一章 夏休み前のラスボス、期末試験
すると、その道中だった。
不意に声を掛けられたのは。
「犬飼……!」
俺が振り向くと、そこには一人の女性教師が佇んでいたのだった。見知った先生だ。
きっちり着こなされた清楚なスーツ姿。
すらりとした細身の身体に、スタイル抜群に育った胸元。束ねられたロングの髪や佇まいから真面目そうな印象を受ける。
大人な雰囲気のナチュラルメイクに、ぱっちりとした目元が愛らしい。
そういえば、ここ最近はあまり会って無かったっけな。名前は、そう確か……
「あ、すもも先生。久しぶりですね」
「もう。すももちゃんでいいと、いつも言っているでしょう?」
なんて言って、少し頬を膨らませてむくれてみせるのだった。かわいい。……と、まだそんなあどけない表情が許されるくらいには、すもも先生は若く美しいフレッシュな新任教師だった。
きっとまだ歳も二十代の前半だろう。他の教員たちよりも、生徒の方が近しいくらいだ。
「でもやっぱ、先生にちゃん付けはちょっとなぁ……」
「私は構いませんよ。私と犬飼の仲ですし」
「いやいや。どんな仲ですか……」
いくら生徒の方が歳は近いといえども、さすがにフレンドリー過ぎるんだよな、すもも先生。しかも、何故か俺だけにその傾向が見られる。普段はもっとクールな印象だけど。
そもそも初めて知り合ったのは今年の春だったか。その頃から既に距離感が近いというか、甘やかされているというか……、そんな感じだった。
「ここで偶然、出会えたのも何かの縁かもしれませんね。ご一緒してもいいでしょうか?」
などと問うすもも先生が、俺と肩を並べて歩き始める。
「ああいや、俺もう学校を出るところなんですよ」
「私もです。どうせ行き先は一緒ですよ」
一緒なわけねぇんだよなぁ……。すもも先生はこれから仕事終わりで帰宅なのかもしれないが、俺はこれからデスゲーム会場で仕事始めなのである。
途中まで送るからなどと一緒に付いて来られて、色々と面倒なことになるのは避けたいところだ。当然、俺がデスゲームの運営をやっていることなど知られてはいいはずがない。
「えっと、すみません。俺、これから野暮用があるんで、先に行きますね。また今度で」
「あ、ちょっと待って……! 犬飼……!」
俺はすもも先生の静止を無視して、さっさと廊下の先へ逃げるように走り出した。
少しばかり良心が痛んだが、これもすもも先生をデスゲームなどという余計なことに巻き込まない為だ。致し方なしだろう。
そんなこんなありつつ、俺は学園を出て担当するデスゲーム会場へと急いだのだった。
◇
あれから数刻後。
デスゲーム会場の現場に到着した俺は、黒スーツに着替えて白い仮面を付けてから、実際にデスゲームを行う閉鎖空間へと足を踏み入れた。
冷たく無機質なコンクリートの壁と、重く堅牢な扉。
暗く薄汚れた狭い部屋に、囚人でも閉じ込めるような牢屋がいくつも並んでいる。
その牢屋の外にあるメインスペースに、九人の男女が不安そうな表情を浮かべて立ち尽くしていた。
そして、彼らの困惑したような視線が、部屋に入って来た俺という明らかな異分子に向けられる。
ここから、俺はこの場でのルールを司る者だ。
ディーラーとして、このデスゲームをエンターテインメントに昇華させる立場にある。
まずは第一声、ベタなセリフからゲームは始まる。
「ようこそ、『ラビリンス』へ! これからあなた方には、運命のデスゲームをしてもらいます!」
そんなことを告げる俺。今となってはベタ過ぎてちょっと言うのが恥ずかしいセリフだったが、この場のリアルな雰囲気がそれを忘れさせる。
とはいえ、ここから先のプレイヤーの反応とて、ベタな定番そのものであることは間違いないだろう。まずはこれだ。
「ふ、ふざけるな! こんなところに閉じ込めやがって! ただで済むと思うなよ!?」
「そうよ! 早く私たちをここから出しなさいよ!」
「なにがデスゲームだ! ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!」
「…………」
デスゲームあるある。
理不尽な状況に文句を言って反発するプレイヤーたち。
あと、それを静観する一人のプレイヤー。
たぶん静観しているプレイヤーはデスゲ脳の成れの果て――つまり、リピーターなのだろう。おそらく二度、三度とデスゲームを経験してきた者だ。面構えが違う。
からの、次の展開はこれだ。
「おい!!!! なんとか言いやがれ、この仮面野郎!!!!」
逆上して叫ぶ若い男が、俺のスーツの胸倉を乱暴に掴み上げたのだった。
「ルール説明中の暴力行為は禁止されています。今すぐに従うことをお勧めしますが」
「誰がてめぇなんかに従うかよ! こうなったら力尽くで――――ぐっ、ぶはぁあああああああっ!?」
その刹那。
空中を舞うようにして吹っ飛ぶ男。そして、コンクリートの床に打ち付けられる。
その後ろには、いつの間にか見るもファンシーな着ぐるみが突っ立っていた。
『キャハハハ! 暴力はいけないことだよ! ここでのルールには従ってね! じゃないと、僕がぶっ殺しちゃうぞ!』
と、今しがた男をぶん殴ったばかりの着ぐるみが暴力反対を恫喝するのだった。
もこもこの毛並み、ふわふわな胴体、頭にはぐるりと曲がった特徴的で大きな角。
黒塗りの瞳に、張り付いた笑顔の羊をモチーフにした、どこか不気味な形相。
それは、『ラビリンス』のマスコットキャラ――“迷える子羊のスリーパーくん”である。
デスゲームあるある。
ルールに従わないプレイヤーを制裁するマスコットキャラクター。
「な、なによ、これ!? どうなってるのよ!?」
「今の、こいつが殴ったんだよな……!? その男、すげぇ勢いで吹っ飛ばされたけど……!」
「う、嘘だろ!? こんな、もこもこの着ぐるみが、あんな威力の拳を振るえるのか!?」
怯えた表情でスリーパーくんを見やるプレイヤーたち。
これぞ『ラビリンス』名物、スリーパーくんの鉄拳制裁である。ここまで威力のあるパンチは俺も久々に見たな。以前、このレベルの威力を見たのはいつの頃だっただろうか。
っと、それはいいとして。
「今後、ルールに違反したプレイヤーは、スリーパーくんの鉄拳制裁を味わうことになりますので、お気を付けください」
俺がそう告げると、その場で聞いていたプレイヤーたちは顔を青くして黙りこくるのだった。
さて、これでゲーム進行がやり易くなったことだし、進行を続け――
『おい、お前!』
ん? 見ると、スリーパーくんの右腕が、他の誰でもなく俺の方向を指していた。
……え? 俺? なんで?
「えっと、あのー……?」
『ここのディーラーは他のやつに任せてあるから、お前はちょっと別室に来いよな!』
スリーパーくんがそう言うと、一瞬で俺の背後を取って羽交い絞めに。
そして、ずるずると引き摺られて俺は強制連行されるのだった。――って、スリーパーくんの力つよっ!? どうなってんだこれ!? うぎゃあああッ!?
そして、俺は閉鎖空間から外に出されたのだった。……な、なんでぇ?
◇
デスゲーム会場の運営控室。
見渡すと、そこは長机とパイプ椅子だけが並べられた殺風景極まりない部屋。
そこで、俺はやっとスリーパーくんの強制連行から解放されたのだった。
その着ぐるみに乱雑に投げ捨てられ、固い床で尻餅をつく俺。おい、衝撃のあまりケツが二つに割れたじゃねぇか。クソ痛ってぇ。
「おい、俺はこんなの聞いてねぇぞ! どうなってんだよ!」
『うるせぇ! 黙って僕に従えよな! キャハハハ!』
「っ……、いったい、なんだってんだよ……」
ここまで俺を無理矢理に連れてきたスリーパーくんに恨みがましい視線を向ける。
連行されている途中、確かに代わりの運営らしきディーラーとはすれ違ったが、俺自身はゲームの担当を変わる連絡など一切聞いていなかった。まさか、いきなり本会場から連れ出されるとはな……
だが、たとえ予定調和だったとしても、俺への通達がされていなかったことに対しては、鬼の首を取ったように文句を言ってやらねばなるまい。
すると、スリーパーくんは器用に背中のチャックを外し、着ぐるみの後頭部から顔を出して、まるで脱皮するかのように中からTシャツ姿の人影が出てくる。
さーてと。俺のことをぞんざいに扱ってくれたやつは、いったいどんな顔をしていやがるのか……って、ええッ!?
「――――……っ!?」
な、ななななんだとぉッ!?
びっくりして、つい息を呑む俺。いや、それも仕方ないことだろう。だって、
「さっきぶりですね、犬飼」
顔を振って長い髪を左右に流し、じっと俺を見つめてくる。
そのよく見知った顔は、間違いようも無く身近な人物の形相をしていたのだ。
これは……、マジなのか……?
「す、すもも先生!? どうして、スリーパーくんの中に……!?」
そう。あろうことか、スリーパーくんの中から出てきたのは、“
ど、どういうことなんだよ……!? どうして、すもも先生が着ぐるみの中から……?
そんな疑問が脳裏でぐるぐると回り続ける。いや、それ以前になのだが……、
「すもも先生とスリーパーくん、性格が違い過ぎるだろ!?」
あの凶悪な残酷羊の中身がすもも先生……?
いやいや、さすがにイメージが違い過ぎるだろ。
あの細腕のどこから、あんな殺人パンチの破壊力が出てくるんだ。いや、すもも先生が運営側に居るのも驚きなんだけどさ。
「コホン。まあ、そう思いますよね。スリーパーくんの中の人は、運営として働く傍ら、趣味でやっているのです。大勢いるスリーパーくんの一人だと思ってくれて間違いありません」
そんな淡々とした説明を受ける俺。あれはキャラ作りだったのか。凄い役者だな。
「でも、なんでそんなことを……?」
「日頃のストレス発散です。普段は口に出来ない暴言を吐きながら、適度な運動まで出来るので一石二鳥なのですよ」
お、おおう……
どうやらキャラ作りではなく素だったようだ。むしろ、役者に失礼なことを思ってしまった。
ホントに普段とのギャップが凄いなぁ。せいぜい怒らせないように気を付けよう。
「……にしても、まさかすもも先生が運営側だったなんて、驚きましたよ。マジで」
今でも半信半疑だけどな。
驚き過ぎて、自分の感覚が麻痺しているのかもしれない。
「考えてもみてください。迷宮学園の教員に『ラビリンス』の内通者が居るのは必然でしょう? あの学園を裏から統括するのが私の役目なのです。在籍する運営委員の特権承認やデスゲーム生還者たちの監視なんかも含めて」
「へー、そうだったんですね。というか、それならそうと先に言ってくれれば良かったじゃないですか」
「そ、それは……、言うべきタイミングを逃したのです」
さいですか。思うところでもあったのか、すもも先生は恥ずかしそうに視線を逸らした。
……ん、待てよ?
ということは、やけに俺への接し方がフレンドリーだったことや、甘やかしてくれていたのは、同じ運営側という立場だったからってことか? そう考えれば、納得は出来るな。
とりあえず、言葉の上ではすもも先生の言うことは理解できた。感情の部分が理解に追い付いて来てなかったけど。
だが、そこまで理解した上でも、この状況についての疑問は何も解決していない。
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