四章 疑似デスゲームとすもも色デート

「さてと、次に向かうのは――」

「な……ッ!? すもも先生、ちょっとストップです! 待ってください!」


 先を行くすもも先生の手を取り、急な方向転換を図る俺。

 すると、あたふたとすもも先生が緊張したように口を開いた。


「ど、どうしたのですか、犬飼……? 不意打ちで手など握られると、キュンと……は違くて、びっくりするではないですか!」

「んなことより、さっき向こう側にクラスメイトのグループが居たんですよ! ど、どうにか、身を隠さないと……!」

「なんだ、そんなことですか。イチャイチャとデートしている既成事実くらい見せつけてあげればいいじゃないですか。私は構いませんよ」

「俺は構うんですよ!? 教師とデートしてるのがばれて噂になるのとか、学校という閉鎖空間では世間体が非常に悪いんですって!」


 などと説明しながら、俺はすもも先生の手を引いたまま、クラスメイトたちとは逆方向に進んでいく。

 しかし、不意にすもも先生が足を止めて、別の方向を指さして言った。


「でしたら、いっそショッピングモールから出てしまいましょう。その方が安全ですよ」

「え、でもデートはいいんですか?」

「はい、いいのですよ。私は十分に楽しみましたし。それに、もし上手くいけば……」

「んん……? なんか言いましたか?」


 雑踏の中に、小さく溶けていったすもも先生の言葉を聞き返す俺。


「いえ、何でもないです。それより、先を急ぎましょう」

「そうですね。行きましょうか」


 ということで、俺とすもも先生はショッピングモールを後にして、建物の外へと脱出したのだった。


   ◇


「ふぅ、なんとか逃げ切れましたね……」


 息も絶え絶え、俺たちはショッピングモールから出てから、細い路地裏で足を止めたのだった。

 ふーっ、ここまで来れば、クラスメイトたちに見つかる心配も無いだろうな……


「残念ですが、犬飼。後ろを振り返ってみてください」

「え……?」


 言われた通りに振り返ると、そこには先程のクラスメイトたちがぞろぞろと歩いてこっち側に来ているのが分かった。

 う、嘘だろ……!? しっかり、場面転換までしたのに!?


 その楽しげな雰囲気のグループからは、「本当に食堂なんてあるのか?」とか「隠れた名店がこの先にあるんだよ!」とか「スカルジャックって店名だっけ?」とかの会話が聞こえてくる。

 クソッ、学園生なら素直にサイゼでも行ってろよ……! つーか、最後のは店じゃなくてデスゲームの名前だろ。たぶん、殺し屋専用のその店は実在しないからな。


「こうなっては仕方ありませんね。犬飼、こっちに逃げましょう」

「え……、ど、どこまで行くんですか……?」

「向こう側にある建物です。いいから、付いて来てください」

「あの、ちょ、すもも先生……ッ!? その先は……!?」


 すもも先生に腕を引かれて、路地裏のさらに奥へと連行される俺。

 そして、とある建物の出入り口まで辿り着いたのだった。

 が……


「彼らもここまでは来られないでしょう。この建物に入れば、絶対に安全です」

「あの、すもも先生……? ここって……、いわゆるラブホテルですよね?」


 見上げる建物は、妖艶なネオンライトに彩られた大人デートの最終着点。

 そう、愛の巣くうホテルであった。


「背に腹は代えられないでしょう。ちょっと部屋に入るだけですよ」

「すもも先生!? 俺、高校生なんですけど!? ここは色々と問題がありますよ!?」

「バレなきゃ問題ありませんよ」

「バレたら問題ってことじゃないですか!? “NGワード試験”とは関係ないところで退学になっちゃいますよ!?」


 こんなゲーム外で退学にでもなったら、多方面に顔向け出来なくなるんだが!?


「とにかく、一度部屋に入りましょう。出入り口で騒いでいたら、さすがに気づかれますよ」

「そりゃそうかもしれませんけど……!」

「こんな言い訳も出来ないところでクラスメイトに見られるよりは、部屋に入ってやり過ごした方が幾分か良いのではないですか?」

「んー、まあ、それは……」


 非常に残念なことだが、何も言い返せないな。まんまと罠に嵌められた感が凄いが。

 そんなこんなで俺はすもも先生に言いくるめられて、大人の階段(物理)を上らされることになったのだった。


 なんやかんやあって、俺たちは部屋に到着。

 目に映るのはキングサイズのベッドやオシャレなテーブル、ソファなどなど……

 ぱっと見は普通のビジネスホテルのようだったが、やはり随所随所でとてもアダルティなアイテムが配置されていた。あと、なんか色が派手だな。


「ふむ、ラブを感じますね」

「ったく、俺は常々説いているんですよ。愛や恋なんてものは、依存と執着の錯覚であると。そんなものは空想や幻想でしかないんですよ」

「はいはい。ところでお風呂、一緒に入りますか?」

「さっきの俺の話、スルーしないでくださいよ……」


 俺が言うと、すもも先生はバッグをソファに放り、ボフッとベッドに身体を預けて横たわった。

 いったい、どういうことなのやら……

 今の話ではなく、過程の話だ。

 すもも先生は、どうして俺にこうまでするのだろうか。


「犬飼。難しく考えることなどありません。今この場所には、私と犬飼しか居ないのですよ。ここに居ることは絶対に二人だけの秘密です。それなら、楽しんだ方がお得だと思いませんか?」


 妖艶に微笑むすもも先生が、ベッドの上から俺を見つめてくる。


「はぁ……、ハニートラップになんて乗りませんから! もう少し時間が経ったら、ここから出て行きますよ!」

「む、ここまでお膳立てしているのに、手を出してこないとは……、そんなに魅力ありませんかね、私……?」

「いやまあ、そういうわけじゃないですけど……」


 前で腕を組み、大きめの胸を持ち上げながら、むすぅっとむくれるすもも先生。

 そういうところは可愛いと思うんですけどね。まあ、俺にも色々あるっつーことで。


「するとやはり……、あの頃から犬飼の時間は止まったままなのですね」

「ん? それは、どういう……?」


 俺が聞き返すと、すもも先生は一気に身体を起こし、その場に立ち上がる。

 そして、ソファに放ったバッグを回収し、財布を取り出すのだった。


「今日のデートはとても楽しかったです。けれど、最後に一カ所だけ、犬飼と一緒に行っておきたい場所があります」

「えっと、どうしたんですか、急に……。それに、すもも先生が行きたい場所って……?」


 態度が一変して、真剣そうな表情を浮かべるすもも先生に、俺は面食らいながら問うた。

 すると、意外な言葉が返ってくる。


「デートで行くにしては、とても無粋なところですよ」


 そう言って、すもも先生は部屋を出る準備をしたのだった。


   ◇


 その後、タクシーで揺られること暫く。

 車の中での会話なども程々に、俺たちは目的地への到着を静かに待った。


 陽が傾き始めた頃。

 やがてタクシーが止まると、辿り着いた場所はどこか見覚えのある、今にも崩れそうなくらいに古びた廃墟だった。

 すもも先生は運転手に代金を支払うと、「こっちよ」と言って、俺を廃墟の中まで引っ張って行くのだった。


 その建物に足を踏み入れると、人工的な光が瞬時に辺りを照らした。浮かび上がったのは、外装とは似ても似つかない程、壁も床も綺麗で頑丈そうな廊下だった。

 いつでも使えるよう、定期的に手入れされているらしいことが伺える。外側はこの場所を隠す為のカモフラージュのようだった。


 そんな建物の廊下を奥へ進んでいると、開いた扉から広い空間に出る。すると、先行していたすもも先生が俺に振り返った。


「犬飼。覚えていますか、この場所のことを……」


 と、真剣な眼差しで俺を見つめるすもも先生。


「ええ、もちろん覚えてますよ。ホントはマジで忘れたいくらいなんですけどね」


 閉じられた記憶の扉が開き、鮮明にあの日のことを思い出す。

 床に視線を落としても、彼女の赫い痕跡は綺麗さっぱり消え去っていた。まあ、残っていても困るのだが、それでも少し寂しく感じる。


「以前、犬飼のことは調べさせてもらいました。ずっと、違和感がありましたので」

「違和感、ですか……?」

「これまで幾度となく私がアプローチをかけ、ホテルであれだけのことをしても犬飼は靡かなかった。ましてや、周りにあれだけ可愛い子たちが居ても、誰にも手を出そうとしない始末です。それには、何か理由があるのかと思いまして」

「なるほど、そういう意味ですか……」


 それで、すもも先生は俺のことを調べたのか。

 でもまあ、別に隠している話でも無かったんだけどな。ただ、言い触らすような事じゃなかったから、敢えて俺から言わなかっただけで。

 すもも先生は辺りを見渡し、傷口に触れるような慎重さで口を開いた。


「ここで、死んだのですよね。白崎厘さんは……」


 言って、俺をじっと見つめるすもも先生。

 そう、ここは『ラビリンス』のデスゲームで使用した施設だった。

 随分と前に、俺も厘と一緒にここでゲームに挑んだ。んで、あいつは死んだ。

 その瞬間から、俺の時間は止まったままだ。


 ったく、俺、こういうシリアスな展開苦手なんだけどなぁ……

 今さら深刻ぶっても仕方ないだろう。あいつが帰ってくるわけでもあるまいし。

 ……まあ、復讐の話とは別だが。


「そうですね。ここで、あいつは死にました。『ラビリンス』のデスゲームで」

「好き、だったのですよね……? 彼女のこと」


 少しだけ、優しそうな表情で俺に問うすもも先生。


「まあ、改めてこういうこと言うの恥ずかしいんですけど……、俺の初恋相手でした。まさか、俺みたいなやつが誰かを好きになるとは思いませんでしたけどね」

「やはり、そうでしたか……」


 すもも先生は深くゆっくり頷くと、何気なく視線を床に移した。

 つられて俺も下を向いたが、やはりそこに厘の痕跡は残っていない。

 かつて見た、燃えるような赫は、綺麗さっぱり無機質で冷たそうな黒に戻っていた。


「もし……」


 不意に、すもも先生がぱっと顔を上げた。真っ直ぐ真剣な瞳で俺を見やる。


「もしも、彼女の死に関して、まだ続きの話があるのだとしたら……、犬飼はきっと白崎厘さんの幻影を追い続けるのでしょうね」

「えっ……?」


 その突然の話に、俺の思考は追い付かなかった。

 すもも先生は、いったい何を言っているんだ? 厘の死の続きって……?

 そう、俺は視線を向けて問いかける。

 すると、すもも先生は続けた。


「私はSランク運営ですから。『ラビリンス』組織の様々なデータにアクセス出来る権利があります。だから、白崎厘さんの存在に辿り着けた。そして、犬飼も知らない事実にも触れることになったのですよ」

「俺の知らない事実……!? 厘が死んだ後、いったい何があったって言うんですか!? すもも先生は、いったい何を知ったんですか!?」

「犬飼。一度、落ち着きなさい」


 気づくと俺は前のめりになり、声を荒げてすもも先生の肩を掴んでいた。

 ああ、我ながら冷静さを失ってるな……

 俺は「すみません……」と、短く謝罪の言葉を述べて、すもも先生から手を放した。

 ……らしくねぇな。まったく。


「私は犬飼のことが好きです。でも、犬飼が白崎厘さんのことを忘れない限り、思い描く理想は訪れない」

「それは、そうかもしれませんけど……」


 言い淀む俺。でも、俺が厘のことを忘れるなんて、ありえないことだ。


「それでも、私は理想を追います。もし、白崎厘さんの幻影を追いたいのであれば、私に“NGワード試験”で勝つことです。犬飼がゲームに勝てば、私は知っていることを全て伝えましょう。しかし、犬飼が負けたら、この情報は二度と手に入りません。……彼女のことも、忘れて生きてください」


 ドクドクと鼓動する俺の心臓を射抜くように、鋭い視線を向けられる。

 この“NGワード試験”に、疾うに失った厘の命を賭けろ、と。そう、すもも先生は言っているのだった。


「すもも先生は、本気なんですよね……?」

「はい、もちろんです。それに、犬飼への気持ちも、本気ですからね」


 口角は吊り上がって茶化すように、でも瞳だけは真剣に俺の反応を窺っていた。

 これだけ言われたら、勝負に乗るしかねぇよな……


「分かりました。俺は“NGワード試験”に勝って、厘の死を追います」

「ふふ。では、私はゲームに勝って、彼女のことを忘れさせてあげましょう」


 すもも先生は、不敵且つ優しそうに笑ってみせた。

 それを見て、俺も覚悟を決める。

 俺の中に居続ける、厘の存在は消させやしないと。


 こうして、因縁の地にて、俺は再び厘の命を借りることになった。

 そして“NGワード試験”は、さらに負けられないゲームへと昇華したのだった。

 それと……、あの頃から止まっていた俺の時間が、少しだけ動き出した気がした。


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