第2話 脱出

 作戦区域に向かう大型輸送機の格納庫には、数台の大型戦闘車両が並んでいる。

 全長二十五メートルを超えるこの大型車両はLWと呼ばれ、その体躯を活かした武装、運搬、さらには電子戦用の兵装、陸戦隊の仮設住居など、ただの兵器に納まらない新機軸の軍用機として開発された。

 量産化が推進された現在。地上軍にとってこのLWは主力兵器であると同時に、象徴でもある。

 そのうちの一台、【シャカマ】にイサナは乗り込んでいた。

 前任者の殉職によって急遽配属された技師上がりの青年は、まだ汚れの少ないゴーグルと保護帽をしっかりと身に着けて、操縦桿を撫でたり、ブーツの中で足の指を動かしたりしながらモニターを眺める。

『うん、私の方でもチェックしたけど問題なし。シャカマはいつでも動けるよ』

「そうか。ならいいんだ」

 フランクなメルラの声に対し、電子音声のような味気ない返答をするイサナ。

『緊張してるの?』

「してるさ」

『それはしょうがないことだね。でも、緊張は…………ん? 掴まってて!!』

 メルラの言葉が聞こえるのと同時に咄嗟に操縦桿を握るイサナ。

 刹那、格納庫が大規模な地震のように揺れる。無論、飛行中の輸送機に地震など起こるはずはない。なら、これは何かの問題が起こったということ。

 その回答は眼前のモニターに映し出される。

 格納庫では炎の奔流が搭乗員たちを吞み込んでいた。

『格納庫の奥が爆発した。やっぱり攻撃を受けたんだ!』

 メルラが話す間にも、状況は悪化の一途を辿る。

 爆発した格納庫には大きな穴が空いてしまい、そこから空気が漏れ始めたのだ。

 急速に減圧されたことで空気が空へと流れ、バキュームのように軽い物資などが外へと放り出される。

 強制的に減圧された輸送機は大きく機体を傾かせる。よりによって機体側面の格納庫に穴が空いたため、タイヤロックとベルトによって固定されたLWたちも、重力と空気に負けて微かに動く。

『アンカー』

 最初こそフレンドリーな印象を抱かせたメルラの声も、緊急時の対応には機械独特の無感情さが滲み出て来る。

 それが今のイサナにはありがたかった。今喚かれたら、彼はパニックになっていただろう。淡々とした声が彼に無意識のうちに教習時を思い起こさせ、一定の緊張感と冷静さを両立させた。

「わ、わかった……」

 イサナはシャカマの四隅に備わる車体固定用のアンカーを起動させる。

 格納庫の床にアンカーが貫通するわけではないのだが、ブレーキの代わりくらいにはなる。何もないよりはマシであると同時に、イサナの気休めにもなった。

『この傾きと飛行速度……輸送機はきっと墜落する』

 モニターには運よく火災から生き延びたクルーの一人が設備にしがみついているのが見える。このままでは彼も他の死体や物資のように外に投げ捨てられるだろう。そうでなくてもこのまま輸送機と心中するしかない。

 助けに行きたいが、今のイサナにはどうすることもできない。

 格納庫の減圧で死ぬなんて教習や教本、先輩たちの体験談でも教えてくれなかった。

 そんな想定外の「終わり」が目の前にあることで、イサナは不思議な感覚になる。

 あるいはそれは、死から逃れようとする生物の本能に近いものだったのかもしれない。

「脱出しないと」

 輸送機の墜落に格納庫が耐えられるかは未知数。万全の状態ならまだしも、穴が空いているのだから耐久力は悪いはずだ。墜落の爆発なども怖いが、格納庫が耐えられてもイサナ本人が耐えられない可能性が高い。

『その意気だよ。脱出方法を考えたのだけど、シャカマが降下作戦とかで使う着地用のブースターを使えば墜落の前に脱出できるはず。この輸送機は減速こそしてないけど、高度の低下は緩やかだから、安全に脱出できるタイミングは計りやすいし』

 メルラの案は賭けだが現実的でもある。LWは飛行できないものの、緩やかなジャンプと極短時間のホバリングなら可能である。降下作戦や渡河の際に使用するブースターユニットが備わっているからだ。

「それでいこう。まずどうすればいいんだ?」

『重要なのは三つ。格納庫から出るタイミングとブースターを使用するタイミング。それとシャカマを固定しているベルトを外すこと』

「わかった。ベルトを外してくる。上部の武装を固定してる後ろのベルトを外せば斜め前の二本は機銃で破壊できるだろ?」

 イサナはメルラの返事を待たずに頭上のコクピットハッチを開く。

 ハッチから上半身を露出したイサナは腰のホルスターから拳銃を取り出して構える。

 ベルトは外れればいいのだ。直接行かずとも、携行している拳銃でベルトを固定している装置のボタンを撃てばいい。

 強風に煽られながらも機体背面の壁にあるボタンに向けて発砲する。

 二、三発目でボタンにヒットし、装置から外れた金具が空気に流されてベルト諸共イサナの方へと飛来する。

「あぶねえ!」

 イサナが咄嗟にコクピットへと潜って躱すと、彼の背後から断末魔の叫びが上がった。

 見ればさっきまで設備にしがみついていたクルーが外に投げ出されている。どうやらイサナが躱したベルトが当たって手を離してしまったようだった。

「クソが」

『気に病むことはないさ。しくじればキミだってああなるんだ』

「……そうだな」

 コクピットに戻ったイサナは周囲を確認する。メルラはイサナが見ていない間に高度やシャカマの性能から脱出のタイミングを計算したらしく。モニターにはタイマーが映し出されていた。

「脱出まであと三分あるか」

『タイマーはあくまで現時点の目安。高度だけじゃなくて、傾斜とかも考えないとベルトを外すタイミングを誤るから。おっと、言ってる傍から』

 輸送機の高度が先程までよりも明らかに落ちている。傾斜も別の方向にまでついてしまっていた。

「まずい。脱出するぞ」

 イサナはシャカマの車体上部に装備されている機銃でベルトを破壊すると、アンカーとタイヤロックを解除した。

『センサーとレーダーで可能な限りタイミングを計算するから、もう少しブレーキをかけてて』

「よし」

 シャカマはゆっくりと穴に近づく。格納庫の穴からはすでに地面が見えていた。

 荒涼とした砂の大地は、見た目こそ柔らかそうであるがその実、岩場の床である。

『10秒後に脱出』

「まかせろ」

 ブレーキを解除して穴へと向かう。

 LWは巨躯を支える四隅に三輪ずつ、計十二輪のタイヤを回転させる。

 そして、格納庫の床を離れて空中へとその身を投げ出した。

『高度と風が想定と違う! 姿勢制御』

 パラシュートなどの降下用装備のないLWは強風などによって空中でひっくり返る可能性があった。メルラはシャカマのブースターを片側だけ噴かせて横転を防ごうとする。

 その甲斐あって、シャカマは車体を地面とある程度平行に保ったまま降下していく。

 しかし、問題はそれだけで終わらない。

「地面までもうすぐだが、このままだと風にあおられて岩山に激突するぞ。ワイヤーアンカーを使って着地位置をずらす」

 イサナはシャカマの車体側面上部に備わっている可動式のワイヤーアンカーを射出する。アンカーはシャカマを煽る風の風上にある岩場に突き刺さった。

 本来は急な斜面の山岳地帯などで車両を固定するときなどに使うものだが、自重を支えられるその強度を活かして車体の落下位置をコントロールしようというのだ。

 イサナはワイヤーを目一杯巻いて車両が別の岩山にぶつからない様に引き続けた。

『落下制御。ブースター最大』

「まずい」

 勢いがつきすぎているせいで、このままでは着地してもアンカーが巻き終わる前に岩山に激突してしまう。

 イサナは対地ロケット砲を後方斜め下の岩場に向けて発射する。

 着弾の直後、地面を踏んだシャカマはブレーキとタイヤロックをかけてもなおしばらくスライドしながら岩場の手前で停車した。

 ロケット弾は岩を完全には粉砕できなかったものの、一部を破壊できたおかげで衝突せずに済んだのだ。

『死ぬかと思った。まあ私、死なないんだけどね! AIだから』

「コンピュータがジョークかよ。まあ俺も死ぬかと思ったさ」

 ワイヤー、ブースター、ロケット砲。どれかが欠けていれば今頃車体諸共大地の一部になっていただろう。

 大きく息を吐いたイサナは手元のレバーを操作してワイヤーアンカーを回収する。

『まだ終わってないよ』

「そうだな。どうすりゃいいんだ」

 メルラと会話をしていてもイサナの足はしばらくの間、無意識にブレーキペダルを踏み続けたままであった。

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