一章 夏休み前のラスボス、期末試験
「た、大変よ!? 与一くん! 私、殺されるかもしれないわ……!?」
その切羽詰まったような声が、休み時間に入ったばかりの教室に響いた。
短く息を切らせ、片手で不安そうに俺の制服の裾を摘まんでくる彼女。
その華奢な肩は小刻みに震え、瞳は涙を溜めて揺れている。何か恐ろしいことに遭ったことは明白だ。だからこそ、俺――
「ど、どうした、未来? いったい、何があったんだ?」
「さっきの授業の小テスト、赤点だったのよ……!」
と、手にした小テストのプリントを俺に突き出してきた。……なるほど。見ると、それは赤点どころか〇点だった。そりゃ涙目にもなるわ。
この瞬間、きっと俺はげんなり呆れた表情をしていたことだろう。
まあ、その程度のことだろうとは思ってたよ。だから何も驚かねぇわ。
見方によっては、確かに学園生の死活問題かもしれねぇけどさ……
「んで、誰に殺されるって?」
「学園デスゲームの運営かしらね。赤点の赤は血の色を示しているのよ。運営サイドの与一くんなら知っているでしょ?」
「初耳だわ。学園デスゲームの件も含めてな」
もし初めて彼女を見る人が居れば、このおかしな言動の女の子は何かの病気なのだろうかと思うかもしれない。そう、彼女は実際にとある病(?)に侵されているのだった。
その辺を含めて、改めて紹介しよう。
二ノ
艶のある長い黒髪、上品な雰囲気を感じさせる整った顔立ち、少しばかり強気そうで真っ直ぐな瞳と優雅な佇まい。
そして、それら全てを台無しにする残念な言動――『デスゲ脳』を患ってしまった女の子だった。
デスゲ脳とは、デスゲーム生還者にのみ発症し、日常の様々なことをデスゲームに結び付けてしまい、極度の被害妄想や人間不信に陥ってしまう病である。
それにより、表社会に居場所が作れず、スリルや死に場所を求めて、いずれデスゲームのリピーターと化してしまう危険性がある、という厄介極まりない症状が付随する。
そんな未来のアフターケアを任されたのが、デスゲーム組織『ラビリンス』運営委員であり未来の担当をしていた俺であった。
今はこうして迷宮学園に通いながら、未来の日常生活をサポートしている。
しかし残念なことに、未来のデスゲ脳には改善の兆しが見られないわけだが……
まあ、それはそれとして。
「にしても、小テスト〇点は見過ごせねぇな。もう直ぐ期末試験もあるし、そこで赤点だったら冗談じゃなくデスゲームになりかねないからな。社会的に」
「うっ……そ、そうよね……、やっぱりデスゲームよね……」
納得の仕方が少々おかしかったが、幸いにもマズいという自覚はあったようで、未来は少し焦りを見せながら小テストをじっと眺める。
過去、未来の親は多額の借金を背負っていたせいで、未来を高校へ進学させるだけの学費を工面することが出来なかったのだ。
それ故に、未来の学力は中卒というハンデを背負っているわけだ。それでも、普段の授業を受けていれば多少の理解はあってもよさそうなものだけどな……
と、そんなことを思い、俺もその小テストを横から覗き込んでみた。
問い。
図のような回路がある。それぞれの抵抗を流れる電流の大きさを求めよ。
答え。
どんなに抵抗しても人が死ぬくらいの電流。
おおう……
そもそも答え方の次元が違う。“人が死ぬくらい”って何だよ。そりゃそうだろうけど。テストでそんなアバウトな解答をするんじゃねぇ。
「解答欄を埋めようとした努力だけでも認めてほしいわね」
「デスゲームに支配されるくらいなら空欄の方がマシだったけどな」
「ぶ、部分点とか……」
「あるわけねぇだろ」
これは重症だな。もし現状の未来が留年でもしようものなら、俺のサポート無しで学園生活なんぞ送れるわけがない。
社会に適応できなかったプレイヤーの末路は、まず間違いなくデスゲームのリピーター化だ。それは何としてでも回避させたいところだが……、そうだな。
「よし! こうなったら、今日から放課後に勉強会でもするか。今から勉強すれば、期末試験には間に合うだろ。たぶん」
それを聞いた未来が、目を見開いて反応する。
「与一くんと放課後に勉強会……! とても良いアイデアね! 是非やるべきだわ!」
と、意外にも未来はやる気ありの様子だった。
両手をぐっと握り込んで、興奮気味にぶんぶんと小さく振って答える未来。手に持った小テストはくしゃくしゃになっていたが……、それはまあいいか。どうでも。
「まあ、未来にやる気があるようで何よりだ」
「ふふふ、当然よ。与一くんが私のことを気にかけてくれているお陰ね」
「そうか。それなら提案した甲斐もあるってもんだ。それじゃ、放課後に図書室でやるとするか」
「ええ、そうね!」
鼻歌でも歌いそうなくらいにご機嫌な様子の未来だった。ったく、勉強会くらいで大げさだな。
とはいえ、もしかしたら未来も普通の学園生活っぽいイベントが出来て嬉しいのかもしれない。勉強会なんて学園生の定番だしな。
となると、俺も放課後までに色々と準備をしておかないとだよな。やる気の未来をがっかりさせない為にも。
◇
「まんまと騙されたわ……」
テンションだだ下がり。そんな未来の淀んだ声が、図書室の静寂に溶けて消えた。
ふーむ? さっそく、がっかりさせてしまったようだ。何故だか知らんが。
恨みがましい視線で俺を見やる未来。おかしいな。数刻前のやる気はどこへやら。
「未来、どうした? 何か急に機嫌悪そうだけど……?」
「むぅ……」
ぷくーっと膨れっ面を浮かべながら、未来は無言で俺を睨むのだった。
察しろということらしい。しかし、分からんもんは分からん。
俺の準備は完璧のはずだが……? 声を掛けたメンバーも全員が揃ったしなぁ。
勉強会三銃士を連れてきたよ。ということで、改めて紹介しよう。
「みんな! テスト勉強なら、どんどん私を頼ってちょうだい!」
そんな未来のテンションとは反比例するように、水を得た魚の如く生き生きと声を張り上げるのは、我らが迷宮学園生徒会長の
俺たちよりも一つ年上の三年生で、身長は女子の平均よりも少しだけ高め、翡翠のような瞳に、流れるような長い髪。
レッドフレームのメガネが特徴的で、スカート丈や制服の着こなしは清楚で真面目そのもの。
黙っていればカリスマ性溢れる金持ち社長令嬢兼生徒会長なのだが、何かと動揺すれば直ぐにメッキがはがれる残念系美人だ。
翠とは以前、ひと悶着あったわけだが、今では周囲との確執も無く普通に日常を過ごしている。詳しい事情は割愛させてもらうけど。まあ、色々あったんだよ……
「翠先輩って、勉強も出来る人なんですね! さすが生徒会長さんです!」
「と、当然よ! 私、前回の中間試験は平均八〇点だったわ!」
「わー、すごーい! そんなに頭良かったなんて知りませんでしたよ!」
「ま、まあ? 能ある鷹は爪を隠すって言うじゃない? そういうことよね!」
そんな翠に尊敬の視線を向ける純粋無垢な女の子こそは、この空間で唯一にして最大の良心、
優しそうな柔らかい表情に、活発そうな赤毛のショートカット、ルビーのような瞳。あと、ぺったんこな胸が特徴の元気っ子である。
他人を疑うことを知らず、アホっぽい気の抜けた言動も多々あるが、その根っこには正義感という強い芯が通っている聖女。
しかしまあ、それ故に危なっかしい一面も少なからずあるのだが。
それと、あともう一人……
「うーん、勉強会ですか。私、テストは前日に一夜漬けタイプなので遠慮しておきますね。ところで、犬飼くん。これから私と、その……、一緒にデートなんてどうでしょうか? 二人で、静かな図書館とかに行きたいのですが……?」
「いや行かねぇけど。つーか、図書館行くならここでもいいだろ」
「なるほど。邪魔な女を排除しろということですね。そういうことでしたら、私に任せてください」
と、どこから取り出したのか、鈍色に光る金属チェーンをびゅんびゅん振り回す葵。空を切る音に殺気が籠っていた。ついでに、その瞳からはハイライトが消えている。
「あははははは! ぶっ殺します!」
「違う。待て。ステイ、葵」
「残念ですが、今の私を止められるのは犬飼くんの愛が籠った無限の抱擁だけなのです」
「しれっと妙な要求すんじゃねぇ! 暴れるんなら、もう誘わねぇからな!?」
「なーんて、可愛い冗談でした。私たちは運命の赤い糸で結ばれているんですから、他の女が介入する余地なんてありませんもんね」
と言って、葵はぴとっと俺の腕に寄り添い、小指にチェーンを巻き付けてくる。運命の赤い糸にしては、色が違うし強固過ぎるだろ。
……とまあ、最後の一人は束縛系ヤンデレラガール、
高校二年生にしては低めの背丈に、ハイライトの消えた垂れ目。セミロングの髪に水色のヘアピンが良く似合っている。ちなみに、ここでいう束縛系とは、使用する凶器についての説明だったりする。
普段は読書家で物静な性格。だが、その可愛らしい見た目とは裏腹に、恋愛が絡むと狂気が滲み出てしまうという、ヤンデレ属性が特徴的過ぎる女の子だった。
んで……、
そんな皆のいつも通りの日常を見て、未来はげんなりと吐き捨てるように呟く。
「与一くんと二人きりでの勉強会だったはずなのに……」
ああ、そういうことね。なるほど、理解した。しかし、それは無理な相談だな。
だって、
「そもそも、俺は他人に勉強を教えられる程の学力なんて持ち合わせてねぇよ」
「え、そうなの? でも、さっきの小テストでは余裕そうだったじゃない?」
「いいや。三〇点だった」
「私ほどじゃないにせよ、それは酷いわね……」
まあ、そういうことだ。だからこそ、勉強を教えられそうな誰か他の人が必要だったわけだな。
「コホン。ということで、翠に皆の講師を頼みたいわけだが、任せてもいいか?」
「ええ、私に任せなさい! 一学年先輩であり、生徒会長であるこの私に!」
大仰に胸を張って、自信満々に答える翠だった。
これなら未来を任せても大丈夫か。それに、他にも一緒に勉強に励む同志も居ることだしな。
「あの、翠先輩! 私も数学が苦手だから、教えてもらえると助かります!」
「私は社会ですね。暗記が苦手なので……」
とりあえず、勉強会という趣旨を飲んでくれたらしく、緋色と葵も自らの苦手科目を自己申告していった。
それに対して翠はというと、「どんどん私を頼ってくれていいわ!」とやる気満々の様子。
友達が少ないだけに、こうして頼られて役に立つことが嬉しいのだろう。それなら俺としても、講師の役目を押し付けたことへの罪悪感が減るというものだ。むしろ良い事をしたまである。俺のお陰だな。後で感謝の言葉でも聞いてやるか。
「未来さんにも、私がしっかり教えてあげるから、頑張りましょうね!」
翠がテンション高めで未来のフォローに回る。
それを見た未来は、観念したように言葉を続けたのだった。
「期末試験で赤点を取ったら死ぬというのであれば、仕方ないわよね。いいわ、教わってあげましょう」
「いや、死にはしねぇよ。あと、お前はどの目線で語ってんだよ……」
まったく、恩知らずなやつだな。せっかく翠が勉強を教えてくれるというのに、感謝の言葉も無いどころか、自分の立場を棚に上げるなんて。……数行前の俺も同じことをしていた気がするが気にしないでおくことにしよう。
「そういえば、与一はどうなのよ? 今までの成績とか……?」
なんて翠が問うたが、それに俺は余裕綽々で答えた。
「ふっふっふ。実は俺には期末試験の結果なんて関係ねぇんだよな。だから、テスト勉強なんて、そもそもする必要がねぇんだ」
「え? どういうことよ……?」
翠が首を傾げる。そして、俺は説明を続けた。
「俺は『ラビリンス』運営委員の特権により、テストの類はすべて免除されるんだよ。運営の仕事で学園生活の時間を取られる分、単位は自動的に取得できるシステムだからな」
そう。これこそが『ラビリンス』運営委員の唯一といってもいいくらいの特権だった。
故に、期末試験の結果が如何に悪かろうと、俺は絶対に進級が可能なのである。
「与一くんだけ狡いわね……。運営の仕事も、あんまり真面目にやっていないくせに」
そんな不平不満をぶつける未来だった。
過去のデスゲームで俺が担当をしていた頃のことを思い出して言っているのだろう。
「賢いと言ってほしいなぁ。最低限のことだけしていれば、気楽な学園生活が送れるんだから、俺はそうしているだけだ」
「あれ……? ということは、もしかしてですけど……」
何かを察したように葵が呟く。やれやれ、勘の良いやつだ。
俺は小指に絡められた金属チェーンを外し、葵を含めた皆から、スクールバッグを片手に持ちつつ距離を取ることに。
「いやー、お前らは大変だな。テスト勉強なんてしないといけないんだから。んじゃ、俺は『ラビリンス』で仕事があるから行くわ。頑張れよ!」
「え、ちょ、ちょっと! 与一!?」
「ええっ!? 与一くん……!?」
背後で翠と緋色の驚く声を聞きながら、俺は図書室の扉を開けて即座に退出。他にも怨嗟のような恨み言を投げからけれたが、俺は気にしないでそそくさと逃げ出した。
悪いな、みんな。俺も勉強は嫌いなんだ。
やらなくていいのならば、避けて通りたいくらいには……!
それに、今から『ラビリンス』でディーラーの仕事をしないといけないことは本当のことだった。
だから、俺は直ぐにデスゲーム会場へ向かわねばならないのだ。なら仕方ないよね。
まあつまり、俺は勉強会の企画と準備だけはしたが、俺自身が参加する気など初めから微塵も無かったということでもある。うむ。
ということで、俺は足早に廊下を進んで昇降口へと向かう。
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