五章 過去の私
――これは、今より一年と数ヶ月くらい前のこと。
例えば、ネットの中でだけ本当の自分をさらけ出せる人たちが居る。
私も同じだ。
誰にも実際の自分の姿を見られないから、素の自分を出せる。
ただ、私にとってのソレは、“スリーパーくん”という着ぐるみの中だった。
もこもこの毛並み、ふわふわな胴体、頭にはぐるりと曲がった特徴的で大きな角。
黒塗りの瞳に、張り付いた笑顔の羊をモチーフにした、どこか不気味な形相。
それこそが、『ラビリンス』のマスコットキャラ――“迷える子羊のスリーパーくん”。
私はそんなスリーパーくんが好きです。
特に、どこか不気味な形相というのが、地味で弱気で陰気な私に似ていて、シンパシーすら感じる。
『ラビリンス』の女性運営委員はバニーガールの格好でディーラーをするのが普通なのだが、本人の希望があればスリーパーくんの着ぐるみで代用することが可能だった。
当然、私は迷うことなく着ぐるみを選んだ。
バニーガールの格好など、私に似合うはずが無いのですよ。
とはいえ、自信も度胸も無いような根暗で引っ込み思案な私のことなど、誰が見てくれるわけでも無かったのですが……
こんな性格なので、当たり前のように私は他人との接点など殆ど無かった。
日々の溜まった鬱憤やストレスを、スリーパーくんの中に入って、デスゲームのプレイヤーたちを制裁することで発散するような日常を送っていた。
ちなみに、私が『ラビリンス』に所属しているのにも深い理由なんて無い。
単純な話だ。
桃辻の家系が代々『ラビリンス』の運営委員として所属していたから、私も幼少の頃からデスゲームの英才教育を施され、何の疑問も無く運営委員として働いている。
それだけのこと。本当にそれだけの理由だったので、別に運営委員の仕事にモチベーションがあったわけでもない。
その証拠に、私は未だBランク運営という“桃辻”にしては低い地位に居た。しかし、それを誰が咎めることもない。
そんな、ただ生きるために生きるような、無気力な日々を私は送り続けている。
この退屈な日々は永遠に続くのかもしれない。私はそう思っていた。
――そう、この日までは。
私が『ラビリンス』運営本部に出向き、仕事の過程で廊下を歩いていた時のこと。
「……っと、あ! ちょっと聞いても良いですか!?」
「…………」
「あのー、すみません。聞こえていますか……?」
「……えっと。私、ですか?」
私が振り返ると、そこには男性……と表現するには若過ぎる男の子が居た。
随分と年下に見えるが、紛れもなく『ラビリンス』製のスーツを纏っていた。
この歳で運営委員ということは、さぞかし優秀なのでしょうね。私と違って。
しかし、何というか……、見た目の若々しさにしては目つきが悪い。髪が跳ねてボサボサで、とても生意気そうな顔をしていた。
あと、普段話しかけられることなんて無かったものだから、つい反応に遅れてしまった。
他の話しかけやすそうな人にでも聞けばいいのに、と思って周囲を見渡したが、廊下に居たのは私だけの様子だった。なるほどです。
「あの、デスゲームで使われる道具の倉庫って、どこにありますかね? ここの会場は初めてで、場所が分からなくて……」
その男の子が何気なく私に問いかける。
「えっと、その、備品倉庫、ですよね。でも、あれは別の人が担当だったはずですが……」
他人との会話なんて久しぶりだったので、自分の声が出るか不安だったが、死にかけの細い声くらいはかろうじて出すことが出来た。
「あー、なんかの不具合があったらしくて、予備のダイスが必要になったんですよね。んで、俺が代わりに取ってくるように言われたんです」
「そうでしたか。備品倉庫は、突き当りを右に進んだ先ですよ」
「ありがとうございます。助かりました……!」
私が説明すると、彼は短く礼を述べて、すぐさま倉庫へと向かっていった。
それにしても、ダイスに不具合などあり得るのでしょうか……?
命を扱うデスゲームで、道具の不具合は致命傷になり得る。徹底された管理がされているはずですが……でもまあ、偶にはそういうこともあるのでしょうね。
私はあまり気に留めることもせず、自分の仕事に戻った。
――ちなみに、彼がデスゲームに不正介入していたと知るのは、まだ先のことです。
その後、暫くの時間が経った。四~五時間くらいだろうか。
この日の業務は、担当プレイヤーをデスゲーム本会場まで送る案内人の仕事だった。
無事にプレイヤーを送った後、私たち運営委員は控室で待機。
もし、担当プレイヤーが存命であれば、ゲーム後にも案内人の役割があるのです。
無機質な白い部屋で長椅子に座りながら、私は部屋に備え付けられた巨大複合ディスプレイをぼーっと眺める。
今まさに行われているデスゲームが、リアルタイムで映されているのだった。
然したる興味も無かったが、他にすることも無かったので、ぼんやりとディスプレイを眺め続ける私。
すると、
「あ、さっきの……」
視界の隅で、数時間前に見た覚えのある男の子が佇んでいた。
「どうも」
私に関わるな、という意味を込めて素っ気なく言ったつもりだったのだが、何を思ったのか、その男の子は私の隣に腰掛けて会話を続けるのだった。
「さっきはマジで助かりました。急いでたんで、満足にお礼も言えずにすみません。命の恩人なのに……」
「そんな、大袈裟ですよ」
「いえいえ、そんなこと無いですって」
と、男の子は食い入るようにディスプレイを見ながら言った。画面の中では、赤毛の女の子がダイスを振っている姿が映っていましたが、そんなに気になるのでしょうか。
「やれやれ、素直過ぎるのも考え物だな。はぁ……」
ボソッと呟いて、深く溜息を吐く男の子。何故か彼から酷い気苦労を感じるのだった。
「どうかしたのですか?」
普段の私ならば適当に話を切り上げて立ち去るところなのだろうが、やることもなく暇だったので彼の話を聞いてみることにした。
「あいつ、俺の担当プレイヤーなんですけど、純真無垢というかバカ正直な性格で、デスゲームに向いてないんですよね」
「あの赤毛のショートカットで活発そうな子ですよね。にしては、上手く立ち回っている様子ですけど?」
ディスプレイの向こう側を見つめ、私はそう言った。
「今までは運良く上手くいっただけですよ。でも、この先はどうなるか分かんねぇし……」
「何故、そんなに彼女のことを気にするのですか?」
「あいつをデスゲームから救――いえ、あいつがデスゲームで勝ち上がってくれれば、俺の昇格にも繋がりますからね。俺なんて、まだFランクですから」
おや、まだFランクでしたか。ということは、きっとまだ新人なのでしょう。
若くして高ランクという存在も『ラビリンス』組織では珍しくないのですが、この男の子には関係なかったようです。
「まあ、考え方次第でしょう。彼女が素直過ぎるのであれば、きっとそれも強力な武器になりますよ」
「? それ、どういう意味ですか?」
「デスゲームで勝ち続ければ、それだけプレイヤーの疑心暗鬼は膨れ上がります。他人とは鏡なのですよ。相手の裏をかこうと思えば、その相手も自分の裏をかこうとしているのではないかと疑い始める。しかし、正直者であれば、物事を素直に正しく見ることが出来る。そういうものです」
「あー、なるほど……そういう考えも出来るのか……」
と、男の子は真剣そうな表情で俯いた。
一方で、私は柄にもなく持論を語ってしまったことを自覚して、少しばかり恥ずかしい気持ちになっていた。
彼と話していると、どこか調子が狂う。普段通りの自分で居られない。……なんて、そんなことを感じるのでした。
「っと、急用を思い出しました。外させてもらいますね」
立ち上がり、私は逃げるようにして控室の出入り口の方へと足を向けた。
これ以上、彼と関わるべきではないと、そう思ったのでした。
「あの、最後に名前だけ聞いてもいいですかね? あ、俺は犬飼っていいます」
と、犬飼と名乗った彼から、背中越しに問いを投げかけられる。
まあ、それくらいなら構わないでしょう。私は振り返り、彼に向かって言った。
「桃辻です。所属ランクは……、え、Fランクです。それでは、またどこかで」
大慌てで控室の扉に手を掛け、今度こそ本当に逃げ出した私。
自分でも意味が分かりませんでした。
名前だけで良かったのに、自分のランクまで……、しかも、Fランクという嘘まで伝える始末。
何故だか彼から遠い存在になりたくなくて、咄嗟にそんな嘘が出たのでした。
もしかしたら、久しぶりに話し相手が出来てテンションが上がってしまったのかも知れません……
ほ、本当に意味が分かりませんね! やはり、彼と居ると調子が狂うようです……!
◇
それからというもの、犬飼とは度々同じデスゲーム会場で会うことが増えた。
お互いの担当プレイヤーが順調に勝ち上がっているからだ。
そして、犬飼と会う度に、私たちは何気ない雑談に花を咲かせるのだった。まさか、私にこんな話し相手が出来ようとは、努々思いもしなかったのでした。
そんな中で、私は犬飼という人物像を徐々に捉えることになる。
捻くれ者で狡猾。怠惰な天邪鬼。偏屈のロクでなし。かと思えば、よく分からないところで妙な正義感がある。
と、私から見た犬飼の印象はそんなところでした。
デスゲーム運営なんて性格のねじくれた人ばかりですが、その中でも犬飼は異質だった。
特に、担当プレイヤーへの入れ込み具合が。
担当をしているとはいえ、そのプレイヤーなど所詮は赤の他人。
しかし、犬飼は自分の担当プレイヤーとは、誰よりも真摯に向き合う姿勢を見せたのでした。……普段はあれだけ不真面目なくせに。
でも、そんなところがちょっと良いなと思ったり……したのは気のせいでしょうね。
ですが、犬飼という人物に興味が湧いたのは言うまでもないでしょう。
次第に惹かれていくこの感情は、彼への興味で間違いないはずなのです。
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