表もひっくるめて、桃辻さんの良さなんだと俺は思いますよ」
「え、あ……そ、そうですか……! それは、ありがとうございます……?」
まさか、スリーパーくんの私すら褒められるとは思っていなかった。
それだけに、ちょっと不意打ちでした。思わずお礼を言ってしまう程に。
私は顔が暑くなるのを感じて、咄嗟に視線を逸らした。
あんな私の性格でさえも、肯定してくれる人が居るなんて……
「で、では……、私はこれで……! し、失礼します……っ!」
「ああ、はい」
緊張で上擦った声を響かせ、私は情けなく控室から逃げ出しました。
廊下をつかつかと早歩きで進み続ける私。
これ以上、犬飼に醜態を晒すわけにはいかなかったのです。
だって……
――この時、私は自覚してしまったのだった。犬飼に惹かれ、好意を抱いていることを。
その後も、日に日に犬飼への想いは、私の中で大きく肥大化していく一方だった。
ふとした瞬間に、犬飼の存在が脳裏を過る日々。
無理に忘れようとしても、逆に意識してしまって悶々とするのでした。
どうして、私があんな捻くれ者のことを……って、それは私も似た者同士でしたね。
しかし、そんな日々を過ごし続けるのにも限界がある。
それに私の精神衛生上、あまり良くは無いでしょう。正直、ここのところあまり寝られていませんでしたし。
やがて、私は意を決して、犬飼に気持ちをぶつける覚悟をしたのだった。
そこからの行動は早かった。
心を決めた翌日、私は犬飼を呼びつけて、愛の告白をしたのでした。
「犬飼! 私はあなたのことが、す、好きです! お付き合いをしてください!」
そう、私は恥ずかしいくらいにストレートな気持ちをぶつけた。
そして、彼の返事は……
「すみません。その気持ちには、答えられそうに無いです」
フラれた。
それはもう、ばっさりと。
犬飼は「他に好きな人が居て」とか「今はSランク運営を目指しているから」などと言っていた気がするが、ショックであまり覚えていない。
その日以降、私は三日間も傷心で寝込んだ。
いっぱい泣いた。
そして、涙も枯れた頃、私はとある決心を固めていたのでした。
今よりも、もっと可愛くなろう。美しくなろう。そして、誰よりも強くなろう、と。
どれだけの時間が掛かっても、犬飼をきっと振り向かせてみせる。
そんな決心をしたのだった。
それに、よくよく考えてみれば、私がフラれたのは当たり前のことでした。
地味で根暗で、自信も愛嬌も持ち合わせていないような女に好かれて、犬飼が嬉しいはずなど無かったのです。
だから、私は自信を持てるくらいに、自分自身という存在を変える必要があった。
そうして、私は一心不乱に、自分を磨く努力に励み続けるのでした。
またいつか、犬飼に二回目の告白をする為に。
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