二章 テストと鉛筆サイコロは友達みたいなところあるよね
◇
帰宅後。
『ラビリンス』寮での俺の自室。
そこでは、いつになく静かな時間が流れていた。カリカリと、ノートにシャーペンの走る音だけが聞こえてくる。
「…………」
「…………」
と、成り行きで俺と同棲している同居人の未来は、机に齧りつき、いつになく真剣な表情で勉学に励んでいるのだった。感心、感心。
しかし、時計の針は既に夜七時を回っている。そろそろ晩飯時なのだが、未来はそれにさえ気づいてはいない様子。
普段ならば俺に餌付けするべく、制服エプロンという素敵装備でキッチンに立つ未来なのだが、せっかく勉強に集中しているのであれば、それを邪魔することもあるまい。
だったら、今日くらいは俺が夕飯を準備するかな。とはいえ、俺に料理スキルなど無いので、コンビニ弁当を買ってくることくらいしか出来ないのだが。
未来の邪魔をしないように、ゆっくりと立ち上がる俺。
しかし、不意にピンポーンというチャイムの音が部屋に鳴り響いた。やれやれ、誰だか知らないが空気の読めない来訪者だ。
「俺が出るよ」
「ええ、お願い……」
生返事で答える未来。良かった。まだ集中しているみたいだな。
そんな未来の様子を確認してから、俺はそそくさと玄関へ向かった。
「はいはい。どちら様で――」
「犬飼せーんぱいっ! 遊びに来ましたっ! 一緒にゲームしましょー!」
ドアを開けるなり、元気いっぱいにそう言ってくるのは卯野原だった。
今はゆったりとした部屋着姿だったが、その上からでも胸元の膨らみだけは主張が激しい。持ち主の喧しい声と同様にな。
「ふざけんな。暫くテスト勉強があるから、一緒にゲームは無しだ」
「えー、もうずっと犬飼先輩と遊んでないじゃないですかー。犬飼先輩が勉強するのは勝手ですけど、私に迷惑かけないでくださいよーっ!」
「あれ? これ俺が悪いのか……?」
なんか俺が悪いように言われている気がするのだが、卯野原に責められるのはお門違いだと思うんだよなぁ。よし、帰ってくれ。
それに加えて、他にも問題はある。俺と未来が同棲している件だ。
以前、同棲していることは葵、緋色、翠にはバレてしまったのだが、卯野原にはまだそのことを話していない。
つまり、これから面倒なことになる可能性が非常に高いのだった。
何としてでも、部屋に未来が居ることだけは誤魔化さねば……!
「おっじゃましまーすっ!」
「あ、おいこら!?」
するりと軽い身のこなしで俺の横を通り抜け、卯野原は奥に向かって進んでいく。
ヤバい。その先には未来が……!?
「ふふーんっ」
「まあ待て。あれだ、こんな時間だし一緒に飯でも食いに行くか?」
と、卯野原の手を握る俺。
とりあえず、部屋から遠ざけて有耶無耶に……!
「いえ。私は食べてきたので大丈夫ですっ!」
「そ、そうか。じゃあ、お菓子でも買いにコンビニへ行こう! 俺も弁当買ってくるから!」
「あーそうですね。週末ですし、二日泊まると考えると、買い出しは必要ですもんね」
「お前はいつまで居座る気なんだよ……」
や、やべぇぞこれ……。部屋に入れたが最後、帰ってくれなくなるパターンだ。
なにせ、テスト前のゲームなんて格別に楽しいんだから。勉強なんてしている場合じゃなくなっちまうだろ。それも含めてマズい……!
「では、行きましょうかっ!」
「ああ、そうだな」
とにかく、一度『ラビリンス』寮を出たら、何かと理由をこじつけて帰ってもらおう。
打てる手はそれしかあるまい。とにかく、まずは家を出て……
「どうしたの、与一くん? 騒がしいけれど……?」
言いながら、未来が部屋の奥から姿を現した。
お、終わった……。卯野原に気を取られて、こっちのフォローを完全に忘れてたぜ。
「むっ……い、犬飼先輩っ! 詳しく話を聞かせてくれますよねっ?」
「あー、それな。うんうん、それ気になっちゃう感じか?」
「当然ですよっ!?」
ぴしゃりと言われ、俺は卯野原を部屋に通したのだった。
あー、面倒なことになったなぁ……
◇
部屋で事情を説明すること、数時間。
やっとのことで、俺は卯野原の理解を得られることが出来たのだった。
「若い男女が一つ屋根の下でドキドキの同棲生活ですかっ!? いやらしいっ! 不潔ですっ! えっち! とうてい許されるはずがありませんっ!」
すまん。嘘だ。まったく理解されてなかったわ。
なんか理解された感じで有耶無耶にならないかなって思っただけなんだ。
でもさ、極論、この話に卯野原は関係ないよね。言っては何だが、部外者だ。
まあ、それを実際に言ったら怒られそうだし、口には出さないけど……
そんな、何となく理不尽な気分を味わいながらも、俺は黙って卯野原とテーブルを挟んだ向かいで正座していた。
「ここ最近、犬飼先輩が部屋に上げてくれないなぁとは思っていましたけど……、もぐもぐ……まさか、こんな理由だったとは、もぐもぐ……思いませんでしたよっ!」
「卯野原さん、おかわり要るかしら?」
「大盛でお願いしますっ!」
それはそうと、なんでうちで飯食ってんだよ! さっき、夕飯は食べてきたって言ってだだろうが! しかも、大盛ってよく食うな!?
道理で育ちが良いわけだよ。摂取した栄養の殆どが、そこに吸収されているのだろう。
敢えてどことは言うまいが、胸が大きいのはそういう理由か。……あれ、さては言っちゃってるなこれ。
「とにかく、もぐもぐ……、私は認めませんからねっ!」
「まず飯食うのやめろ。お説教のせいで、俺もまだ食ってないのに」
「犬飼先輩が、こんなに美味しいものを毎日食べていた事実にも納得できませんよ。まったく……」
文句を言いながら食事の手を止めない卯野原。俺の分、残るかなぁ……
「まあ、それはともかく、同棲は未来のデスゲ脳をどうにかするまでは仕方ないかなと。いずれは独り立ちさせるけど、今は精神的に不安定な状況だからな」
というか、“友情人狼”のあと、一回は既に追い出したんだよな、俺。なんか直ぐに帰って来たけど。
でもまあ、未来との同棲生活もそう悪くないし、俺の家事事情的にも暫くは同居してほしい気持ちがあるのも確かだ。
「でも、それは困りますよー。私の遊び場……憩いの場所が無くなっちゃうじゃないですかーっ!」
「俺の部屋はお前の遊び場じゃねぇんだよ。ゲームなら卯野原の部屋でも出来るだろうが」
「むー、それはそうですけど……。だったら、私もここに住みますっ! いいですよね!」
「よくねぇよ。こっちは未来一人だけでも、色々と気を使って生活してるんだよ。二人に増えたら気苦労も二倍だわ」
「それくらいの苦労で美少女二人と同棲できるなら安いものじゃないですかっ!」
「そんな単純な話でもねぇんだよ……」
他人と生活を共にするのは、色々と苦労が絶えないんだよなぁ。それが男女ともなれば余計に。だからせめて、自室でくらいゆっくりできる空間は確保しなくては。
「卯野原さん、夕食の味はどうだったかしら?」
「はいっ! とても美味しかったですよっ!」
「それは良かったわ。でも、もし卯野原さんも同棲するのであれば、これくらいのクオリティで家事をしてもらうことになるわ。もしくは、デスゲームで命を差し出すか」
家事の対価が重過ぎるだろ。すぐ命のやり取りにするのをやめろ。
「か、家事は頑張りますけど……」
「それならまずは、お風呂掃除でもしてもらいましょうかね」
お前は姑なのか? もしかして、家事に文句をつけて家を追い出すつもりなの?
「うぐ、そういえば失念していました……。同棲するのなら、お風呂上がりを犬飼先輩に見られかねないですよね」
「俺の名誉の為にいちおう言っておくけど、別に覗こうだなんて思ってねぇからな」
「ちなみに、私は既に何度か見られているわ」
「うぉい!? いま余計なことをバラさなくていいんだよ!?」
事故だから、事故!
と、これが気苦労の一部だ。伝わっただろうか? ……まあ、役得とも言うけどな。
「犬飼先輩に裸を見られるのはいいんですよ。でも、メイクを落としたすっぴんを見られるのはマズいです」
「裸は良くてメイクがダメなのは、どういう価値観なんだよ……」
何か以前にも似たようなことを言っていた気がするけど、どういうことなんだろうか。
女の子の心は複雑怪奇だ。よく分からん。
「分かりました。ここは私が身を引きましょう。ですが! 今後も犬飼先輩は、しっかり私と遊ぶ時間を確保することっ! それが条件ですっ!」
びしっと卯野原が俺に指さしてくる。
「……分かったよ。それでお互いに手を打とう」
「あと、私も偶に未来さんの手料理を食べたいです」
「余計なもん追加すんな。まあ、それくらいならいいけど……」
別に構わないよな? と、未来に視線を送ると、こくこくと頷きが返ってくる。
これで一件落着か。やれやれ……
「それはそうとして、今日のところは一緒にゲームしてくださいねっ! 犬飼先輩っ!」
「いや今日はもう帰れよ……」
「与一くん。デスゲームなら、私も一緒に付き合うわよ?」
「そういうゲームじゃねぇよ。普通にデジタルゲームだからな」
あーあ……
とてもじゃないが、もう未来も勉強に戻る空気じゃねぇよなぁ……
仕方ない。俺も少しだけ卯野原に付き合ってやるか。
と、そんな騒がしい時間が、もうちょっとだけ長く続くのだった。
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